演奏と創作の両面の例を挙げます。
まず演奏についてですが、
以前から何度も書いている「体格」の話題は
自分にとって頑張っても変えられない部分ですし、
変えようとしても意味のない部分。
という記事で
以下のように書きました。
手の大きくない方がどんなに頑張っても
12度や13度音程が届く作曲家の作った作品をバリバリ弾くのには
ムリがあります。
それくらい手の大きな演奏家が
バリバリ弾いているのに憧れて
ムリヤリ追従しても
その先に楽しみや喜びや希望はありません。
できる人と同じくらい時間を使っても
自分は一向にできるようになっていかないから。
我々には「選曲の自由」という武器があるのですから、
自分にとって頑張ってもできないことは認めて
できるところで挑戦すればいい。
筆者はいわゆる男性の中でかなり手が小さいほうで
体格的な理由で物理的に演奏不可能な作品なんて
いくらでもあります。
特に10代や20代の前半くらいは
そこにコンプレックスを感じていたわけですが、
あるときに、
酷使したり、頑張ったり、地団駄踏んだりするくらいであれば、
自分の体格に合った優れた作品を見つけて取り組んだり
そのような作品を自分で作ってしまえばいいと思ったわけです。
「自分にとって頑張っても出来ないこと」
ということのうち、
演奏に関する代表的なものは
自分の手を大きくすることです。
必要以上に
引っ張ったり、こすったり、騒いだりして
取り乱したり手を痛めてしまうくらいであれば、
「ピアノ曲は山ほどあるのだから、体格的にムリな楽曲なんて弾かなければいい」
って割り切ってしまえばOK。
それを判断して切り捨ててあげられるのは、自分だけです。
次に、創作について。
ずいぶん前のことですが
教えている音楽学校で学生から作曲の仕方をきかれたので
何の悪気もなく
ということを伝えたところ、
などと返答されて、悩ませてしまったことがあります。
次のレッスンまで引きずっていて
何だか悪いことをしてしまったような気になりました。
その学生は音感にコンプレックスがあったのでしょう。
筆者は自分の音感を活かしてそのような創作スタイルをとっているというよりは
さまざまなやり方を試してみた結果、
それがいちばん集中できてしっくりきただけのことです。
他の方法をとることもゼロではありませんし、
楽器を使わない創作のほうが優れているとも一切思っていません。
それは前提のうえでですが、
踏まえないといけないのは
楽器を使わないと作曲できないのであれば
これから頑張って音感の訓練をしても
基本的にはできるようにはなれないという事実と、
楽器を使って作曲すれば何の問題もないという事実です。
ここで先ほどの
「自分にとって頑張っても出来ないことは切り捨てよう」
の話が出てきます。
楽器を使わないと作曲できないのであれば
楽器を使って作曲する中で最大のパフォーマンスを出せるように
自分をもっていけばいいだけのこと。
天才と言われる武満徹は
いつもピアノを使って作曲していたことで知られています。
また、2023年に91歳で亡くなった有名な邦人作曲家も
ピアノの前でしか作曲しないことで知られており
アップライトピアノの前で丸椅子に座って楽譜を書いていたそうです。
楽器を使って作曲していた理由は
別のところにもあるのかもしれませんが…。
自分のもっているものや出来ることを活かして、
変えられないことには
悩んだり憧れたりせずに切り捨てる。
これが楽しく音楽を続けていくいちばんの方法だと思います。
自分にとって出来ないことは自分で判断するしかありません。
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