以前に、
動画番組か何かで目にした
「海外で著名なダンサーが、日本の若手をプロデュースして育てる」
という企画が面白かったのですが、
そのダンサーは番組内で以下のような発言をしました。
滅茶苦茶いい言葉だと思います。
「自分自身のもともとの姿」というのを
筆者なりに解釈すると、
自分にとって苦痛なことや
体格的に明らかにムリなことや
頑張っても全然伸びていかない部分を切り捨てる、
ということにつながってきます。
例えば、演奏での例としては
まず「変えられない手の大きさの問題」がありますね。
直接的な言い方ですが、
筆者も含め
手の大きくない方がどんなに頑張っても
12度や13度音程が届く作曲家の作った作品をバリバリ弾くのには
ムリがあります。
それくらい手の大きな演奏家が
バリバリ弾いているのに憧れて
ムリヤリ追従しても
その先に楽しみや喜びや希望はありません。
できる人と同じくらい時間を使っても
自分は一向にできるようになっていかないから。
我々には「選曲の自由」という武器があるのですから、
自分にとって頑張ってもできないことは認めて
できるところで挑戦すればいい。
あわない楽曲を切り捨てるべき理由は、
ダンサーさんの言葉を借りるならば
そうしたほうが
自分自身のもともとの姿を自由に自然に表現できるからです。
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