【ピアノ】なぜ、似たような練習曲ばかりがあふれかえっているのか

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本記事では、
小休憩(coffee break)として
似たような「エチュード(練習曲)」ばかり
が生み出される背景について
筆者なりの見解をお伝えしています。

 

ピアノという楽器のための「エチュード(練習曲)」は

他の楽器のそれと比較しても相当多く存在しています。

理由は単純で、

ピアノという楽器、そしてピアノ教育には需要があるからです。

例えば、

テルミンの教則本やエチュードは

ピアノのものよりも圧倒的に少ないですが、

それは、楽器としても教育としても需要が高くないからです。

 

ピアノのエチュードがたくさん生まれること自体は良いことですが、

あまりにも似たようなエチュードばかりが

あふれかえっていると思いませんか。

なぜだと思いますか?

答えは簡単です。

「作曲する人物が、音楽史の研究をおこたっているから」

これが理由です。

 

教育目的の、メカニック面での訓練を狙ったエチュードが成立するためには

最低限、以下の2つが必要です。

◉ 基本的なテクニックが分類整理された上で、作曲されていること
◉ 作品として、フィジカル的な弾きにくさが伴っていること

しかし、これだけでは足りません。

◉ 作曲家が、これまでに世の中で生み出されたエチュードをつぶさに研究し、
どんな作品が存在しているかできる限り広範囲に調べ上げていること

この3つ目が必要不可欠です。

つまり、「歴史の研究」ですね。

明らかにこの視点が抜けているケースが多いので、

似たようなエチュードばかりあふれかえってしまう。

新しいものを生み出そうとしているのに

そのためには

今までのものを知っていないといけないという、

一種の矛盾のようなものが必要というわけです。

 

過去に膨大なエチュードが生み出され終わった今、

16分音符などの細かい音価でスケールやアルペジオをやっていれば

それだけでエチュードになるわけではないのです。

 

正直言って、

筆者自身はエチュードを最低限の研究成果としてしか作っておらず、

偉そうなことは言えません。

しかし、

あらゆる場面で「歴史」というものが軽視されている事実だけは

日頃から重く受け止めて音楽へ向かうようにしています。

 

エチュード集の挿絵だけが新しくなっていくのでは

作品の生み出される意味が希薄です。

歴史の研究もされた深い洞察を感じるエチュードに出会えることを

期待したいと思います。

演奏者も勉強を深めて応えていかなければいけませんね。

 

 


 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

ピアノ音楽(ピアノソロ、ピアノが編成に入った室内楽 など)に心惹かれ、早何十年。
ピアノ音楽の作曲・編曲が専門。
物書きとしては楽譜だけでなく文章も書いており、
音楽雑誌やサイトなどでピアノ関連の文筆を手がけています。
Webメディア「大人のための独学用Webピアノ教室」の運営もしています。
受賞歴として、第88回日本音楽コンクール 作曲部門 入賞 他。

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