具体例を見てみましょう。
楽曲が変わっても考え方は応用できます。
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、140-145小節)
フェルマータのかかった全休符が見られますが、
こういった
オーケストラでいう「G.P.(ゲネラルパウゼ)」のような
いっせいの休符表現は、
ただ単に時間を空けるために存在するのではなく、
空気感を含めた音楽表現そのものだと思ってください。
空気感というのは
一種の緊張感のようなもの。
◉ 休符のとり方
◉ 休符のあいだの身のこなしなど、視覚的要素
こういったあらゆる要素が影響して
空気感がどう伝わるのかが決まります。
休符の直前にある音符の発音方法、その余韻の響かせ方、処理の仕方
(再掲)
休符の直前にある音符を
「どのような音量・音色で発音するのか」
また、余韻を
◉ ノンペダルでドライに響かせるのか
その余韻の処理を
◉ スッと切るのか
ざっくりとした分類ですが、
こういった違いによって
直後の休符の意味合いがまったく変わってきます。
空気感のコントロールは
休符になる前から影響を受けているということ。
休符のとり方
(再掲)
いっせいの休符のとり方で
いちばん大きいのは、
「フェルマータも含めて、どれくらい伸ばすのか」
という視点。
フェルマータが書かれていない休符でさえ
ピッタリではなく
多少伸び縮みさせてあやつることがあるくらいなので、
フェルマータがかかっていると
なおさら
どれくらい伸ばすのかに幅が出てきます。
とは言っても
適当に伸ばせばいいのではなく、
必ず前後をどう聴かせたいのかという木の視点と
楽曲全体をどう聴かせたいのかという森の視点を
あわせてもつようにしてください。
(再掲)
例えば、前後関係という木の視点で言えば、
譜例のようにフェルマータ付き全休符が
2小節を挟んで2回連続する場合、
両方とも長すぎてしまうと
曲途中で段落感がつきすぎてしまいます。
また、記譜上の長さは
「全休符+フェルマータ」
とどちらも同じになっているにも関わらず、
それぞれの休符の長さが違いすぎるのも
不自然ですよね。
加えて、楽曲全体という森の視点で言えば、
楽曲の全体規模に比して
曲途中のフェルマータ付き休符が長すぎると
全体のバランスを欠くことになるのは
とうぜんのこと。
全体の構成を見ていくうえで
ある一部分が浮いたように強調されてしまうのは、
意図的な場合を除き、良いことではありません。
そこだけ意味をもってしまい、バランスを欠くから。
休符のあいだの身のこなしなど、視覚的要素
「聴衆は視覚的にも音楽を聴く」
という言葉を耳にしたこともあるでしょう。
いっせいの休符のときに
無造作にガサっと動いたり、
美しい静寂にも関わらず
次の部分の準備をサササッと進めたりしてしまうと、
聴衆は一気に夢から覚めてしまいます。
こういった身のこなしをとってみても
休符における空気感のコントロールに
つながっています。
「休符は雄弁で、音符以上にものを言う」
という言い方がされることもあります。
やはり、音楽表現そのものとして
重要なものだということを
改めて認識してほしいと思います。
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