譜例(PD楽曲、Finaleで作成、197-198小節)
「ピアノ・ペダルの技法」(ジョーゼフ・バノウェツ 著/岡本秩典 訳 音楽之友社)
という書籍の中で
ジョーゼフ・バノウェツは
以下のように語っています。
この作品が作曲された頃(1836-39)の楽器は、
現代の演奏会用の楽器のような豊かな共鳴音響を出すことは
できませんでした。
もしショパンの記入したペダル通りの演奏を行った場合には、
ピアニッシモの反復されるAの初めの数個の音は、
前の和音の響で覆われてしまいます。
したがって初めのAを弾く時に、
ハーフ=ペダルの交換が必要になるかもしれません。
(抜粋終わり)
一方、
ショパンの時代のピアノでも
まったく響きが残らなかったわけではありませんし、
「一種のグラデーションのような効果を狙っていた」
と解釈することもできるでしょう。
つまり、
pp のA音が鳴り始める最初は
あまり明瞭に聴こえないのをむしろ想定内として、
直前の強奏の音響が減衰するにつれて
A音の連打がだんだんと姿を現してくる効果。
別のたとえをします。
藤原家隆(ふじわらのいえたか)の一首に
以下のようなものがあります。
「花が咲くことのみを待っている人に、山里の溶けてきた雪からのぞく春の若草を見せたい」
おおむね、こういったことを言っています。
雪の下で、もうすでに緑は芽生えていて、
雪がとけて減ることで、それが顔を出す。
このような印象を
譜例の箇所におけるショパンのペダリングから
読み取れなくもありません。
もちろん、情景のことを言っているのではなく
「何かが取れたら、別のものが顔を出す」
という出来事について
共通点があるということです。
最終的にどのように演奏するのかは
演奏家に任されているわけですが、
「必ずしもすべての音が明確に聴こえなくても表現が成立する」
という視点は
もっていてもいいでしょう。
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