【ピアノ】演奏に迷いやすい記譜の謎を解読:正しい解釈と表現方法
► はじめに
楽譜には、作曲家の意図を伝える様々な記号や記譜が記されています。しかし、その解釈に迷うことも少なくありません。
本記事では、ピアノ演奏において特に疑問が生じやすい記譜について詳しく解説していきます。
► A. ダイナミクス
‣ 1. fp・pf の違いと演奏法
まず、fp(フォルテピアノ)には主に2つの演奏解釈があります:
① その音を強く(f)打鍵し、直後に弱く(p)なる
② アクセントをつけずに、その音から突然弱く(p)なる
①はアクセントと subito p(突然の弱音)を組み合わせたような効果を生み、
一方、②は純粋に subito p と同様の効果となります。
楽曲中で fp が出てきた際は、曲想や前後の文脈を考慮し、どちらの表現がより適切かを判断しましょう。
次に pf についてですが、これは一般的に想像される piano forte(ピアノフォルテ)ではなく、poco forte(ポコフォルテ)の略称。
主にハイドンのソナタなどで見られるこの記号は、「やや強く」という指示を表します。
‣ 2. 全音符につけられたクレッシェンドの意味
シューマン「ピアノソナタ 第3番 ヘ短調 Op.14 第3楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
左から3番目の小節を見てください。
フェルマータ付きの全音符にクレッシェンドが書かれていますが、これはどのように解釈すればいいのでしょうか。
ピアノという楽器は減衰楽器なので、一度出し終わった音をクレッシェンドすることは原則できません。版によってはこの箇所に注が付けられているものもありますが、基本的には「作曲家の気持ちとしてのクレッシェンド」と考えてください。
おそらく、直後の f でしっかりと空気感を変えて欲しかったのでしょう。
ティンパニのロールなどがクレッシェンドして、目を覚ますような印象的な f のトゥッティへ入るイメージ。オーケストラが想定された記譜とも解釈できます。
こういったことは、あくまで想像の世界です。
しかし、楽譜へのノーテーションは想像に働きかける力があるので、こういったことを想像していく過程も含めて音楽を読み取っていく楽しさと言えますね。
‣ 3. どういう意味?白玉についた松葉
ドビュッシー「前奏曲集 第1集 より デルフィの舞姫たち」
譜例(PD作品、Finaleで作成、曲尾)
ピアノは「減衰楽器」なので、一度音を出したらその音の中でクレッシェンドやデクレッシェンドをすることは、特別な奏法を使わない限りできません。
したがって、譜例のように「白玉についた松葉」はどのように解釈をすればいいか迷うはずです。
これは、「音楽の方向性を示したイメージ」と考えてください。
この譜例の場合は、f から pp へ移行する際に「音楽がおさまっていく」という方向性を示した松葉が、楽曲の終息を告げています。
また、この松葉が書かれていることで「ダイナミクスが段になっているというよりは、ひとつながり」というイメージが伝わってくるように感じます。
結果的に、「この2つの小節は別々のものではなく、関連性のあるもの」という感覚を持つことができるでしょう。
音楽の方向性を示したイメージとしての松葉は、極論、「無くても成立するもの」です。
しかし、それがあることで作曲家のイメージを想像する手がかりになるので、決して軽視せずに注意深く読み取る必要があると言えるでしょう。
‣ 4. クレッシェンドの到達点のダイナミクスをどうするか
ラヴェル「クープランの墓 より フォルラーヌ」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、132-134小節)
132小節目ではpp からクレッシェンドをしていきますが:
・到達点を赤色で示した134小節1拍目にする
・到達点を134小節目の p のところにする
これらのどちらにするのかによって随分と印象が変わってきます。
前者だと、いったん大きくしておき、すぐにsubito p 。後者だと、pp から p というように、少ししかクレッシェンドしないことになります。
どちらで演奏している例も見受けられますが、筆者は、「到達点を赤色で示した134小節1拍目にする」方が得策だと考えています。
(再掲)
理由としては、音楽のフレーズが赤色で示した134小節1拍目でいったん一区切りとなり、p のところからは新たなフレーズが始まっているから。
したがって、赤色で示したところが mf か f となるようにクレッシェンドして、新しいフレーズの始まりはsubito p で仕切り直した方が、音楽の構造がよく分かるダイナミクス表現となります。
加えて、赤色で示したところは和音が非常に厚いので、そこよりも直後の p のところの方が大きいとなると音楽エネルギーの逆を行ってしまうから不自然、というのも理由になるでしょう。
‣ 5. クレッシェンドの記譜法の違いから読み解く作曲家の意図
【ピアノ】クレッシェンドの記譜法の違いから読み解く作曲家の意図
‣ 6. 拍の途中から唐突に書かれている強弱記号の意味
ダイナミクス記号というのは、通常であれば「決まりのいいところ」に書かれています。例えば:
・楽曲のはじめ
・セクションのはじめ
・ダイナミクスの松葉の行き先
一方、拍の途中から唐突に書かれているケースもあります。例えば、次のような例。
ドビュッシー「子供の領分 1.グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
譜例(PD作品、Finaleで作成、60-62小節)
61小節目では2拍目に f と書かれていますね。
もちろん、subito f という意味ですが、もう一つ重要な意味を含んでいます。
「その記号の箇所から新しいフレーズが始まっていますよ、という目印」というような読み取り方もできます。
今回の譜例では「スラー」が書かれているので、フレージングを読み取るのは難しくありません。しかし、楽曲によってはレガートにして欲しくないところではスラーが書かれていません。そういった時に、「ダイナミクス記号を頼りにフレージングを読み取る」というテクニックが有効に使える場合があります。
‣ 7. subitoでダイナミクスを変える箇所の見抜き方
ドビュッシー「前奏曲集 第2集 より 奇人ラヴィーヌ将軍」
譜例(PD作品、Finaleで作成、101-102小節)
左の譜例(原曲)を見てください。
「 f からクレッシェンドして、f に達する」と読み取るとつじつまが合いませんね。ここでは当然、「フォルテからさらにクレッシェンドして、その後にsubitoでフォルテに戻す」と解釈します。
当然のことと感じるかもしれませんが、時々、右の譜例のように解釈している演奏を耳にします。これではドビュッシーが残した音楽を歪めてしまいます。
できる限り原曲と離れない範囲で最善策を考えていくのが許されるのは、明らかに強弱記号の書かれ方が分かりにくい場合のみ。
(再掲)
左の譜例(原曲)のように、松葉の ”直後” に作曲家がダイナミクス記号を書いてくれている場合は、subitoかどうかを見抜くのは比較的容易。
・クレッシェンドの直後に「同じダイナミクス」または「もっと小さなそれ」が書かれているのであればsubito
・デクレッシェンドの直後に「同じダイナミクス」または「もっと大きなそれ」が書かれているのであればsubito
早まって、右の譜例のような解釈を施さないように注意しましょう。
‣ 8. 一度の打鍵で fp を表現するためには
一度の打鍵に対して fp と書かれている例は、意外と多く見られます。
有名どころだと、以下のような作品:
・ベートーヴェン「ピアノソナタ第5番 第1楽章」
・ベートーヴェン「ピアノソナタ第6番 第1楽章」
・ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 第1楽章」
結論的には、「fp と書かれた意図を推測して、その箇所にとって一番適切だと思われる方法を選択する」ことになります。
以下、複数の解釈を学習しましょう。
【一種の「アクセント表現」と解釈する】
ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 悲愴 ハ短調 op.13 第1楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
ここでの fp では、複数の解釈ができるでしょう。そのうちの一つが、「一種のアクセント表現と見なす」というもの。
「この音のみが f で、他は p です」という表現を意図したアクセント。
当たり前のことと思うかもしれません。
しかし、まずは f とだけ書いておいて次の音が出てくる箇所に p と書いたのでは、出てくるサウンド自体はあまり変わらなくても、楽譜から伝わる内容が全くの別物になります。
f の打鍵が終わった “直後” から p の世界だと伝えるには、fp と書くべきなのです。
【一種の「フェルマータ表現」と解釈する】
(再掲)
考えられるもう一つの解釈は、「一種のフェルマータと見なす」というもの。
「f で打鍵した後に、余韻が p まで減衰したら次の音へ進んで欲しい」という表現を意図したフェルマータ。譜例のように、すぐ次に音が無いところでは有効に使えるうえ、比較的、fp に近い表現が手に入ります。
作曲当時のピアノは現代のピアノよりも減衰が速かったので、こういった表現がより効果的であったと言えるでしょう。
【その他の解釈案】
(再掲)
その他の解釈の一つとして考えられるのは、「楽譜上の情報量をシンプルにしたかった」ということでしょう。
「fp(フォルテピアノ)」と書いておけば、その後に「ピアノ(弱く)」と書かなくてもいいので、楽譜がシンプルになります。
楽譜には「利便性を追求する」という意図もあるために、楽譜上の情報量をシンプルにする必要性もゼロではありません。
もう一つの解釈を挙げるとすると、「オーケストラを想像していた可能性がある」ということでしょう。
特に譜例の楽曲では、ピアノ曲であるにも関わらず「オーケストラが聴こえてくる箇所」がたくさんあります。オーケストラで演奏するとしたら、「fp(フォルテピアノ)」も表現できます。
【制約はあるけれども、本当に fp に聴かせる方法】
上記の譜例の箇所では不可能ですが、文脈によっては本当に fp のように聴かせる方法もあります。響かせたい音によっては、「倍音」を使用することで表現可能です。
譜例(Finaleで作成)
ひし形のA音を音を鳴らさずに押さえておき、ノンペダルで16分音符で書いた音を鋭く演奏します。そうすると、丸印で囲った音がハーモニクスとして響くのです。
ハーモニクスの音は弱音で背景のように響くので、まるで fp を表現したかのように聴こえなくもありません。
もちろん全ての音でできるわけではありませんが、譜例以外の音を使ってもいく通りかはハーモニクスを表現可能。
倍音について勉強すると、このテクニックを応用することができます。
‣ 9. ラインの重要性を示したアクセント
作曲家は「アクセント記号」や「テヌート記号」を「ここのラインが重要、という意味のサイン」として使うことがあります。
ラヴェル「メヌエット 嬰ハ短調 M.42」
譜例(PD作品、Finaleで作成、16-18小節)
丸印で示したラインにアクセント記号がついている理由は、
ただ単純に強調して欲しいという意味だけではなく、「このラインが重要、という意味のサイン」として書かれていると考えられます。
そうでないと、「いかにも主役に聴こえるトップラインのメロディよりも強調するのか」などという疑問が出てきてしまいます。
上記の譜例のように:
・内声部分に隠された重要ライン
・伴奏部分に隠された重要ライン
などを示したい場合、作曲家は頭を悩ますことになります。
大事なラインを伝えるために、楽譜上そのラインに存在感を与える必要があり、「アクセント」「テヌート」などの記号を書くことでサインにするということなのです。
ちなみに、以下のようにして存在感を与えることもあります。
ドビュッシー「子供の領分 1.グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、3-5小節)
上段に注目してください。
「声部分け」することで、細かいパッセージの中にある大切な音を説明。このやり方の方がより多く見かけます。
譜読みの途中で解釈に迷う記号や記譜を見かけたら、今回取り上げたパターンのどれかに当てはまらないかを考えてみてください。
作曲家によって記譜というのはあらゆる意味を持つのです。
‣ 10. più、meno、pocoがついた強弱記号の強さ関係
【ピアノ】più、meno、pocoがついた強弱記号の強さ関係
‣ 11. 音符の上の < > 記号の意味とは?
► B. テンポ、フェルマータ
‣ 12. a tempoへ戻す位置に悩む時の解決策
譜例を見てください。このような楽曲があるとします。
譜例(Finaleで作成)
直前からかかっている rit. をどこで a tempo に戻すのかは、次のように2パターンあるでしょう:
・楽譜通りに小節が変わったところから戻す
・点線を入れた箇所から戻す(この譜例の場合は、こちらがオススメ)
a tempo が書かれている直前の音は16分音符という「短い音価」なので、楽譜通り小節の頭から a tempo にしようとすると、この16分音符をどう処理していいか分からなってしまうということなのです。
rit. をたくさんかけている場合は、「16分音符よりも次の8分音符の方が短くなるの??」などといった疑問が生じます。例えばこれが、4分音符などの「長い音価」であれば特に問題はないのですが。
そこで、点線を入れた箇所のように、キリのいい “音が伸びている拍” からテンポを戻してしまうといいでしょう。
言うまでもないことですが、こういった4拍目で伴奏型が細かく動いていたりする場合にはこの手は使えません。
作曲家の中には、キリのいいところに a tempo と書くクセがある方もいるので、譜例のように小節頭に書かれている楽曲は結構あります。
実際の楽曲では、ショパン「ワルツ第1番 華麗なる大円舞曲 Op.18 変ホ長調」などで、似たような例が出てきます。
今回取り上げたような「a tempo の位置をずらした解釈」は、作曲家の意図を無視しているわけではありません。その方が音楽の方向性が見えやすくなるのです。
困った時の解決法の一つとして引き出しへ入れておきましょう。
‣ 13. 伸ばしている音符だけにrit.が書かれている意味
譜例(Sibeliusで作成)
武満徹「リタニ マイケル・ヴァイナーの追憶に より 第2曲」という楽曲には、譜例のように伸ばしている音符だけに rit. が書かれている表現が見られます。
この作品は2024年現在、著作権がパブリックドメインになっていないので、音程などの詳細を伏せた簡略譜で見てください。
rit.が書かれてはいるものの、その範囲中で音符が動いたりしているわけではないので、どこでrit.をすればいいのか迷いますよね。
これは基本的に「微妙なゆらぎの表現」と考えてください。
筆者自身は作曲をする時、以下のようなケースでは伸ばしている音符だけに rit. を書くことがあります。
拍子記号を変えてまで1拍のばしてしまうと特別な意味をもってしまうため、それは避けたい。
このような条件下、つまり、微妙なゆらぎが欲しいときというのは意外と多く、おそらく上記譜例のところでも作曲者の中に似たような意図があったのではないかと考えられます。
・SJ1057 武満徹:リタニ―マイケルヴァイナーの追憶に― ピアノのための
‣ 14. J.S.バッハが示す、終止音と終止線上のフェルマータの違い
J.S.バッハが用いた器楽曲の曲尾のフェルマータには、区別が必要です。
・終止音上のフェルマータ
・終止線上のフェルマータ
これらをJ.S.バッハは使い分けているので、必ず意識して区別をし、混同しないようにしましょう。
【終止音上のフェルマータが使われた例】
J.S.バッハ「インヴェンション第1番 BWV772」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
【終止線上のフェルマータが使われた例】
J.S.バッハ「インヴェンション 第6番 BWV 777」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
終止線上のフェルマータに関しては、
「フレージングとアーティキュレーション―生きた演奏のための基礎文法」著 : ヘルマン・ケラー 訳 : 植村耕三、福田達夫 / 音楽之友社
という書籍に、以下のような記述があります。
(以下、抜粋)
[終止線上のフェルマータの場合には]
音楽が聞えないながら響き続けているようにせよというのであって
終止和音が延ばされるのではない。
(抜粋終わり)
要するに、「J.S.バッハ自身がその音楽をどう聴いていたのか」というのが読み取れる記譜法になっているわけです。
・フレージングとアーティキュレーション―生きた演奏のための基礎文法
著 : ヘルマン・ケラー 訳 : 植村耕三、福田達夫 / 音楽之友社
‣ 15. フェルマータの長さに迷った時の解決策
J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第22番 BWV 867 ロ短調 より プレリュード」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
最終小節は5声で終わり、ソプラノでは全音符B音にフェルマータが書かれています。他の声部では3拍目に書かれていますね。
もちろん全声部を同時に切ればいいわけですが、もう少し突っ込んで考えてみましょう。
「フェルマータが書かれた部分はどれくらい伸ばすべきなのか」ということが音楽用語集によっても様々であるため、結局のところ、その音楽ごとに解釈するしかないわけです。
ただし作品によっては、楽曲の最後などで他の声部を先に消して一声部だけを残して終わらせるものもあるため、譜例のような書かれ方をしていると、一瞬戸惑いが起きたりするのです。
決してJ.S.バッハが悪いわけではありません。
しかし、もし筆者が今の時代に作曲するとしたら、次の譜例のように書くでしょう。
(譜例、ソプラノを解釈しやすくしたもの)
このように、2分音符2つをタイで結び、後ろの2分音符にフェルマータを書くことで、演奏者に解釈の迷いを与えなくなり、他の声部との整合性をとることができます。
「一時停止」という意味があるフェルマータの本質から外れることもありませんね。
► C. リズム
‣ 16. ピアニストでも楽譜通りのリズムで弾かない付点リズム
モーツァルト「ピアノソナタ第8番 K.310 第1楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、123-124小節)
譜例の右手パートを見ると、付点8分音符のトリルに加えて、ふたつの32分音符が付けられたリズムが出てきています。
しかし、Allegro maestoso でそこそこテンポが速いので、左手の16分音符ですら結構な速さで動いており、
そのよっつめの音にあわせて32分音符をふたつ入れて、しかも、その前でトリルする、というのが難しいですね。
ゆっくりのテンポで練習している時には楽譜通りのリズムでも弾けてしまうので、テンポを上げたときに初めて困ることになってしまう。
ピアニストの演奏を聴いていると、リズム通りに弾かず5連符や6連符で弾いてしまっています。リズム通り弾いているピアニストはひとりも知りません。
これはどういうことなのでしょうか。
(再掲)
トリルの終わりに書かれているふたつの32分音符は、あくまでも、「トリルの終わりにはこのふたつの音程の音符を弾いて欲しい」
という意味であり、ガイド的に書かれた32分音符ということ。
急速なテンポの場合、ピッタリ32分音符のリズムで入れて欲しいというわけではないのです。
モーツァルトは、上記の作品に限らず多くのピアノ曲でこの記譜を使用しているので、本記事の内容を覚えておいてください。
‣ 17. なぜ、J.S.バッハの付点は3連符に合わせるのか
【ピアノ】なぜ、J.S.バッハの付点は3連符に合わせるのか:記譜法から見る演奏解釈
► D. ペダリング
‣ 18. 「ダンパーを外して」の意味を理解する
ベートーヴェン「ピアノソナタ第14番 月光 第1楽章」の最初に「ダンパーを外して」と書かれています。
これは間違えられがちなのですが、「ダンパーペダルを使用して」という意味。
「ダンパーペダル」ではじめて「ダンパー」という用語を知った方は、この用語を、音を伸ばすためのものだと思い込んでいる方もいるのではないでしょうか。
実際は逆で、ダンパーとは「弦の響きを止める装置」のことです。
(再掲)
ピアノでは、音域によって弦の本数が異なりますが、この写真の箇所は一つの鍵盤に対して3本の弦が張ってあります。
黒いものがダンパーです。弦3本に対して、ダンパーひとつが対応していますね。
打鍵していない状態、つまり鍵盤が上がっている時、各鍵盤に対応する弦は各鍵盤に対応するダンパーとくっついています(写真は、くっついている状態)。
打鍵するとその鍵盤に対応する弦から対応するダンパーが離れるので、響きを止めるものがなくなって音が響きます。
その鍵盤を上げるとまた弦にダンパーがくっつくので、鳴っていた響きが止まります。
今解説したのは、「鍵盤単位」での話です。
一方、ダンパーペダルを踏むと鍵盤単位ではなく全ての鍵盤に対応する全てのダンパーが一斉に弦から離れるように設計されています。
したがって、どの鍵盤を弾いても音が響き続けるのです。
もうお分かりですね。「ダンパーを外して」という指示の意図する内容は、「弦からダンパーを離して欲しい」ということなので、「ダンパーペダルを使用して」という意味になります。
‣ 19. シューマンのペダル指示の特徴:曲頭のペダル記号の意味
ロベルト・シューマンのピアノ曲では、かなり多くの作品の「曲頭」で作曲者によるペダル指示が書かれています。
チョコンとペダル記号が書かれていて、それ以降の詳細なペダル指示は書かれていない。
これは「踏みっぱなしにする」という意味ではなく、con ped. と同義で「ペダルを使ってください」という意味だと考えてください。
明らかに con ped. だと分かるような曲頭の場合でも指示しています。
このようなやり方でペダルを指示し、それも多くの作品で取り入れた作曲家はシューマンくらいであり、それが彼の譜面の特徴の一つにもなっています。
シューマンの作品に限らず、作曲家自身によるペダル指示というのは:
・音楽表現そのものであったり
・記譜のこだわりであったり
・作曲当時の楽器の特性だったり
様々な要素を読み取る重要なサイン。その意味を考えるクセをつけましょう。
‣ 20.「遠くで」を表現する音楽的アプローチ
作品によっては、「遠くで」などと作曲家自身が書き込んでいることもあります。
例えば、ドビュッシーは「lointain」という用語を用いていますし、その他、あらゆる作曲家が「遠くで」という言葉とともに「音楽の奥行き(距離感)」の表現を要求しています。
では、奥行き(距離感)を出すためにはどのように演奏すればいいのでしょうか。
やり方は色々とありますが、最も基本的かつ取り組みやすいのは「ソフトペダルを使用する」という方法です。
音が遠くで鳴っているように聴かせるために必要なのは、「音量のコントロール」よりも、むしろ「音色のコントロール」。
「音量は小さいけれど、かたい音」を出してしまっては、音像は近くにいるように聴こえてしまいます。
そこで、ソフトペダルを使用することで音色を曇らせるのが効果的というわけなのです。
もう一つ、ペダリング面で奥行き(距離感)を出すための方法として「ダンパーペダルを使用する」という方法があります。
これは意外かもしれません。
一般的に、余韻が多ければ多いほど音像が遠くに聴こえます。
例えば、「録音」でステージ上でのアンサンブルを擬似的に表現する場合、奥に配置されている楽器ほどリバーブ(残響)を多くつけてあげているのです。
そうすることで、遠くに配置されているように聴こえさせることができています。
各楽器にマイクが立てられている場合、リバーブ処理しないと、どの楽器もほぼ同じような位置から聴こえてくることになってしまいます。
ダンパーペダルを踏むことで余韻が多く付くのは、感じたことがあるはずです。
つまり、柔らかい音色で静かに弾き、ダンパーペダルで余韻をつけることで音の奥行き(距離感)を出すことができるのです。
ただし、この方法が使えるのは「遠くで」と書かれているところの直前でダンパーペダルを使っていなかった場合のみ。
音の奥行き(距離感)を出す方法の基本:
・ソフトペダルを使用する(最も基本的かつ取り組みやすい)
・柔らかい音色で静かに弾き、ダンパーペダルで余韻をつける(使える場面は限られるが、効果アリ)
► E. スタッカート
‣ 21. スタッカートとペダルの同時指示の意味
ショパン「ノクターン(夜想曲)第1番 変ロ短調 Op.9-1」
譜例(PD作品、Finaleで作成、曲頭)
メロディに出てくるスラーとスタッカートの同居に注目してください。
これを「音を切る」という意味で解釈してしまったら、曲想にまったく合わなくなってしまいます。
ダンパーペダルを使用して音はつなげて、手は「スラースタッカート」で演奏することで、「音はつながっているけれど軽い空間性のある音にしたい」という意図があると考えられます。
ダンパーペダルを使用して手でレガートにするのと、ダンパーペダルを使用して手はスラースタッカートにするのとでは、出てくるサウンドが大きく異なります。
作曲家の狙いは以下のような音色操作である可能性:
・「切ってください」という意味ではなく、「軽い空間性のある表現が欲しい」という意図
・スタッカートとペダルの同時使用は、指レガートの場合よりも一つ一つの音の粒が明瞭に聴こえるので、その意図
ダンパーペダルを使用した状態での「スラー+スタッカート」もしくは「スタッカート」は、「音色操作(トーンコントロール)の意図」を疑ってください。
ラヴェル「水の戯れ」などで、「水をイメージした空間性のある音」で演奏したいときなどにも応用可能。
ダンパーペダルを使用しながらも、あえて手は「ノンレガート、バロックのタッチ」で演奏すると曲想にあった雰囲気が出てきます。
‣ 22. タイでつながれた音にスタッカート : 演奏方法
‣ 23. 2分音符にスタッカートがついている意味
► F. 旗・連桁
‣ 24. フレーズ構造を示す越小節連桁
バルトーク「ミクロコスモス第6巻(140~153)143番 交替する分散和音」
譜例(PD作品、Finaleで作成、曲頭)
この譜例では、小節線を越えて連桁がかけられています。
なぜわざわざこのような記譜がとられているのでしょうか。
たいていの楽曲におけるこのような記譜は、フレーズがどうなっているのかという、その構造を示したもの。
譜例の場合は、3小節間にわたる大フレーズの中にある小フレーズを示すために小節線を越えた連桁が必要だったということです。
この作品では作曲家が視覚的に書き残してくれていますが、小節線をまたがせてまで視覚的に示してくれていない楽曲もあるので、演奏者がフレーズ構造を判断しなくてはいけません。
‣ 25. 「直線の旗」 演奏方法に迷いやすい記譜
譜例(Finaleで作成)
休符の直前にある音符の旗が、「直線」になっています。特に近現代の作品でよく見られる記譜です。
このような「直線の旗」は、通常の旗の役割と変わりなく、「通常の旗と同じ演奏方法」と解釈しておけば問題ありません。
では、なぜこのような特殊な書き方が存在するのでしょうか。
簡潔に言うと、「見た目の問題」が理由です。笑い話のようですが、多くの邦人作曲家はこういった理由で直線の旗を使っています。例えば、「バッと勢いよく音を切って欲しい時には、直線の旗の方が雰囲気が出る」などと話す方もいます。
記譜というのはある程度の「利便性」を追求しているのが通常ですが、今回の内容のように「譜面から緊張感や雰囲気を伝える」ということも作曲家側にとって「こだわり」であり、重要な要素なのです。
► G. フレージングとアーティキュレーション
‣ 26. ドビュッシーが用いたヴィルギュルの意味
ヴィルギュルとは、フランス語では「文の区切り」を示すために使われる記号です。楽譜に書かれているのも時々目にします。
ドビュッシーによる一例を見てみましょう。
以下の譜例の「2小節目終わり」と「7小節目終わり」に出てきている記号がヴィルギュル。
ドビュッシー「前奏曲集 第1集 より 雪の上の足跡」
譜例(PD作品、Finaleで作成、1-8小節)
記号を見ると検討つくと思いますが、ドビュッシーはヴィルギュルを「呼吸」の意味でとらえていたと音楽学の分野で明らかにされています。
この楽曲では以上の2箇所のみで出てきます。
しかし、ヴィルギュルなど書かれていなくてもスラーでフレージングが切れていますよね。
そう考えると、どういう意図のヴィルギュルなのか理解に迷いませんか?
以下の2つの意図があると考えられます:
・「その前後のメロディが、あくまで断片である」ということの強調
・「少なくともここでは呼吸を入れてほしい」という、最低限の要求
作曲家の武満徹が「雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に-」の中で、高音域部分に「Celestially Light(天上の光)」と書き込みました。作曲家というのは、必ずしも演奏に劇的な変化を及ぼさなくてもちょっと素敵になるような細かなこだわりを書き込むのが普通です。
もしかしたらドビュッシーも、演奏に大きな影響はなくても自分の希望をちょっと譜面上に残したかった、それくらいの気持ちで書いたのかもしれません。それか、ヴィルギュルがフランス語で使われるようにこの楽曲を一編の文章のように扱ったのか…。
演奏者によってさまざまな解釈がありますので、いざ弾くことになったら自身の考えも巡らせてみましょう。
‣ 27. ニュアンスが不統一のオクターヴユニゾンの解釈
ドビュッシー「サラバンド(ピアノのために 第2曲)」
譜例(PD作品、Finaleで作成、66小節目)
このように、初版の下段では「1拍目のスラー」「2拍目のテヌート」が書かれていません。
判断のポイントは以下のようになります:
・明らかに「省略」「抜け落ち」と判断できれば、統一して演奏する
・「音色のための工夫」等と判断できるのであれば、楽譜通り演奏する
【明らかに「省略」「抜け落ち」と判断できれば、統一して演奏する】
(再掲)
この譜例の場合は、明らかに「省略」「抜け落ち」と判断できるため、統一して演奏すべきです。
他の版も比較してみたところ、テヌートが書かれていないものと校訂者によって補われているものがほぼ半々でした。また、このメロディは楽曲の中で何回か出てきますが、他のところでは「スラー」「テヌート」が書かれています。
これらから判断すると「明らかに省略されたか、抜け落ちた」と判断できるでしょう。
この作品に限らず、もし不統一のところがある場合は、以下の2項目を検討してみましょう:
・可能であれば、他の版を参照して比較する
・同じ楽曲の似た音型の場所も調べて比較する
ドビュッシー「子供の領分 6.ゴリウォーグのケークウォーク」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、1-4小節目)
3-4小節目の16分音符のように「両段ともスラーが書かれていない場合」には、「抜け落ち」ではなく「意図的」であると判断できますね。つまり、ノンレガートです。
弾きやすくなるからといって、こういったところで勝手にスラーを補ってはいけません。
【「音色のための工夫」等と判断できるのであれば、楽譜通り演奏する】
ドビュッシー「子供の領分 4.雪が踊っている」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、22-25小節)
ここでは、ソプラノのメロディの2オクターヴ下でバスもメロディを演奏しています。音価だけでなくアーティキュレーションも不統一です。
言うまでもありませんが、これは明らかに「音色のための工夫」。
「長い息で歌うソプラノ」に対し、「ペダルを使っていても手は切ることでポツポツした響きのバス」をオクターヴユニゾンさせて音色を作っています。
この例の他にも、「片手はレガートでメロディ、もう片方の手はスタッカートでメロディ」というようなオクターヴユニゾンも時々見られ、やはり「音色のための工夫」と言えます。省略や抜け落ちではありません。
オーケストラでも、「レガートのメロディに、切れるピチカートのメロディを足して音色を作る」などといったことは頻繁に行われます。
‣ 28. テヌートの連続とレガートの違いとは?
【ピアノ】テヌートの連続とレガートの違いとは?演奏法と使い分けのポイント
► H. 孤線
‣ 29. スラー?タイ?
譜例(Finaleで作成)
譜例左を見てください。
”同音” 同士が孤によってつながれている場合、多くの場合は「タイ」と解釈します。しかし、同じ記譜であっても、録音を聴いていると「スラー」で演奏している楽曲もあります。
これは正直、「その楽曲の慣習的な演奏法による」と言うしかありません。
一方、区別できる場合もあります。
楽曲によっては、譜例右のように「スタッカート」か「テヌート」あるいは「その両方」が書かれていることも。このような場合は、それらの記号があることで「タイではない」という意味になるので、「スラー」に肉薄するように同音連打をして演奏します。
その場合のスタッカートは、「音を短く切る」という解釈もできますが、「 “スラーではありません” ということを説明するだけの意味」で書かれている可能性もあり、どちらの解釈をとるかは演奏者に任されています。
‣ 30.「ヒゲ(気分のタイ)」の意図とは?
譜例(Finaleで作成)
このような「ノーテーション(記譜)」は時々目にすると思います。
ここで見られる孤のマークは、余韻を残して欲しい時に使われるもので:
・ヒゲ
・気分のタイ
などと呼ばれることがあります。
なぜ、あえてこのような書き方をすると思いますか?
以下の理由に集約されます:
・単純に、見た目の問題でつける
・場合によっては、「手では切ってしまい、ペダルで音響を残す」という意図
‣ 31. 短い音価の音符につけられたヒゲの意味
まず、前提として以下のことを再確認してください。
ペダルで音自体はつながっていても、手でもレガートにしないと、出てくる音はレガートに聴こえない。
前項目では:
・全音符につけられたヒゲ
・小節線の上につけられたヒゲ
に関する以下の譜例を取り上げました。
(譜例1)
その際のヒゲの意味は、以下の2点でした:
・単純に、見た目の問題でつける
・場合によっては、「手では切ってしまい、ペダルで音響を残す」という意図
この2つでした。
基本的には、短い音価の音符につけられたヒゲの場合も同様と考えてOKです。
(譜例2)
この譜例のような場合、上記2つのどちらの意味でもヒゲは使われます。
しかし、短い音価の音符につけられた場合は、「手ではなく、ペダルで音響を残して欲しい」という意図がより濃くなります。「ダンパーペダル+スタッカート」とほぼ同義ということ。
‣ 32. 音符の前につけられている弧の意味
【タイと考えてよいケース】
ドビュッシー「夜想曲」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
2小節3拍目のDes音のオクターヴでは、音符の前に弧がつけられています。直前の音符の後ろから出ている弧は1拍目の2分音符についていますね。
これは「タイ」と解釈してください。
無理矢理タイをつなぐこともできたわけですが、それでは見にくくなってしまうため、このような記譜法がとられたのです。
(再掲)
この楽曲では「muettes(無音)」と言葉でも書かれていますが、書かれていない楽曲であっても基本的には「タイ」であると解釈してください。
タイというのは「直前の “同じ音程” の音符」があってこそです。したがって:
・直前の音符が異なる音程
・直前の音符の後ろから出ている弧自体がない
などといったケースでは、「タイではない」ということになります。
ただし、そういったケースではこのような記譜法はほとんど使われません。例外的に使われるケースは、次の項目のような場合です。
【現代音楽では別の意味でも】
特に現代音楽の分野では、「その音へ、丁寧に入って欲しい」という意味で音符の前に弧がつけられることも。これが、前述の「例外」にあたります。
譜例(Finaleで作成)
この記譜に関しては、次項目で解説します。
‣ 33. 休符から伸びているように見えるタイ?
譜例(Finaleで作成)
休符から次の音へ向けてタイらしき孤が伸びているように見えますね。これは、特に近現代の作品でよく見られる記譜。
どのように演奏すればいいのでしょうか。
これは「休符から伸びている」というより、「音符の前についている」と考えましょう。
意味としては、「その音に丁寧に入ってください」という意味で使われることがほとんどです。この譜例で言えば、「孤がついている8分音符の音を丁寧に打鍵する」ということ。
特に p や pp などの弱奏の時に、打鍵のニュアンスの指示として作曲家が使用する孤なのです。
► I. 装飾音
‣ 34. 和音に前打音がついている場合の演奏方法
ラヴェル「クープランの墓 より メヌエット」
譜例1(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
この作品の楽譜には、作曲者のラヴェル自身により以下のような一言が書かれています。
「前打音を拍の前に出さずに拍頭と合わせる」ということ。
しかし、前打音をゆっくり弾いてしまうと1拍目の感覚が乱れてしまううえ、記譜通りに前打音の直後に和音を弾こうとすると意外とやりにくい。
これには解決策があります。
以下の譜例2のように、和音の下の方の音と前打音を同時に弾きはじめてください。とても弾きやすくなります。
譜例2(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
ピアニストの演奏音源をよく聴くと、このように弾いているピアニストが多くいることに気がつくはず。
この弾き方はすでに慣例化しており、
「レシェティツキー・ピアノ奏法の原理」 著 : マルウィーヌ・ブレー 訳 : 北野健次 / 音楽之友社
という書籍の中で、以下のように解説されています。
前打音については、重音または和音の場合、前打音をその下の音符といっしょにひき、それから旋律的主要音符をすぐに続けてひくべきだということだけ注意しよう。
低音部の伴奏音または伴奏和音は、前打音と同時にひかれるべきである。
(抜粋終わり)
・レシェティツキー・ピアノ奏法の原理 著 : マルウィーヌ・ブレー 訳 : 北野健次 / 音楽之友社
► J. 運指
‣ 35. 2度音程の高速パッセージ
ラヴェル「水の戯れ」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、18-19小節)
19小節目からの上段を見た時に、どうやって演奏するのか迷いませんでしたか。
18小節目に書き込んだ運指のように「A・H」の長2度音程を「親指1本」で弾きます。
そうすれば、「E・Fis」を「2の指・3の指」、「A・H」を「4の指・5の指」というように分担可能。
親指というのは、側面を使うことで2つの鍵盤を同時打鍵するのに適している指。
指が足りなくて弾けなさそうなパッセージでは、一つの指で2音同時に押さえられないかを疑ってみてください。
もう一つ、少し極端な例を紹介します。
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第3番 Op.26 第3楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、312-313小節)
プロコフィエフによる運指を見てください。
おそらく、「親指・人差し指・中指・薬指では、白鍵2音を同時に押さえて欲しい」という意味でしょう。
しかし、かなり高速なテンポですし、余程器用でないとそんなふうには弾けません。
結局、プロのピアニストでさえ以下の2パターンのどちらかで演奏していることがほとんどです。
・両手で分担して、この運指を避ける
・グリッサンドにしてしまう(オススメできませんが)
この作品に取り組む機会はあまりないかもしれませんが、運指の検討材料としては興味深いものとなっていますね。
► K. その他
‣ 36. 白玉と黒玉が混ざった団子和音の弾き方
モーツァルトの作品などでよく見られる「白玉と黒玉が混ざった団子和音」があります。
モーツァルト「ピアノソナタ 変ホ長調 K.282 第3楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、20-23小節)
20-21小節の右手で演奏する和音には白玉と黒玉が混ざっています。
本当の意味で声部分けされて独立多声的な扱いをされている場合の白玉と黒玉の混合とは意味が異なる、言ってみれば「団子和音」。
ヴァイオリンなど弦楽器の楽譜では4本の弦を同時には弾けないので、移弦の関係上、2:2などで分けてこのように書くことも多くあります。一方、鍵盤楽器の作品である上記の譜例の場合、どのような意図があるのでしょうか。
このような記譜の演奏方法については、専門家のあいだでも複数の見解があります。
2つの見解を紹介しておきましょう。
・新版 モーツァルト 演奏法と解釈 著 : エファ&パウル・バドゥーラ=スコダ 訳 : 堀朋平、西田紘子 監訳 : 今井顕 / 音楽之友社
という書籍の中で、著者は以下のように言っています。
一般には音の強調に関する指示とみなされるべき。
より短い音価で書かれている中声部や下声部の音を記譜通りの長さで弾くことは、おそらく誤りである。
・テュルク クラヴィーア教本 著 : ダニエル・G・テュルク 訳 : 東川 清一 / 春秋社
という書籍の中では、著者は以下のように言っています。
このような和音は、書かれている通りに正確に演奏すべきである。
特に理由は書かれていません。
(再掲)
二人の著者による正反対とも言える二つの見解が並んでいますが、筆者自身としては、上記の譜例のところでは前者で解釈して演奏しています。
f になった部分であり、音の強調に関する指示とみなした方がしっくりくることと、中声部や下声部の音を4分音符にする必要性が、少なくともこの譜例のところからは感じられないからです。
別の楽曲で、弦楽器を模したフレーズを鍵盤楽器で演奏しているような意図が感じとられるようであれば、テュルクの見解を採用して書かれている通りに正確に演奏してみるのもいいですね。
先ほど書いたように、移弦の必要性を鍵盤楽器で表現できるからです。
・新版 モーツァルト 演奏法と解釈 著 : エファ&パウル・バドゥーラ=スコダ 訳 : 堀朋平、西田紘子 監訳 : 今井顕 / 音楽之友社
・テュルク クラヴィーア教本 著 : ダニエル・G・テュルク 訳 : 東川 清一 / 春秋社
‣ 37. ossiaの選択:ピアノ演奏における判断方法
‣ 38. sopra(ソプラ)、sotto(ソット)と書かれている場合の弾き方
「sopra」は「上に」、「sotto」は「下に」という意味を持つイタリア語です。
これらは手が重なるときに使用される用語で、sopraと記された音符を弾く手が上側に、sottoと記された手が下側になることを示しています。
具体例として、バルトーク「ミクロコスモス第5巻(122~139)133番 シンコペーション」を見てみましょう。
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、11小節目)
この楽譜では、上段にsopra、下段にsottoと記されており、「右手が上、左手が下」という配置で演奏することを指示しています。
手の重なりが生じる箇所では、左右の手の上下位置によって演奏のしやすさが大きく変わってきます。
特に高度な楽曲では、数拍ごとに手の上下位置を入れ替える必要がある場合もあり、sopraやsottoによる指示は演奏者にとって非常に重要な情報となるでしょう。
このような手の重なりのテクニックは、バルトークだけでなく、ラヴェルの「前奏曲(1913)」や「水の戯れ」など、多くの近現代作品でも見られます。
これらのテクニックが必要な作品を練習する際は、sopraやsottoの指示がない箇所でも、自身で適切な手の配置を書き込んでおきましょう。
これにより、より効率的な練習が可能になり、スムーズな演奏につながります。
‣ 39. ベートーヴェンの初期作品に見られるカッコの意味
ベートーヴェンの初期作品を弾いていると、高音部の特定の音にカッコが付けられていて疑問に思ったことはありませんか。
例えば、次のような例。
ベートーヴェン「ピアノソナタ第7番 ニ長調 作品10-3 第1楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、21-22小節)
22小節目の高音部Fis音に()が付けられています。これは、「この音が出せるピアノを使っているのであれば、弾いてください」という意味です。
どうしてこんな書き方がされたのかを理解するには、歴史を知らなくてはいけません。
ごく簡単に解説します。
「ピアノソナタ第7番 ニ長調 作品10-3」が作曲されたのは、1790年代の末と言われています。
この頃のヴァルターのピアノには主に2パターンの音域があり、「F1 – f3の5オクターヴ」もしくは、「その長2度上まで」でした。つまり、「F1 – f3の5オクターヴ」では、譜例のFis音には半音届かないのですが、さらに長2度上まで出せるヴァルターのピアノであれば届くのです。
おそらく、この両者のヴァルターのピアノがあることをベートーヴェンは知っていたのでしょう。したがって、「この音が出せるピアノを使っているのであれば、弾いてください」という意味で、高音部Fis音に()が付けられている。
そのように、昔からの研究で言われ続けています。
ちなみに、譜例のソナタは「op.10-3」でしたが、作品番号でいう次の作品、「ピアノ三重奏曲 op.11」のピアノパートにも、「全く同じ高さのFis音」および「その半音上のG音」に()が付けられています。
これも同じ理由だと考えていいでしょう。
ベートーヴェンの作品を勉強していて何かつまづいたりした時には、その作品を作曲した時に彼がどんなピアノを触っていたかを調べてみてください。
何か小さなことでも、発見があるはずです。
► 終わりに
ここまで、様々な記譜法とその解釈について見てきました。
記号の意味を理解することは、作曲家の意図に沿った演奏への第一歩です。しかし、これらは固定的なルールではなく、むしろ音楽表現の可能性を広げるためのヒントとして捉えることが大切です。
この記事で得た知識を基に、様々な楽曲の譜読みに挑戦してみてください。
【関連記事】
▶︎ 楽曲分析を体系的に学びたい方はこちら
初級 楽曲分析学習パス
▼ 関連コンテンツ
著者の電子書籍シリーズ
・徹底分析シリーズ(楽曲構造・音楽理論)
Amazon著者ページはこちら
・SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら
コメント