【ピアノ】なぜ、対位法で書かれた作品では音価を守るべきなのか

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対位法の音楽では
できる限り音価をシビアに表現すべきとされる理由を解説します。
ポイントは
対位法音楽というものの根幹を理解することにあると言えるでしょう。

 

「ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授」著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

という書籍に、

J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集」の指導中の発言として

以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
バスや内声部のこれらの音は、
正確におしまいまで押さえなければなりません。
これを耳でよく聴き、実行しなければなりません。
まさに正確に、そしてしまいまで完璧に弾かなければなりません。
ここに対位法的スタイルの作品を演奏する際の主要な課題があり、
根本的な難しさがあります。
(抜粋終わり)

 

音価を守るべき理由には

特に触れられていないのですが、

簡潔に言うと、

音価を守らないと

対位法というものの意図が希薄になるからです。

 

J.S.バッハの大半の作品は

「メロディ+伴奏」という形態ではなく

「線+線」というように

原則、ポリフォニックで成り立っています。

2声のインヴェンションを思い出してみてください。

フーガなどで

3声、4声、5声になっても

線の数が増えていくだけです。

 

「線と線がいかに絡み合っていくか」というのが

対位法の手法で作曲された作品の根幹にあるにも関わらず、

それらの線の音価が無闇にのばされて

作曲家の意図しないような重なり合いになったり、

音価がのばされたことで

ひとつの線の中で和音化されたりすると

「線と線」ではなく

「メロディ+伴奏」と何ら変わらなくなってしまう。

 

ここに、

対位法の音楽では

できる限り音価をシビアに表現すべき

そして、ダンパーペダルを乱用すべきでないとされる理由があります。

 

もちろん、

線と線が絡み合った結果、

ある瞬間を切り取ったときに鳴っている和声はあります。

しかし、

この複数の線の絡み合いによる和声と

ひとつの線の中で音価を守らず和音化されたものや

ペダルで和音化された響きとは

まったくの別物。

 

ここまでを理解したら、

上記のネイガウスの発言にもう一度目を通してみてください。

その発言内容がよりよく理解できるはずです。

 

◉ ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授 著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 


 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

ピアノ音楽(ピアノソロ、ピアノが編成に入った室内楽 など)に心惹かれ、早何十年。
ピアノ音楽の作曲・編曲が専門。
物書きとしては楽譜だけでなく文章も書いており、
音楽雑誌やサイトなどでピアノ関連の文筆を手がけています。
Webメディア「大人のための独学用Webピアノ教室」の運営もしています。
受賞歴として、第88回日本音楽コンクール 作曲部門 入賞 他。

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