J.S.バッハの作品では
ダンパーペダルを乱用すべきでないという解釈が
以前から変わらずあります。
中には、
「絶対にペダルを使わないように」
と言って
ペダルの上に足を置かせない指導者もいるそうです。
筆者の考えとしては、ペダルを使ってもOKです。
ただし、
◉ ビートを出したいところで使う
◉ 音色を作るために使う
などと、
意図を持ったうえで用いて
乱用には気をつけるべき。
ではなぜ、
ペダルを使うべきでないという解釈が出てきたのでしょうか。
理由には大きく2つあります。
まず、
いちばん一般的な理由としては
「チェンバロとピアノの楽器としての違い」が挙げられます。
J.S.バッハは黎明期のピアノという楽器を知ってはいましたが、
結局、ピアノのためには1作品も作曲しませんでした。
鍵盤楽曲の中でも
クラヴィコードやチェンバロのために書かれた作品が多いわけですが、
とうぜんそれらの楽器には
いわゆる現代のピアノと同じ役割のペダルは
ついていませんでした。
「現代のピアノのために作曲された作品ではないのだから…」
これらの意見で解釈が分かれはじめ、
「作曲当時のことを重視するならば、ペダルを使うのはいかがなものか」
という考え方が出てきたのが
理由のひとつ目です。
もうひとつの理由は、
「ペダルを乱用すると対位法の意図が希薄になるから」
というもの。
J.S.バッハの大半の作品は
「メロディ+伴奏」という形態ではなく
「線+線」というように
原則、ポリフォニックで成り立っています。
2声のインヴェンションを思い出してみてください。
3声、4声、5声になっても
線の数が増えていくだけです。
「線と線がいかに絡み合っていくか」というのが
対位法の手法で作曲された作品の根幹にあるにも関わらず、
ダンパーペダルで音響を「和音化」してしまうと
「線と線」ではなく
「メロディ+伴奏」と何ら変わらなくなってしまう。
これが、
ペダルを乱用すべきでないとされる
もうひとつの理由。
もちろん、
線と線が絡み合った結果、
ある瞬間を切り取ったときに鳴っている和声はあります。
しかし、
この和声と
ペダルで和音化された響きとは
まったくの別物。
少し難しい話になってしまいましたが、
様式や音楽史などを学ぶことで
演奏解釈に影響があるというのは
こういった部分なんです。
解釈楽譜「園田高弘 校訂版 J.S.バッハ インヴェンション」レビュー
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