具体例で見てみましょう。
楽曲が変わっても基本的な考え方は応用できます。
ブラームス「6つの小品 ロマンス Op.118-5 ヘ長調」
譜例(PD楽曲、Sibeliusで作成、11-12小節)
クレッシェンドの途中の左手パートに
アルペッジョが書かれていますね。
とうぜんですが
このアルペッジョは
筆者のような12度音程に手が届かない奏者に迎合して書かれたものではなく、
表現としてのアルペッジョです。
したがって、
仮に12度音程が届く場合でも
自慢気に一度に押さえず
アルペッジョにして弾くべき。
作曲家が表現としてのアルペッジョを使うときというのは
◉ 親指で弾く音が重要な音になっていて、それを浮き彫りにして欲しいとき
などが代表的ですが、
もちろん、その場のその場で意図は異なります。
上記の譜例のところでは
「アゴーギクの表現と共にあるアルペッジョ」
と考えることもできるでしょう。
12度のような
音程が広めのアルペッジョの場合には、
演奏をするにあたって
どうしても微妙な時間がかかります。
バスが鳴らされるタイミングも
わずかに拍より前へ出されますね。
考え方によってはこれが味であり、
音楽のうねりになります。
(再掲)
ブラームスは力のある作曲家なので、
クレッシェンドとデクレッシェンドのあいだにある
小節のまたぎ目という、
やや時間が広がっても不自然ではないところの周辺に
アルペッジョを書いてくれています。
言い方は良くありませんが、
力があまりない作曲家が書いた作品や
一部の編曲ものなどでは、
音楽のエネルギーが明らかに前へ進んでいて
ゆるめるべきでないところで
時間をかけないと弾けないロングアルペッジョを書いてしまったりしています。
逆に考えると、
力のある作曲家が書いたアルペッジョは
アゴーギクの参考になる可能性があるということ。
意図的な場合を除き、
力のある作曲家は
音楽エネルギーの動向に反した表現付けをすることはありません。
繰り返しますが、
アルペッジョの使われる理由は
場面によってさまざまです。
本記事で取り上げたような視点も
可能性として覚えておいてください。
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