さまざまな作品の楽譜を見ていると
「simile(同様に)」って一言書いておけば済みそうなところに
わざわざ「fp fp fp」などと
同じことを繰り返して書かれているケースがありますね。
このような記譜法がとられる理由を考えたことはありますか。
作曲家によってその理由は多少異なりますが、
「譜面から見える印象のコントロール」
というところにだいたいの理由は集約されます。
記譜というのは
そのままを伝えるというよりは
奏者に印象や何かしらのプレッシャーを与えるというのが
役割としてはすごく大事なんです。
譜面で与える印象をコントロールするために
わざとそういうふうに書くことがある。
記譜って「人間から人間へ」みたいなところがありますね。
例えば、
わざわざ「fp fp fp」などと書くことで
音型が同型反復になっていることを
譜面から印象付けたいのかもしれません。
また、
緊張感やエネルギーを落として欲しくない、
というメッセージとして
「f f f」などと、毎回 f を書き直しているのかもしれません。
そのほかにも、
記譜を見ることで
作曲家の性格やその作品の位置付けなどが
垣間見れます。
「作曲家の性格」というのは例えば、
「譜面の情報量を減らしたいし、simileでいいや」
などと割り切ってしまうのか、
「いやいや、ぜったいにそこは譲れない」
などと思って細かく書くのかとか
そういったこと。
「作品の位置付け」というのは例えば、
教育用作品だから運指を多めに記譜するとか
そういったこと。
だからこそ
さまざまな作曲家や
さまざまな関係者の要請などによって、
そのときその作品にとっていちばん最適とされる
千差万別な記譜の楽譜が出来上がるわけです。
今取り組んでいる作品の楽譜を開いて
「譜面から見える印象」
ということをわざと意識したうえでながめてみてください。
作曲家の工夫やこだわり
時には、あえてとられたシンプル化
などといった要素が目につくはずです。
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