【ピアノ】なぜ、自分にあわない楽曲は切り捨てるべきなのか

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自分にとって頑張ってもできないことは認めて
できるところで挑戦してください。

 

以前に、

動画番組か何かで目にした

「海外で著名なダンサーが、日本の若手をプロデュースして育てる」

という企画が面白かったのですが、

そのダンサーは番組内で以下のような発言をしました。

自分自身のもともとの姿を自由に自然に表現できる人を探している」

滅茶苦茶いい言葉だと思います。

 

「自分自身のもともとの姿」というのを

筆者なりに解釈すると、

自分にとって苦痛なことや

体格的に明らかにムリなことや

頑張っても全然伸びていかない部分を切り捨てる、

ということにつながってきます。

 

例えば、演奏での例としては

まず「変えられない手の大きさの問題」がありますね。

 

直接的な言い方ですが、

筆者も含め

手の大きくない方がどんなに頑張っても

12度や13度音程が届く作曲家の作った作品をバリバリ弾くのには

ムリがあります。

 

それくらい手の大きな演奏家が

バリバリ弾いているのに憧れて

ムリヤリ追従しても

その先に楽しみや喜びや希望はありません。

できる人と同じくらい時間を使っても

自分は一向にできるようになっていかないから。

 

我々には「選曲の自由」という武器があるのですから、

自分にとって頑張ってもできないことは認めて

できるところで挑戦すればいい。

 

あわない楽曲を切り捨てるべき理由は、

ダンサーさんの言葉を借りるならば

そうしたほうが

自分自身のもともとの姿を自由に自然に表現できるからです。

 


 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

ピアノ音楽(ピアノソロ、ピアノが編成に入った室内楽 など)の魅力にとりつかれて、早何十年。
ピアノ音楽の作曲・編曲が専門。
物書きとしては楽譜だけでなく文章も書いており、
音楽雑誌やサイトなどでピアノ関連の文筆を手がけています。
Webメディア「大人のための独学用Webピアノ教室」の運営もしています。
受賞歴として、第88回日本音楽コンクール 作曲部門 入賞 他。

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