【ピアノ】72の実践アプローチで磨く音楽性と演奏力:独学でも確実に成長するための総合ガイド

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【ピアノ】72の実践アプローチで磨く音楽性と演奏力:独学でも確実に成長するための総合ガイド

► はじめに

 

本記事では、テクニック、作品解釈、学習方法に至るまで、72の重要な視点をお伝えします。

これらの知見は、単なる「こうすべき」という固定的な指示ではなく、音楽探求の方向づけを目指すものです。ピアノという楽器を通じて音楽に迫るための多角的なアプローチを、探っていきましょう。

 

► A. 学習態度とマインドセット

‣ 1. 目先の本番が決まっても、純粋に音楽を探求する気持ちを忘れない

 

弾きたくてたまらなかった作品の楽譜を手に入れて、はじめの1音を鳴らしたときの感動は忘れられません。その瞬間、素晴らしい作品に一歩近付けたような気がして、心が躍ります。筆者にもそのような作品はいくつかあります。

 

自分自身が純粋にその音楽に心惹かれて少しずつ紐解いていく楽しさと喜びは、何にも代えられないものですね。一つ一つの音符が語りかけてくるかのように作曲家の意図を探りその音楽の世界に没頭する時間は、かけがえのないひとときです。

 

しかし、もしその作品を大きな本番やコンクールなどで演奏すると決まったらどうでしょうか。

「こう弾くべき」「こう弾いた方がいい」などという対策にばかり意識が向いてしまうという話をよく耳にします。

場合によっては、先生から「お願いだから、本番が終わるまではこう弾いてくれ」などと言われるケースもあるようです。

 

その結果、作品への理解が深まるのであれば問題ありませんが、少なくとも、純粋に音楽を探求する気持ちだけはあっちへやってしまわないように気をつけなければいけません

 

大きな本番やコンクールで弾く場合でも、純粋に音楽を探求し続けられる学習者はいます。一方、それらのような目先の目標が決まった途端、自分自身が純粋にその音楽に心惹かれたときのことを忘れてしまうのは本末転倒です。昔の筆者が、その状態になっていました。

 

作品を少しずつ紐解いているときというのは、ある意味、自分自身がその作品に最も近い存在。

その親密な関係を大切にし、たとえ人前で演奏することになってもその作品と一番近くにいるのは自分自身であり続けるようにすることが重要です。

 

どんな状況でも練習する目的はそのままにしておく。練習する目的は音楽の本質を探求することだと心に留めておきましょう。

 

‣ 2. なぜ、「こう弾きたい」という意志を持つべきなのか

 

過去の巨匠の作品を演奏する時にどのように解釈するのかが問題になりますね。

中途半端な気持ちで迷いながら弾くくらいであれば、たとえ一部の第三者が聴いたら変でも「こう弾きたい」というのをはっきり持って弾いた方が余程説得力のある演奏になります。

なぜかと言うと、解釈が一つではなく例外のある分野だから

 

例えば、このWebメディアのピアノ記事でも「例外はあります」と断るべき時は断りますが、原則、言葉尻で逃げないで言い切るようにしています。もし、「こうでも良いですが、ああでも良くて、なので多分…」みたいな文章だったら、誰も読みたくないですし参考にしようとは思わないですね。

 

実際の演奏においても同様。

例外のある分野だからこそ、はっきりと断言しないといけない「こう弾きます」というのを全面に出すべきなのです。

どう弾きたいかをもっていないまま弾くのは、何も表現していないのと同じことです。

 

‣ 3.「こう信じてやっている」の精度を上げる

 

たくさんの作曲家や作品が存在し、その弾き方というのも多くの研究が残されてきています。

しかし、装飾音の入れ方をはじめあらゆる内容について、音楽学の専門家の中でも意見が割れるようなものはいくらでもあり、結局、どう演奏すればいいのか迷ってしまいますね。

 

まず必要なのは、その分野で有力と言われるような書籍には目を通しておくこと。そして、書かれていることを試してみること。

これが出発点であり、ここを省略してしまっては何となくで弾いているだけになってしまいます。

 

何冊かの書籍へ目を通すとある程度は方向性が見えてきますが、それでも正解なんてものは分かりません。

 

では結局どうすればいいのかというと、「こう弾きます」というのを決めてしまうことです。

変な迷いがあってやるくらいであれば、「こう信じてやっている」というのがある方が、演奏としてはずっと説得力のあるものとなります。学習を通してその精度を上げていけばいいということ。

 

時代や様式のこと、「重心(Schwerpunkt)」のつけ方をはじめ、「こう信じてやっている」の精度を上げるためにできることをたくさん吸収しましょう。ソルフェージュだけでは片付けられません。

 

‣ 4. 自分で理解していないことは他人に伝わらない

 

聴衆は必ずしも:

・「第1主題がここでこのように引用されて…」
・「この経過があるからこの次が活きてきて…」

などと、音楽的に構造的に聴いているわけではありません。もっと「感覚的」に「楽しんで」聴いています。

 

しかし、演奏者がそれらを分かっていなくてもいいかというとそんなことはありません。構造的なことを知っていることで、前後の弾き方はもちろん全体のバランスも変わってきます。

 

ここで強調したいのは、「自分で理解していないことは他人に伝えられない」ということ。

 

自分の意志が伴わない中途半端な理解による中途半端な表現というのは何も表現していないのと同じです。「ここはこうなっている」ということを理解したうえで、表現して伝えてください。

 

‣ 5. まとまり過ぎてしまうと変わっていけない

 

自分一人で作品を仕上げる力がある程度ついてくると、今までに知った手を使って無難にはまとめることができるようになります。

しかし、ここからさらに一歩前進するためには一度壊す必要があります。

 

今のままでその楽曲で新しいことを取り入れようとしても、自分の予想から動ける範囲で動いてしまったりと、あまり壁が破られません。

「まとめる力は必要だけど、現状に満足してまとまり過ぎてしまうと変わっていけない」ということ。

 

時々、「完璧、褒めて」状態でレッスンに来て改善点を述べると不機嫌になったり、そこまでいかなくても何も修正しようとしない生徒の話題が挙がりますね。

この状態はまさに、まとまり過ぎて頭と心の柔軟性が失われている典型例です。

 

ではどうすればいいのかというと、もし本番直前ではないのであれば、一時的にある部分が弾けなくなったりすることを当然のことと割り切ったうえで、優れた先人の発言や書籍などに挙がっている新しい提案を受け入れてみる勇気を持つことです。

このときに一番重要なのは、今の自分の音楽観を優先してしまって勝手に切り捨てずに、とりあえずやってみるということ。

 

一時的な不安定さを乗り越えると、安定したところから手だけを伸ばして何かを取っていた時よりもずっと大きな進歩が待っています。

 

‣ 6. 大きな展望が見えない時の潔い立て直し方

 

音楽を学習していて、その先に大きな展望が見えないこともあると思います。

本来、大きな展望があり、目標が全てその大きな展望の通過点として存在しているのが理想です。しかし、趣味としてようやくピアノという楽器が身近になってきた場合をはじめ、その先に自分がどのように音楽と関わっていくのかがイメージつかないケースも多いでしょう。

 

そのような時におすすめするのは、とりあえず目先の目標になってしまってもいいので、超短期での目標を決めてしまうことどんなに長くても半年以内に終わりが見えることですね。

人間、短期的に取り組むからこそ集中できますし、どうしても付きまとうようなちょっとの忍耐すらできます。長期的かと思ったり、ましてやずっと終わりが見えないなんて思ったら、うんざりするんですよ。

 

よく、目標がおじゃんになったという話を耳にしますが、それは大抵、「大き過ぎる」展望を作ったうえで、その過程に 「長期的」な目標ばかり置いているからです。

 

短期で集中する、そして、必要に応じて改善する、これをやることで確実に一段上がりますし、それを繰り返している中で大きな展望が見えてくる可能性もあります。

・集中したいのであれば、短期
・目標で挫折したくなければ、とりあえず短期

こう考えて、潔く立て直してみてください。

 

‣ 7. 間接的に影響を受ける学習方法

 

誰かのピアニストの演奏に影響を受けてその解釈や身振りまでをマネして弾いてみたことはあるのではないでしょうか。一定期間このような学習をしてもいいのですが、いつまで経ってもこればかりでは困ります。

 

好きなピアニストの演奏に限らず、その楽曲についてとにかくガチって学習する。しかしそのうえで、ピアノへ向かうときは自分のやりたいことを弾く。

このようにしてみてください。

そうすると、ある時に学習したピアニスト達の演奏から間接的に影響を受けていることに気づくはずです。

 

一つだけを参考にしてそれをマネするのではなく、たくさん吸収してそれらから間接的に影響を受けるやり方をすると、何かの劣化版コピーにはならないので、マネすることなく自分の音楽観が広がっていきます。

 

作曲や編曲の学習も同じ。ハナからマネしようと思って先人のひとつの作品を学習するのではなく、純粋に音楽そのものに興味を持って、あらゆる作品からガンガンに吸収する。

そして、自分で書く時にはコンセプトをもったうえでやりたいことを書く。

このようにすると、マネではなく間接的に影響を受けている自分に気づきます。

 

今回取り上げた学習方法のキモは、視野を広げて学習量自体は増やすということ。

筆者の場合、自分の作品がゆるんできたなと感じたら、いつもウェーベルンの分析へ戻るのですが、それをするとマネをするわけではなくとも自分の音楽が引き締まるから不思議です。

 

‣ 8. あらゆることを知って、忘れる

 

「ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授」著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

という書籍に、以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
全体的にいってゴドフスキーは、何でも知っている年配の聡明なユダヤ人でした。
彼は、巧く弾くためには全てを知る必要があり、その後で全てを忘れる必要がある、と言うのが好きでした。

(抜粋終わり)

 

必要だと思うことをきちんと学習するけれども、いざ弾くときには意識し過ぎずに自分で弾きたい表現を弾く。そうすることで、何かの完全なマネをするのではなく、間接的に学習内容から影響を受けることができます。

 

創作面では筆者自身、10年以上前にとあるベテラン作曲家から以下のように言われたことがあります。

「書いた曲は忘れろ。そうしないと次が書けないぞ。」

 

いつまでも一つのものに固執しているとその過去のマネをしてしまうだけになる、ということを言っていたのだと解釈しています。

 

全てを忘れる」せめて「忘れているフリをする」、というのはちょっとしたことのようでいて、かなり重要な意味を持っていますね。

 

・ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授 著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

‣ 9. 一通り学んだら、後は自分自身で最大限の知恵をしぼる

 

ピアノ学習へ入門する時には:

・鍵盤を見つめて
・どこにDoがあってどこにFaがあって

などといったピアノという楽器の仕組みを知ることに始まり、楽譜の読み方を覚えたりと、新たに吸収することばかりに感じるはずです。

 

このような状態は概ね中級へ入るくらいまで続きますが、ある一定のところまでいくと急に上達が頭打ちになったように感じる時が来る。

「知識的に新たに覚える」というよりは:

・総合的な音楽感を育てたり
・奏法などの目に見えないところをさらに磨いたり

といった段階へ入ると、前へ進んでいる実感が得にくくなるのです。そのように感じたことがある方もいるはず。

 

習いに行っている方は、この辺りの段階から先生の言うことも抽象的な内容に変わってくるように感じることでしょう。そうして、先生探しの旅に出てしまったりするようです。

しかし、このように感じてきたということは確実に上達している証拠だということを、分かっておかなければいけません。

 

問題はこの先。

この段階からさらに上のステップへ足をかけるためには、細かいことに徹底的にこだわりながら自分で知恵をしぼっていくしかありません。

 

「ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授」著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

という書籍に、以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
レフ・トルストイの言った、芸術においては〈ほんのちょっとしたこと〉が大切だ、を心に留め置いてください。
(抜粋終わり)

 

・「ほんのちょっとしたこと」にどれだけこだわることができるか
・「ほんのちょっとしたこと」を見かけた時にインプットして、どれだけ自分の中へ残していくことができるか
自分自身で最大限の知恵を絞って学習できるか

こういったことの積み重ねでやっと1mm成長して、さらにその積み重ねで上のステップへ上がっていくことができます。

 

・運指を変えてみたら、音色が少し良くなった
・ペダリングを変えてみたら、音響が少しクリーンになった
・丁寧に分析し直してみたら、演奏に活かせるちょっとした発見があった

などと、いい加減にやっていたら通り過ぎてしまうようなところにこだわり始めると、耳が開き、気づける自分になっていきます。

 

「ほんのちょっとしたこと」に目を光らせて学習するべきなのは創作でも同様。

学習の初めの頃は、楽式、和声、対位法、楽器法などをはじめとして段階的に学習できる教程が用意されています。しかし、ひととおりそれらが済んだらどうすればいいのかというと、手を動かしてひたすら実例を分析したり、その中から「ほんのちょっとしたこと」を発見しては音にしてみたりと、自分で学習の仕方を選択していくしかありません。

 

極論、どこまでいっても自分なのです。

ほんのちょっとしたことにこだわる。ひととおり学んだら、後は自分自身で最大限の知恵をしぼる。

特に中級以降は、常にこれらのことを意識して欲しいと思います。

 

・ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授 著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

‣ 10. レパートリーを維持する大変さを再認識して時間を大切にする

 

目の前にある楽曲を時間をかけて練習すればその楽曲は弾けるようになりますが、大変なのは、同時に何曲かを本番へあげるときです。

 

一つの作品を練習しようと思うと毎日結構な時間がかかりますし、しばらく弾かなかった作品は割とたやすく弾けなくなっていってしまいます。

一度に複数の作品へ取り組みそれらのピークを本番へもっていくためには、結局、時間を投下する必要があるのです。

 

筆者は、楽曲を維持する大変さを再認識して以来、時間を大切にするようになりました

 

また、少し弾かない期間があってもなるべく維持しやすくするためにはどうしたらいいのかだったり、寝かせた後に効率よく起こすためにはどうしたらいいのかについても考えるようになりました。

これについては、

【ピアノ】楽曲の寝かせ方・寝かせる期間・起こし方

という記事でまとめていますので、あわせて参考にしてください。

 

‣ 11. 必ずしも実技に直結しないちょっとした発見でも、いちいち喜ぶ

 

楽曲の譜読みをしたり音源を聴いたりしていると様々なことを発見するわけですが、その中には、必ずしも実技に直結しないちょっとした発見もありますね。

 

例えば、以下の譜例を見てください。

 

モーツァルト「ピアノソナタ ト長調 K.283 第1楽章」

譜例(PD楽曲、Finaleで作成、16-19小節)

ここでの動機素材というのは、モーツァルト「ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 第1楽章」のカデンツァにおいてもそっくりのカタチで出てくるのです。

楽譜を目で見るだけでなく、実際に音源を聴いてみて欲しいと思います。

 

こういったことを知ったからといって、それだけで演奏が上手くなるわけではありません。しかし、その作品へまた一歩、深く入っていけたような喜びがあります。

 

このような「必ずしも実技に直結しないちょっとしたこと」というのを発見する度にいちいち喜んでください

 

難しい楽曲を弾けるようになることだけが音楽の楽しさではありません。上記のような発見にいちいち喜びを感じるようになると、毎日の学習が数倍楽しくなります。

「自分に喜びを感じさせる方法」なんてありませんが、まずは、興味を持って欲しいと思います。

 

‣ 12. 今まで選択してきたものをもっと認識する

 

音楽をやっていると喜びは多くありますが、上手くいかなくて辛い思いをする時もありますね。

結局これらは、どこまでいってもそれまでに選択してきたものの結果です。

 

例えば、ピアノ学習をとっても:

・どんな教室へ習いに行くのか
・独学の場合は、どんな教材を使うかだったり
先生から怒られたときにどんな顔を作るのかだったり
・本番でどんな楽曲を演奏するのかだったり、
・どんな本番へ参加表明するのかだったり

他にも選択の連続。人にすすめられたことでも、最終的には自分で選択している。

 

そのときどきでどんな選択をしてきたのかということを一度振り返ってみると、そこに傾向が見えてくるのです。

 

・自分が心配性であることとか
・好きな楽曲の傾向とか
・他人の評価を気にし過ぎていることとか

何かの傾向を必ず把握することができる。

 

「今まで選択してきたものをもっと認識する」ことをやってみて欲しいと思います。

そうすることで上記のようなことが把握できるため、これからどういう風に音楽と向き合っていけばいいのかが見えてきます。

もっと言えば、全てが自分の選択の結果だと腑に落ちて、後悔していたいくつかのことがどうでも良くなります。

 

‣ 13. 小指を一生懸命鍛えても親指にはならない

 

基礎練習が重要視されているのは分かりますが、その目的を「全ての指を均等に強くすること」に置くのはどうかと考えています。

 

「ピアノの練習室」 著 : 小林 仁  / 春秋社

という書籍に、以下のような文章があります。

(以下、抜粋)
いくら均等に弾ける指が養われようとも、やはり本質的に備わっている指の特性というのは消えてなくなるわけではありません。
ある段階までいったら、こんどは逆にそうした指の特性が音楽の表現上、重要な意味をもってきます。
そこでこんどは指の特性と機能が最大限に生かしうるかという、実際的な「指づかい」の問題になってくるわけです。
(抜粋終わり)

 

「本質的に備わっている指の特性というのは消えてなくなるわけではありません。」とありますが、これは人間の能力そのものにも当てはまります。

筆者は、球技全般が本当に苦手なのですが、全力をあげて最大限に時間を投下して訓練すれば、そこそこできるくらいにはなると思います。しかし、得意にはなりっこありません。はじめから球技が得意な人よりも得意にすることは、逆立ちしても無理です。

生まれ持った能力の長所・短所は、原則、生涯変えられません。だからこそ、身を置くフィールドを選ぶわけですね。

 

結局、それぞれの指についても同じです。小指は小指として生まれてきたのだから訓練して親指のようにすることはできないし、する必要もありません。

 

では、基礎練習をして指や脳を鍛えることが全て無駄なのかと言えば、必ずしもそうではなく、必要な時もあります。

「必要な時」とはどんな時だと思いますか?

弱い部分が強い部分に対するボトルネックになっている場合です。

 

あらゆる複雑なパッセージがあると、弱い部分のせいで他が足を引っ張られていることもあります。こういったボトルネックが見えていて、それを解消することが目的になっているのであれば、基礎練習をする意味もあるでしょう。

 

・ピアノの練習室  著 : 小林 仁  / 春秋社

 

 

 

 

 

 

‣ 14. こだわりを持つ場所をずらす

 

時々、一つの作曲家ばかりに取り組む方がいます。それ自体は必ずしも悪いことではないのですが、筆者は「こだわりを持つ場所をずらしてみよう」と提案します。

 

例えば、ドビュッシーが好きなのであれば、「ドビュッシーばかり弾く」というのがこだわりではなく、「なぜドビュッシーを弾くのか」というところにこだわりましょう。そうすれば、それがライフワークになります。

 

ショパンがピアノ音楽ばかりを作曲したのも、「ピアノ音楽を作曲する」ということ自体にこだわっていたというよりは、「なぜピアノ音楽を作曲するのか」というところに自分なりのこだわりやテーマがあったのでしょう。

だからこそ、短期間ではなく一生をかけてピアノ音楽へ向かい合うことができました。

 

こだわりというのは、本来は意識して捉えるものではないのかもしれません。しかし、意識しているうちにそれが自分のこだわりに変わってくることもあります。

 

‣ 15. 弾きたい曲ばかりを弾いてしまう気持ちのおさえ方

 

2004年に「仔犬のワルツ」という、盲目のピアノ奏者をテーマにしたドラマが流行しました。

その直後、当時住んでいた家の近所の方が毎日毎日そのドラマの曲を弾いているのが聴こえてきたのを覚えています。数ヶ月は続いていました。

 

これは好きになった曲を楽しんで弾いていたのでしょうし、何の問題もありません。

しかし、もしピアノの学習をガンガン進めていきたいと思っているとしたら、好きな作品だけに偏るのはあまりいい傾向とは言えないでしょう。

一種の依存のような状態になると、吸収する音楽が四畳半になってしまう可能性があるからです。

 

依存かどうかチェックするのは簡単。

いつも好きな曲ばかり弾いてしまうこと自体は依存ではありません。今は違う楽曲をやるべきだと思っている時に自分でコントロールできないのが依存です。

 

音楽でも人でもそうですが、好きになった作品や人は良くも悪くも実際よりもすごいものとして見えてしまっています。これを知るだけで、少し気持ちをおさえられます

とりあえずは目の前のものが巨大化していると知っておいてください。

 

‣ 16. 難しさを避けたい気持ちとそこから生まれる別の難しさとの折り合いの付け方

 

難しさを持った箇所が出てくると、それに真正面から向かい合って何とかするか、もしくは、別の方法を使って回り込むことになります。

 

「回り込む」というのは例えば、「余裕がある方の手で、もう一方の手で弾く難しいパッセージ音を一部分担する」などといったやり方のこと。

 

しかしこのようにすると:

・一本の線のように聴かせるのが難しくなったり
・分担した部分で音色が変わってしまったり

などと、別の難しさが生まれる可能性も出てきます。

 

この両者の折り合いの付け方に困るケースも出てくるはず。

解決策はシンプルで、

自分が一番困難と思うところのみに対策をして、残りの部分に対しては練習で何とかするようにしてください。

 

先ほどの分担で例えると:

・少々難しく感じるところ全てで分担を検討するのではなく
・どうしてもうまくいかないところだけを分担
・残りは、少々大変でも作曲家が書き残した本来の演奏法を守る

このようにすると、新たに生まれる難しさにばかり悩まされることはありません。

 

こういうことって、どちらかへ完全に振り切って何とかしようとすると大抵うまくいきません。配分の落としどころを意識して折り合いをつけてください。

 

‣ 17. 時間はかかるけれど力になるのは「積み上げ式」

 

ピアノ練習に関してどの学習法が効果的かは、人によるとしか言いようがありません。

同じ学習法をとっても、その人の性格により吸収しやすさは違います。

例えば、「とにかくピアノに向かっていく」のが合う方がいれば、「机の上で丁寧に読譜をした上でないとピアノに向かえない」という方もいます。

・基礎練習は性格上、絶対に無理
・基礎練習大好き、基礎練ばかりで楽曲に進めない

などといったケースも。

 

とはいったものの、今までの経験上強く感じたことは、「時間はかかるけれども、力になるのは結局 ”積み上げ式” 学習」という結論です。

 

これは何も「ツェルニーを端から全曲やるべき」などと言いたいのではありません。「良質で、いつでも戻ってこれるホームポジション的な楽曲や教材を味方につけて学習すべき」と言いたいのです。

 

 

【ホームポジションとしての「楽曲(複数曲)】

 

例えば、「内容が深く、作曲の観点でもよくできている作品を多く学習する」ということ。

具体的な作品例としては:

・J.S.バッハ : 2声のインヴェンション、平均律クラヴィーア曲集 第2巻
・ベートーヴェン : ピアノソナタ(初期、後期)
・シューベルト : ピアノソナタ第21番 D 960
・シューマン : クライスレリアーナ Op.16
・ブラームス : 3つの間奏曲 Op.117
・ドビュッシー : 前奏曲集 第1巻 / 第2巻 を中心に、ピアノ曲全曲
・ベルク : ピアノソナタ Op.1
・シェーンベルク : 6つの小さなピアノ曲 Op.19
・ヴェーベルン : ピアノのための変奏曲 Op.27
・武満徹 : ピアノ曲全曲

など。

これらを聴くだけでなく、できる限り取り組みましょう。

 

利点はいくつかあります。

まず、内容がしっかりとした作品を「いつでも戻ってこれるホームポジション」にして定期的に復習することにより自分の力が痩せません

それに、「最近、自分の音楽が少し乱れてきた」と感じた時に正しい位置に修正してくれるのも、厳選されたホームポジションの作品達です。

 

一方、ホームポジション的な作品や教材は

その名の通り「定期的に見直す」ということを前提としています。これを繰り返していると、人に説明できるくらいしっかりと自分の中に定着します。

このようにして繰り返して蓄積していくことが、筆者の考えている ”積み上げ式” 学習の正体です。

 

入門者や初級者の方は、何からどうやっていいのかわからない部分も多いと思いますので、教則本をこなしていくやり方でも構いません。

一方、中級者以上になりある程度弾けるようになってきてからは、「ホームポジション」という観点の学習も取り入れてみる方が力がつきます。

 

 

【ホームポジションとしての「楽式論」】

 

「教材」という視点で筆者がホームポジションにしているのは、「楽式論  石桁真礼生 著(音楽之友社)」です。

この書籍を一言で表すならば、「音楽を根本から理解し、総合的な力をつけるためのバイブル」と言えます。作曲を学ぶ方にとっては著名な書籍ですが、演奏を学ぶ際にも超有益。

 

筆者自身、楽式に関しては軽視していた時期がありました。

しかし、「自分はもう十分に弾ける」と思っていた時期に、指揮者の先生に演奏を聴いていただいた際、「君は、強小節、弱小節、重心などの基本的なことが何も分かっていないね。楽式論を一から学びなさい。」と言われたのです。

それ以降、この書籍を読みまくり、実際の音でも確認しまくり、何周も何周もしています。そして、ホームポジション的な位置に常に置いておき、今でも定期的に復習しています。

 

楽曲の成り立ちを理解することで:

・演奏の際にどの音に重みを入れるべきか
・どこでエネルギーを抜くべきか

などが明確に解釈できるようになりましたし、その他にもこの書籍からは山ほどの恩恵を受けています。

 

筆者が今までで「買ってよかった」と思った音楽書籍のベスト3に入る良書。

「買ったら一生モノ」であり、自信を持っておすすめする書籍です。

 

・楽式論  著:石桁真礼生 音楽之友社

 

 

 

 

 

結局、筆者自身は:

・ホームポジションとしての「楽曲(複数曲)」
・ホームポジションとしての「楽式論」
・ホームポジションとしての「その他のわずかな教材」

この3本柱を中心に積み上げています。

 

全員にとって有効かは分かりませんが、一つの参考にしてみて下さい。

 

‣ 18. 学び方を学ぼう

 

このブログでは、主に「独学」の方の学習サポートをすることに主眼を置いています。そういったこともあり、独学の方から質問や悩み相談を頂くことが多くあります。

その度に共通して感じるのは、「学び方を学ぶのが先決」ということ。

 

大変熱心な学習者で、「何をすればいいか分からず、とりあえずツェルニー100番練習曲を買ってきた」という方がいました。

ツェルニー100番練習曲も効果的に使えば演奏能力を向上させることはできますが、「弾きたい曲のためにツェルニー100番練習曲を端からやる」というのは、「広辞苑を買ってきて初めての小説を書く」というのとあまり変わりません。無理がありますし、おそらく長くは続かないでしょう。

 

PCを習得する際も、「PC完全ガイドブック」のようなものは、教科書というよりは「辞書」です。

端から全部読んでいく学び方だと挫折してしまいますし、最後まで行けたとしても、その頃には過ぎ去った部分のほとんどを忘れてしまっているはずです。

 

・ピアノを弾く
・小説を書く
・PCを習得する

これらは全て分野が異なりますが、「学び方を学ぶことが重要」という点では変わりません。

 

ピアノをどのように学んでいけばいいのかを具体的な学び方も含めて日頃発信しているのは、こういった考え方によります。

 

‣ 19. 幅広い音楽に触れることの重要性

 

演奏というのは、「演奏者の趣味や興味のあらわれ」です。もちろんいいことで、だからこそ演奏者ごとの色が出ます。

そして、演奏者が自分の演奏をどう聴いているのかが演奏を通して伝わってきます。

ここでいう趣味とは:

・大きく低音が出ている方が好き
・ペダルが少なめのドライなサウンドが好き

などといった内容のもの。

 

学習が浅いうちは、それらの趣味や興味が偏りすぎないように幅広い音楽に触れるのがベターです。自分が苦手な音楽や今まであまり取り組んでこなかった作曲家にも積極的に挑戦してみましょう。その過程で自分の趣味や興味が変わってくるかもしれません。

 

一方、いずれ高いレベルに達すると、分野をしぼる時期が来ます。

例えば:

・モーツァルトを主なレパートリーとするピアニスト
・編曲も手掛けながらピアソラばかりに取り組むピアニスト
・現代音楽ばかりに取り組むピアニスト

など、このような活動形態は、ただ単に「趣味、興味」という理由だけではなく、「自分が社会に対して音楽で何をアピールすべきか」ということを絶対に考えているはず。

 

プロを目指しているわけではなくても、今よりも上達してくるといずれ分野を絞って掘り下げる時期がくることは間違いありません。

その時にベストのチョイスをするためにも、今のうちは趣味や興味が偏りすぎないように幅広い音楽に触れておきましょう。

 

‣ 20. J.S.バッハの弾き方に関する様々な意見のかわし方

 

「J.S.バッハの作品をピアノで弾く時の一番の悩み」は何ですか?

おそらく多くの方は、「どのような弾き方が正しい弾き方なのか分からない」という悩みをお持ちだと思います。

 

ある人は「その奏法はロマン派っぽいからバッハじゃない」と言い、別の人は「チェンバロじゃなくて現代のピアノで弾いているんだから」と言います。さらには「16分音符も全部ノンレガートで弾かないと」「バッハはペダルを使わないでしょ」などと、ありとあらゆることを言ってきます。

 

これでは、人前でバッハを弾くのが嫌になってしまいます。いちいち気にしていたら勉強できません。

結論、現時点で自分に一番近しい信用、つまり、自分の先生(独学の方は “一つ” の映像資料や書籍)を参考に進めればそれでOK

 

音楽の演奏には「慣例」というものがありますし、弾き方の基礎を学んでおくことは必要。一方、最終的にそれを使うかは自由に決めればいいのです。

 

音楽理論の勉強も似ています。

作曲家が学ぶ「和声」や「対位法」などは、「知っていて使わない」のと「知らない」のとでは全く異なりますが、知っているからといって必ず使わなくてはいけないわけではありません。

ピアノ演奏でも、日頃から様々なやり方や基礎を蓄積していくことは欠かせませんが、「絶対にこうだ」などという一方的な意見に悩まされてはいけません。

 

‣ 21. 自分の中で以前と比べて変わったことを整理する

 

我々が少しでも良い音楽ができるようになるために必要なのは:

・神頼みをすることではなく
・上手な人と手をつなぐことでもなく

毎日、少しづつ何かを改善していくことです。

 

コツコツ累積をしていると、以前と比べて自分の中で変わった部分が出てきているはず。

ちょっとしたことでもいいので、このような変わったことや意識するようになったことを一度整理してみましょう

上達した内容ではなくても、自分の中での変化であれば挙げてみてください。

 

例えば:

・自分一人で運指やペダリングを決められるようになった
・シューベルトのピアノ音楽に詳しくなった
・先生が変わってから、ようやく音色を考えるようになった
・人に指摘されて恥ずかしい思いをしてから、楽語を調べるようになった

 

筆者の場合は、著名な作品過ぎてかえって距離をとってしまっていたような、いわゆる「名曲」と言われるような作品に積極的に取り組むようになりました。演奏というよりは、そういった作品をピアノ編曲することに力を入れています。

 

また、自宅にはグランドピアノとアップライトピアノの両方を置いているのですが、ピアノの構造を知ってからはそれぞれの良さを感じることができるようになり、アップライトピアノにも多く触れるようになりました。

 

日々学習していると色々な変化があり、ちょっとずつ何か新しいことを知ったり、ちょっとずつ何かが改善されたりしていく。

それを確認して、ちょっと幸福度が上がって、また明日も頑張ろうと思えるかが大事ですね。

そうやって楽しんでいることが、結局は、上達にとっても近道になります。

 

► B. 効率的な練習法と持続可能な学習戦略

‣ 22. 学習したい音楽資料を持ち歩く

 

ピアノの練習自体はピアノへ向かわないとできませんが、スキマ時間さえ見つければどこでも音楽学習はできます。

おすすめするのは、軽量な資料を常に持ち歩くこと。iPadなどで電子書籍を持ち歩くのも良い方法です。

 

わずかな時間がある時に、大した用事もないのにスマホをいじるくらいであれば、その時間を音楽学習に充てることで相当な学習時間を生み出せるのです。

 

もちろん、スマホで電子書籍を読むのであれば、それも効果的な学習方法になります。

筆者は外出するときには常にiPadを持ち歩いていますし、音楽学校へ出勤するときには空き時間に譜読みをするために1曲分の紙の楽譜も持参します。

 

子供の頃、犬の散歩へ行く時、読む暇がないにも関わらず好きな単行本を持っていったりしていました。この習慣が、現在のやり方につながっているのかもしれません。

 

学習時間を確保する方法として音楽資料の持ち歩きをおすすめする理由は、単に時間の有効活用だけではありません。

ここまで読んで気付いた方もいるかもしれませんが、これは自分の気持ちのためでもあるのです。学習したい資料を常に身につけていることで、何だか幸せな気分になります。

 

外ではバッグの中、家では枕元に置くなど、好きなものに囲まれる環境を作ることで、学習への気持ちも高まります。また、いつでも学習できる準備ができているという安心感も得られます。

 

自身に合った方法で音楽資料を身近に置き、好きなものに囲まれる毎日にしてみましょう。

 

‣ 23. スポットレッスンは、同じ作品で2回受ける

 

単発(スポット)レッスンは、名前の通りワンレッスン制で受けることができるもので、普段は独学の方でも利用している方はいるはずです。

 

こういった時に、たとえワンレッスンでも、できる限り、同じ指導者から同じ作品で2回は受けるようにしましょう。

 

特定の作品を1回だけレッスン受けて本番や試験を迎えてしまうのは、直さなくてもバレないので受ける側はラク。しかし、教える側としてはあまりやりがいがありません。自分の指導がどれくらい伝わっていてどのような変化があるのか分からないからです。

 

スポットというのは必ずしも「1回だけ見れば十分ですよ」という意味ではなく、忙しい方にも予約をとってもらいやすくしたり運営サイドの制度上の理由などもあって設けられているのです。

 

必ずしも言われたことの全てを直して次のレッスンへ行く必要はなく、部分的に自分の意見通しても構いません。

また同じことを言われたら自分のやり方を通したかった理由を伝えれば、頑固な指導者でない限り首をヨコへ振ったりはしないはず。

 

受ける側にとっても、同じ指導者から同じ作品を複数回学ぶことで、1回で終わりにするよりもずっと深くまで学習することができます。指導者の音楽性をよく知れたり、異なる指導者のところへ行って全く方向違いの意見が飛んできて悩まされることがないからこそですね。

 

とにかく、たとえスポットであっても、習いに行くからには直されることを嫌がらないこと

誤解を恐れずに言えば、今の未熟な自分の判断を通して早々に先人の意見を切り捨てず、一度試してみること。今の自分がいいと思う部分だけを取ろうという気持ちで受けると、おそらく、取りこぼしばかりでもったいないことになります。

 

昔の、こだわりだと勘違いして意味もなく頑固だった自分を思い返してみて、このように思いました。

スポットレッスンを同じ作品で2回受けてみることから始めましょう。

 

‣ 24. 正反対のアプローチをとって学習効果を上げる

 

・冷房を効かせた部屋で、熱々のものを食べる
・冷房を効かせたうえで、風邪をひかない厚めの服装で寝る

などといった正反対のアプローチをとることは、快適な生活を実現する手段の一つですね。

 

音楽学習、楽器練習においても「正反対のアプローチをとる」という学習方法は有効。

例えば、以下のようなもの:

・負荷が軽い楽曲をガンガンに分析する
・負荷が重い楽曲をざっとだけ見て、好きになることから始める

 

学習効果が上がりにくいケースでは、大抵、この逆をやっているのです:

・負荷が軽い楽曲へちょっと手をつけてすぐ終わらせたり
・負荷が重い楽曲へ真正面から向かっていって挫折したり

 

「究極の英語学習法 はじめてのK/Hシステム」

という書籍では、以下のように分類しています。

(以下、抜粋)

コラム#4 学習ゾーン
「Comfort Zone」「Learning Zone」「Panic Zone」 より

【Comfort Zone(コンフォート・ゾーン)】
教材や練習が簡単すぎて、すでに持っている力で楽にこなせてしまう状態をいう。
この状態で学習しても、スキルの強化につながらない。

【Learning Zone(ラーニング・ゾーン)】
教材や練習方法は少し負荷が高いが、一生懸命練習すればどうにかなるレベル。
このゾーンが、一番練習効果が上がる。

【Panic Zone(パニック・ゾーン)】

要求されるレベルが高すぎるゾーン。
そのゾーンで練習してもパニック状態になり、学びにつながらない。

(抜粋終わり)

 

これを上記の音楽学習に結びつけてみると、以下のようになります。

負荷が軽い楽曲へちょっと手をつけてすぐ終わらせる学習では
【Comfort Zone(コンフォート・ゾーン)】へ入ってしまい、
負荷が重い楽曲へ真正面から向かっていく学習では

【Panic Zone(パニック・ゾーン)】へ入ってしまい、
本項目の主眼である「正反対のアプローチ」をとる学習では

【Learning Zone(ラーニング・ゾーン)】へ入ることができる。

 

様々な練習方法があっていいのですが、迷ったらとりあえず正反対のアプローチをとってみましょう。

 

‣ 25. パニック・ゾーンの学習をラーニング・ゾーンへ持っていく方法

 

前項目で取り上げた「究極の英語学習法 はじめてのK/Hシステム」に掲載されている分類を再掲しておきます。

(以下、抜粋)

コラム#4 学習ゾーン
「Comfort Zone」「Learning Zone」「Panic Zone」 より

【Comfort Zone(コンフォート・ゾーン)】
教材や練習が簡単すぎて、すでに持っている力で楽にこなせてしまう状態をいう。
この状態で学習しても、スキルの強化につながらない。

【Learning Zone(ラーニング・ゾーン)】
教材や練習方法は少し負荷が高いが、一生懸命練習すればどうにかなるレベル。
このゾーンが、一番練習効果が上がる。

【Panic Zone(パニック・ゾーン)】

要求されるレベルが高すぎるゾーン。
そのゾーンで練習してもパニック状態になり、学びにつながらない。

(抜粋終わり)

 

この書籍では、学習者が「パニック・ゾーン」に入ってしまうといくら学習をしてもあまり身につかないと解説しています。何を学ぶのかの意識を持って、それに集中するだけの余裕が無くなってしまうからという理由。

・コンフォート・ゾーンをラーニング・ゾーンに引き上げる
・パニック・ゾーンをラーニング・ゾーンに引き下げる

この二つを意識することで、練習の内容をいっそう効果的なものにすることができます。

 

しかし、そうはいってもやっぱりものすごい大曲ばかりに興味がいってしまう、という方も多いのではないでしょうか。昔の筆者もそうでした。

どうしてもというのであれば、とにかく一度、やりたい作品を手を壊さない範囲で「本気で」やってみてください。そして、それを本番で弾いてみてください。

 

難しいことをやると基礎の大切さが分かります。そして、難しいことを緊張を強いられる中でやると基礎の大切さがもっとよく分かります。

それを経験したうえで、パニック・ゾーンではなくラーニング・ゾーンの学習の大切さを感じて方針を考えていけるとベター。

これが、パニック・ゾーンの学習をラーニング・ゾーンへ持っていく方法です。簡単に言うと、一度痛い目をみて学ぶということ。

 

ラーニング・ゾーンでは、基礎を大切に、しかし、基礎ばかりをやっているのではなくそれを土台にもう少しの挑戦が入る学習内容。

うまく活用できれば、上記3つのうち最大の学習効果を期待できるゾーンと言えるでしょう。

 

‣ 26. 違和感がなくなるまで練習する

 

以前に、「ハノン第1番を長調全調で演奏する」という練習方法の話題を出しました。

 

「ハノンの1番を全調で弾く(運指は楽譜通りで)」

スクリーンショット 2021-04-22 20.01.04

実際の楽曲では、ハ長調の平らな場所を弾くだけでなく凸凹したところを弾き進めたり、親指や小指などの短い指で黒鍵を弾かざるを得ないところが出てきたりします。

そのため、「指遣いはそのままで移調していく練習」に意味があるわけです。

 

この練習は、やりはじめた頃は本当に弾きにくいのです。

筆者は昔、指導者からこの課題を与えられたとき「違和感がなくなるまで練習してください」と言われました。

 

この考え方は、とても重要。

1回弾いて終わりだと、日を空けてやる度やる度、違和感があって、ほぼイチからスタートすることになる。そしてそのうちにやっている意味が分からなくなってしまうでしょう。

 

どんな練習方法でもそうですが、しつこく、はじめの違和感が無くなるまで練習してみるようにしましょう。「感覚を正常へ近づけていく」というイメージを持って、このギャップをよく考えた反復練習で埋めていく。

 

運指であれば、実際の楽曲では弾きにくいものを慣れるまで反復して解決するよりも、可能である限り別のよりよい運指を探す方がいいわけです。

しかし、練習課題がはっきりしていて運指も決められていてそういうものとして行う上記のようなエチュードの場合は、慣れるまで徹底してやるべき。

テンポを上げていく練習の場合も同様で、より速いテンポで弾くときの違和感が無くなるように練習方針を持っていきます。

 

‣ 27. 効果的な練習のための「仕込み」とは

 

英語学習参考書に、「K/Hシステム」というシリーズがあります。

1996年に米国で駐在員のための英語学習法セミナーとしてスタートしたやり方だそうで、このシリーズでは簡潔に言うと、

短く限られた英文に対して何度も何度も多様なアプローチで聞いたり発音したりして、英語の特徴自体を身体へ入れていく学習法

がとられています。

参考書自体は何百ページもあるにも関わらず、教材の英文自体は「たったの数行」のみ。多くの長い英文に触れていく学習法とは対極にあるものです。

 

この書籍では、「効果的な学習のためには ”仕込み” が大事である」と強調されています。「仕込み」とは、「その英文に対して、文法的に分からないところが一切無い状態」にすることです。

 

既に成人している学習者にとって、文法的に理解していない英文を何度聴いても本当の意味で英語は身につかないそうです。それは、一時期流行った「聞き流し英語学習法」では英語が身につかないことが証明していますね。

つまり、「リスニングなどの勉強を始める前の段階に時間をかける必要性」がうたわれているのです。

 

この「仕込み」の必要性というのは、ピアノ練習においても同様

新しい楽曲に取り組む際、無闇に弾いていても効率が悪いだけでなく良くないクセまでついてしまう可能性も。本格的な弾き込みの前の「仕込み」をする必要があるのです。

 

例えば、以下のような仕込みが望まれます:

・書かれている楽語などで分からないものは一切無いように調べておく
・運指を念入りに決定し、毎回同じ運指で練習できる準備をしておく
・(可能であれば)簡単なアナリーゼをしておく

 

仕込みができているかどうかで練習の質が全く変わってきます。こういったことを後回しにしてとりあえず指を動かしてしまうケースは意外と多いもの。

 

上記の英語学習参考書の中でも触れられている言葉なのですが、「deliberate practice  よく考えた練習」が重要なのはピアノ練習でも変わりません。「よく考えた練習」というのは、練習する教材(楽曲)の内容が理解できているからこそ実現するもの。この言葉には「内容を絞り込む」という意味も含んでいるように感じます。

幅広く色々な作品に触れることももちろん大事ですが、「搾り取れるだけ搾り取ってやろう」と思うような重視する楽曲を1曲決めること。そして、それを「徹底した仕込み」の後に弾き込むこと。

 

大人の方であれば頭を使って練習できるので、今回紹介した内容を実践できるかどうかはやる気と意識次第です。

 

‣ 28.「質問できる」ということが大事

 

効率良い練習をするにあたってポイントとなるべきこととは、「質問を持っている」「質問できる」という状態に自分を持っていくことです。

 

・自分は何が分からないのか
・自分の知りたい内容は何なのか

などといったことを整理してみます。

そうすれば、独学の方であっても「どの参考教材の、どの辺りを見ればいいのか」ということがすぐにひらめきます。

 

【補足】
「分からないことが分からない」という段階の方は、
前提として、使用教材のレベルを再考する必要があります。

 

また、質問内容さえはっきりしていれば、必要に応じてスポット(単発)で相談に乗ってくれる専門家にアドヴァイスを求めることもできます。

 

サポートをしてくれる環境はいくらでもあるので、その環境を利用できる自分の状態を自分で作り出す必要があるということです。

 

一度にすべてを完璧にクリアする事は難しいので、質問できるように頭を整理しておくこと。自分の頭できちんと考えた後であれば、質問する事はプラスになります。

初めから答えをきくのではなく、自分でよく考えてから答えをもらった内容は頭に残るのです。

 

‣ 29. 手の甲にコインを乗せて弾く練習の良くなさ

 

ソナチネなどの作品で知られるクレメンティという作曲家がいます。

彼は生徒にピアノを教える時、手の甲にコインを乗せて弾かせて、それが落っこちると注意したそう。

 

現代でも時々耳にするやり方ですが、筆者はこの練習方法を良い方法だとは思っていません。

 

一時的に手の動きを制限するための練習としては取り入れて絶対ダメとは言いませんし、まだ何も分からない入門者にとりあえずフォームを理解してもらうための指導としては一応アリかもしれませんが、その先に果実はありません。

この練習方法で身につけた奏法では、全ての音を指先のみで弾くことになってしまいます

 

指先のみで弾くパッセージはもちろんありますが、ピアノ演奏においてはその他さまざまな手の使い方が求められます。なぜかというと、音色を作り出す必要があるから。

 

音色の多彩さにとっては「打鍵角度」をはじめ、タッチの変化でコントロールする部分が重要であるのに、手の甲を固定したまま指先のみでしか弾けなかったらほぼ同じような角度でしか打鍵できません

事実、クレメンティ自身が指だけで弾く奏法をとっていたようです。

 

ベートーヴェンは弟子のツェルニーに対して以下のように語ったという記録が残っています。

「指の動きを滑らかにすれば真珠のように響きますが、聴衆は真珠のみではなく他の宝石が欲しくなることもあるものです。」

 

コイン練習ばかりをした結果として指先の同じような動きでのみ演奏するクセがついてしまうと、真珠の響きしか手に入れられないということを理解してください。

この奏法をとっていては音色が多彩になることはありません

音楽から切り離した音楽性を四畳半にする練習はやめてしまいましょう。

 

‣ 30. 音を変えてはいけないのは原則であり絶対ではない

 

ある一箇所の困難のみのために弾きたい曲を諦めるくらいであれば、その部分だけ音を変更して挑戦しても構わない、と考えています。試験やコンクールを受ける方は別です。

 

再現芸術としての意味合いもあるクラシック音楽では、原則、作曲家が書いた音を変更してはいけないとされています。しかし、これは原則であり絶対ではありません

当然ながら、「少し弾きにくいから音を変えるのではなく、頑張ってもどうしても無理なところのみを変える」というのは徹底してください。

 

例えば、ある特定の手の開き方をしたときだけ人差し指の付け根の神経に響く、という方がいます。その場合は、運指を工夫しても無理なところは多少音を変更しても構わないでしょう。

また、手の大きさ的にある一部分のみが弾けないのであれば、そこのみを変更すれば作品自体への挑戦を諦めずに済みます。

 

演奏する人のカラーは、レパートリーの選び方も含めてのこと。「選曲の自由」があることは前提としながらも、好きな作品を諦めなくて済む方法を考えるのは悪いことではありません。

 

‣ 31. シンプルな作品を仕上げるときのヒント

 

シンプルな作品を仕上げる時にはどのようなことに注意していけばいいのでしょうか。

「アーティキュレーションやアゴーギクなどの表現で聴かせていく意識をより強く持つこと」が重要です。

 

シンプルな作品というのは、ただ単にそのまま弾くとスカスカに聴こえる可能性がゼロではありません。しかし、別の言い方をすると「一つ一つの表情が見えやすい」ということです。

音がたくさんある楽曲では誤魔化されていた細かなアーティキュレーションの表情などが、はっきりと認知されてしまいます。こういった細かなことをより丁寧に詰めていかないといけません。

 

シンプルな作品を仕上げるときのヒントとは、言い換えると、「どこで聴かせていくのかということを改めて考えること」と言えるでしょう。

音数が少ないゆえに表情が平坦だと飽きてしまうのです。

 

こういった作品は、自分が変わった時に変化を感じるバロメーターになります。

一曲取り組んですぐに驚くほど力が伸びるものではありませんが、常に一曲はこういった楽曲に取り組んで、日々の学習が「大曲への挑戦」だけにならないようにしましょう。

 

‣ 32. 次の楽曲へも活かせる目的意識の持ち方

 

今向き合っている目の前の作品を猛進的に学習することも大事なのですが、「できる限り、他の作品へも応用できることを学び取ろう」という意識をもったうえで学習すると、独学でも楽曲を仕上げていく力が育ってきます。

 

例えば:

・様式や作曲家ごとのスタイルの把握
・テクニック面での積み重ねと問題解決
・フレージングやアーティキュレーションの捉え方

 

練習曲の場合はそれが何のための学習なのかという目的意識は持ちやすいと思いますが、純粋な楽曲に取り組むときにも「次へ活かすためには」という視点を忘れないようにするべき。

 

「積み重ね」という言葉がありますが、ただ単に多くのことを繰り返し頑張ったら積み重なるわけではありません。それでも多少の積み重ねにはなりますが、驚くような伸びは期待できないでしょう。

むしろ、学習していることに対して意志と意識を持って積み重ねようと思いながら、かつ、面白がりながら継続していくと大きな力になっているものです。

 

‣ 33. とりあえず、分かりやすく演奏する

 

どんな学習段階であっても演奏をレベルアップさせるコツは、とにかく、分かりやすく演奏すること。

 

例えば、オーソドックスな楽曲であればその中に一番のクライマックスが存在しますが、クライマックスの位置を見つけたのならそこをきちんと表現する。

そのためにもクライマックスではないところでマックスにならないようにする。sempre mf で演奏しない。

また、書かれているアーティキュレーションを明確に弾き分けて、ピッチとリズムだけ拾って満足しないようにする。

 

こういった基本的なことから始まり、あらゆる表現手段を聴いている人にとって分かりやすい方向へ持っていこうと意識してみてください

そうすると、たとえ今のテクニックのままでも演奏が格段に良くなります。

 

また、ある程度学習が進んでいる方はわざと凝った解釈をしてアーティキュレーションを創作する傾向がありますが、それは大抵、聴衆にとっては凝っているように聴こえず、分かりにくく聴こえています。

 

書かれていることをシンプルに素直に表現する。その代わり、書かれていることは中途半端にやらず責任をもって分かりやすくきちんと表現する。

まずはここを目指してみましょう。

 

‣ 34. ぶっ続け練習を避けるコツ

 

何時間ものぶっ続け練習ほど非効率かつ身体に負担となる練習方法はありません。

人間の集中力は40分〜50分程度という説もあり、本当に密度の濃い練習や学習をしたければ、区切ることでぶっ続けを避けるのが得策。

 

ぶっ続け練習を避けるコツがあります。

タイマーに怒られてください

時間を決めておいて、大きな音で鳴るようにセットしておく。

 

ポイントは、ワンセット45分練習にするのであれば50分後に鳴るようにするなど、やや長めにセットしておくことです。

そして慣れてきたら、タイマーが鳴る前に自分で切り上げる感覚を身につける。何回も「立ちあがれ」って怒られているうちに、「そろそろ怒られそうだな」などと経過した時間の長さが分かってくるものなのです。

 

このようにして決めた時間で立ち上がることが習慣になってしまえば、ぶっ続け練習のクセは撃退できます。タイマーの使用も必要なくなります。

その頃には「タイマーが鳴るかも、怒られるかも」などと頭を支配しているものさえ無くなり、さらに練習へ集中できるようになります。

 

ピアノ練習や机上学習など、あらゆる場面で取り入れてみてください。

 

‣ 35. 意識的にやっている複数のことを無意識にできるようにする方法

 

「シャンドール ピアノ教本  身体・音・表現」 著 : ジョルジ・シャンドール  監訳 : 岡田 暁生  他 訳5名 / 春秋社

という書籍に、以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
幸いなことに、非常に意識的な活動も、やがて無意識に、そして完全にマスターされると自動的になるものである。
(抜粋終わり)

 

では、ピアノ演奏の場合、どのようにして意識してやっているものを自動的にまで持っていけばいいのでしょうか。

 

持っていきたい内容が一つだけの場合は、慣れを通り越すまでそれだけに集中すればいいわけですが、克服したい内容が複数ある場合には工夫が必要。

筆者がよく取り入れているのは、以下のやり方です。

・克服したいことがA、B、Cの3つある場合、まずはAのみを意識して数回練習する
・次はAのことは忘れてしまって、Bのことだけを意識して数回練習する
・さらに次はBのことも忘れてしまって、Cのことだけを意識して数回練習する
・これらを「皿回し」のように何度も何度も回していく

このようにすると、気づいた時にはA〜Cの全てが克服された状態でつながっているのです。

色々なことをやっているように見えますが、やり方としては「一点集中の学習方法」と言えますね。

 

「ここでこれぐらいこうやって…」などと意識しながらやるよりも、無意識に、そして自動的にできるようになると、出てくる音楽がより自然になります。

 

上記の練習方法は、ピアノの練習以外にも日常のあらゆる学習シーンで使える方法なので、是非取り入れてみてください。

 

・シャンドール ピアノ教本  身体・音・表現   著 : ジョルジ・シャンドール  監訳 : 岡田 暁生  他 訳5名 / 春秋社

 

 

 

 

 

 

‣ 36. 新しく勉強を始める分野で潔く好スタートを切る方法

 

・音楽理論の中のイチ分野だったり
・音楽史だったり
・ピアノの構造だったりと

何か新しく勉強を始めようと思っている分野もあるはずです。

そういった時にいつまでもスタートを切れなかったりして熱が奪われてしまったら、もったいないですね。

 

潔く好スタートを切る方法があります。

本当にシンプルな方法で、「とりあえず、この1冊だけやればいいや」と終わりを決めてしまうこと。

 

人間は終わりの見えないことはできません

例えば、最初の1回は好意で始めた無償の手伝いも何回か頼まれると嫌になってしまいます。単純に面倒臭いだけではなく、ずっと続くのかと思うと先が見えなくて不安になるため、抜け出したくなるのでしょう。

 

音楽学習でも似たようなところがあって、その学習の一応の終着点が見えていると、急に腰が軽くなったり気持ちが軽くなったりするのです。

終わりさえ決めれば、大抵のことはできます。

 

音楽ではどの分野も突き詰めれば奥深く、本当に踏み込みたい分野についてはずっと学習が続きますし、終わりはありません。しかし、今始めようとしているこの学習については、無理矢理にでもいったんの終わりを決めてしまってください

人間、短期的に取り組むからこそ集中できますし、ちょっとの忍耐すらできます。

 

「とりあえず、この1冊だけやればいいや」と終わりを決めてしまう。それも、その1冊は定番書にしてハズレを引かずに王道を学習する

これらだけでも意識すると、新しく勉強を始める分野で潔く好スタートを切ることができます。

 

‣ 37. 座り過ぎ防止アプリを練習へ取り入れる

 

集中力の維持の面、そして、身体へ負担をかけ過ぎないという意味でも、ぶっ続け練習は避けるべきでしょう。どんなに長くても休憩なしで60分以上弾き続けるのは控えてください。

 

ただし、熱中していて不意に超えてしまうこともありますね。

そういった傾向のある方におすすめなのは、座り過ぎ防止アプリを練習へ取り入れてみることです。

 

このWebメディアでは数年後にも情報が生きていることを前提とした記事を出しているため、具体的な流行りのアプリを紹介することは避けますが、まずは「座り過ぎ防止アプリ」と検索してみてください。何種類も出てきますので。

 

この種のアプリを使うと、一定時間以上座りっぱなしになっている時に怒ってくれます。

自分で時間を設定できるアプリもあるので、ピアノ練習やその他の音楽学習の場合は、45分や50分で行うといいでしょう。

 

ちなみに筆者は、スマホのホーム画面にあるアプリを最小限にしたいという考えを持っているので、様々なアプリを試したうえで、今はモーニングコールでも使う「時計」アプリにあるタイマー機能で代用中。自分でセットしなくてはいけませんが、座り過ぎは回避できています。

 

・毎日採取した情報を蓄積して管理したかったり
・ウォッチなどの製品や他のアプリと連携しながら取り組みたかったり

という方には、専用の座り過ぎ防止アプリをおすすめします。

 

‣ 38. 中々マルをもらえない曲集の進め方

 

習いに行っている方で、やっても中々進んでいかない曲集を前に途方に暮れている方もいるのではないでしょうか。

考えてみるべきポイントは、以下の3つです:

・色々と欲張り過ぎてないか考えてみる
・やり直しの理由をきいてみる
・そもそも、本当にその曲集が必要なのかを考えてみる

 

 

【色々と欲張りすぎていないか考えてみる】

 

「欲張り過ぎている」というのには2つの意味を込めています:

・終わらせたい量を多く見積り過ぎている
・一度に取り組む併用曲集が多過ぎる

 

思い返してみて欲しいのですが:

・「今週、3曲マルをもらって…」
・「来週でこの曲集は終わりにして…」

などと、終わらせたい量を多く見積り過ぎていませんか?

少なくとも習いに行っている場合、マルにするか決めるのは指導者です。

自分でコントロールできる部分であればいいのですが、自分で決められない内容に希望を持ち過ぎるのはおすすめできません

 

「たくさん練習したから、マルをもらえたらいいな」くらいの気持ちでレッスンへいくといいでしょう。

 

【補足】
上級レベル以上になると、「マルをもらう」という考え方さえ無くなります。
自分が一生残したいレパートリーに取り組み、その作品を指導者と(もしくは独学で)丁寧に仕上げていくから。
そして本番が終わっても、いったん寝かせるというだけで、その作品の学習自体はずっと続いていきます。

 

また、曲集が進まない理由に「練習時間の少なさ」が考えられます。それは一度に取り組む併用曲集が多過ぎることが原因かもしれません。

 

時々、趣味でピアノをやっている方で一度に5冊習っている方がいるようですが、トゥーマッチです。

全体的な練習時間を相当取れる方や専門に進むようなケースでもない限り、一度に取り組むのは1冊~多くて3冊程度で十分その中でできる最高の学習を心がけた方が、身になるものは多いでしょう。

 

【補足】
ちなみに、上級レベル以上になると、「何冊取り組む」という考え方も無くなり、「何曲取り組む」となります。
理由は先ほどの補足と似ていて、自分が一生残したいレパートリーに取り組んでいくため、「曲集をすすめる」という考え方が無くなるからです。

 

 

【やり直しの理由をきいてみる】

 

「また今週もやり直しだ…」と落胆したい気持ちは分かりますが、本当に自分ではよくできていると思うのであれば、何がやり直しの理由なのか思い切って指導者へきいてみましょう

 

ただし、その返答に自分ががっかりさせられる心の準備はしておいてください。そして、その返答をもとにもう1週間頑張ればOK。

よく分からないまま1週間過ごすよりもずっとプラスの経験になるはずですし、次の週に合格になる可能性も上がるでしょう。

 

 

【そもそも、本当にその曲集が必要なのかを考えてみる】

 

「本当にその曲集が必要なのかを考えてみる」

これはさらなる手段です。

「必要なのかなんて、そんなこと分からないという方は、「やりたいのか」で構いません。

考えた結果、中々進んでいないその曲集を嫌だと思うのであれば、指導者に「やりたくない」とはっきり伝えてください。

 

一番よくないのは我慢すること。

義務教育での学習のように、ある程度我慢することで身についた基礎もあるかもしれませんが、大人になって学習している音楽では我慢した先には何もありません

続ける気持ちが無くなってしまったら元も子もないですから。

 

‣ 39. 極端な応用練習はむしろマイナス

 

リズム変奏をはじめ、日頃の練習に応用練習を取り入れていることと思います。

これらは当然、うまく取り入れることで一定の効果を期待できます。

 

一方、応用練習について質問をされた時に、「その練習、何のためにやってる?」とききたくなることが多いのも事実。

 

良くあるのが:

・ × 指をとにかく高く上げて発音する練習
・ × 変なところにアクセントをつけた、ずっこけたようなリズム変奏

など。

また、以下のような無意味な練習が流行ったこともありました。

× 「音型」「リズム」「ダイナミクス」などを、全てひっくり返してさらう練習

 

(譜例)

 

これら3点をはじめとした練習を推奨できないのは、その練習が何のために必要なのかがおそらく分かっていないまま行われ、かつ、楽曲の音楽性と切り離されている内容だからです。

練習後に残るのは、「ついてしまったクセ」と「やった感」だけです。

 

音楽には流れがあります。それを無理矢理ねじ曲げたり、実際に演奏しないような指の上げ方でさらって何の意味があるのでしょうか。

 

・パッセージを付点変奏したり
・一拍ずつ区切って練習したり

といった最低限の応用練習をするのは構いません。

しかし、音楽的にもテクニック的にもかえって良くないクセがつくような極端な応用練習をするのは、もうやめにしましょう。

 

‣ 40. 全体の構成は絶対に意識する

 

「どんなに一部分の解釈が魅力的でも、それが全体の構成の中で役に立たなければ使えない」ということを強調したいと思います。

 

例えば、

ある一箇所だけグールドの真似をしたけれど、他の部分とつなげて聴くとそこだけ浮いてしまうため、全体の構成にとってはむしろマイナスになる

などといったケースです。

 

日頃、記事の中で:

・全体のバランス
・前後関係

という言葉をよく使うのは、「全体の構成を考慮しているから」という理由もあるのです。

音楽は流れていくもの。そして、全体で把握されるものです。「木を見て森を見ず」にならないように注意しましょう。

 

この考え方は「楽曲を抜粋演奏する場合」にも関係のあることです。

 

例えば、15分以上ある原曲を、8分以内におさめなければならない演奏会のために抜粋演奏するとしましょう。半分程度の尺にまで縮めないといけないということです。

その時にも、お気に入りのフレーズの箇所ばかりを抜粋した結果:

・音の多いセクションだけを集めてしまう
・盛り上がりばかりになってしまう
・選んだ箇所の調性が偏ってしまう

このような状態になってしまっては魅力的な8分間は作れません。

・どこにクライマックスを持ってくるのか
・音の多い箇所との対比はどこに入れるのか
・原曲の転調をいかに違和感なくつなげて全体のバランスをとるのか

などといったことを常に意識するべきです。

 

‣ 41. ごく短い単位を徹底的に繰り返す練習方法

 

「ツェルニー 毎日の練習曲」という教本を知っていますか?

「ごく短い単位を徹底的に繰り返す」という、取り上げられている方針自体は非常に効果的なやり方だと感じています。「各小節を中断しないで、20回くり返す。」などと書かれていたりして、結構スパルタですが。

 

ヴァイオリン教本でいうŠEVČÍK」と似たやり方

ヴァイオリン・メソッドで幅広く使用されている「ŠEVČÍK VIOLIN STUDIES OPUS1 PART1」では、ごく短い単位を徹底的に繰り返し、要素を細かく切り分けて丁寧に積み上げて行くやり方がとられています。

 

大人のピアノ学習者は「考える力」があるので、弾けないところがあったら「要素を切り分けていく」のが良いでしょう。

 

「ツェルニー 毎日の練習曲」や「ŠEVČÍK」のように、「リピート記号があり、繰り返せる内容」を徹底的に反復するのも良いですが、一般的な楽曲をごく短く区切って反復する練習自体にも意味がありますうまく弾けていない部分を洗い出すことができるからです。

長い単位で通してばかりいると、そういったところに気づかず、通り過ぎてしまう。

 

例えば、「4小節間ひたすら速く動くパッセージ」があるとします。

それがうまく弾けない場合、技術全般的に足りていないというよりはむしろ、「どこか一箇所が転んでいるせいで、その前後も崩れてしまっている」という程度の理由でしかない場合は多いのです。

この場合、「1小節単位」もっと言えば「1拍単位」まで細かく区切って徹底的に磨き上げるのがベストな練習方法です。

 

‣ 42.「音の良し悪し」以外に何か一つ追求する

 

筆者がかつて指導者から言われて印象に残っている言葉があります。

「”音の良し悪し” 以外に何か一つ追求しよう」という一言。

「何かひとつ」がその人のキャラクターになるから、 という理由でした。

 

専門にやっていたからなおさらだったのかもしれませんが、趣味で演奏する方にとっても「何か一つ」を追求することの喜びや恩恵は大きいはずです。

 

優れた音楽家は、「音の良し悪し」はもちろん、それ以外の部分で追求するところを独自で見つけているのが伝わってきますね。

「何か一つ」は音楽に関係のあることが基本ですが、無いことでも構いません。

例えば:

・あまり知られていない作曲家を追求している
・作曲家並みに音楽理論に詳しい演奏家を目指している
・やたらフットワークが軽いことがウリで、多所のストピに現れる
・鉄道関係のピアノ作品のリスト表を作っている
・外人さんへのオンラインレッスンを提供すべく語学に磨きをかけている
・トーク力が芸人並みの爆発力を持っている
・歌曲伴奏ならお任せと言えるほどの経験と知識を積んでいる
・未就学児への指導の方法を徹底的に学んでいる

など。まだまだ挙げればきりがありません。

 

ただ単に注目ポイントを作ればいいと言いたいのではありません。

こういったことを追求することで、音楽自体にも影響し、キャラクターが成長することが大事なのです。

自身が興味を持てる部分に焦点を当てて、それを少しづつ育てていきましょう。

 

‣ 43. 好きな作曲家についてのマインドマップを作る

 

「マインドマップ」はご存知ですか?

音楽の学習にも有効に使えるので、初耳の方はぜひ調べてみてください。

 

もし好きな作曲家がいるのであれば、マインドマップを作るかのように、その作曲家のたどってきたあらゆるものを調べて一覧の図にしてみると勉強になります必ず、作曲家独自の傾向が見えてきます。

 

作品などを線でつないでいくのもいいですし、他にも:

・誰に影響を受けたのか
・音楽的なルーツは何か

などを調べ上げて、どんどんと線でつないでいきましょう。

 

例えば、ベートーヴェンが好きな方であれば、

ベートーヴェンが指揮を振っていたオーケストラにマイアベーアやウェーバーやシュポーアもいたけれど、ベートーヴェンが目の前にいたのだから相当影響を受けているはずで・・

などと、関連項目であれば何でもいいのです

また、ただの知識だけでなく、色々な知識が関連して頭と連動する点がマインドマップを作る利点でもあります。

 

「ベートーヴェンの作品を練習しているのに、ベートーヴェンのことを何も知らない」という学習者の多さに驚かされます。場合によっては、自身が取り組んでいる作品についてさえも何も調べていなかったりします。

これを負担や努力と考えてしまうと、ピアノが楽しめなくなってしまうのでしょうか?

しかし、その作品や作曲家のことをよく知ったうえで楽曲へ向かうと、より楽しめるだけでなく:

・トリルの入れ方
・当時の慣習

など、演奏に直接結びついてくることも多く出てきます。

 

早速マインドマップを作って、あらゆる知識を結びつけましょう。

 

► C. 表現力を高めるテクニックと演奏アプローチ

‣ 44. 表現の期待を持つと、テクニックのせいにしなくなる

 

演奏と創作のどちらにも言えることなのですが、最初に期待を持つべきです。表現的にこういう曲が欲しいというのを、強く持つようにしてください。

 

理由としては、解釈が一つではなく例外のある分野だから

例外のある分野だからこそ、自分の意志を明確に表してはっきり断言しないと説得力がありません。

 

もう一つは、期待を持つとテクニックのせいにしなくなるからです。

「こういう音楽が欲しい」という気持ちが無いと、とりあえずと言わんばかりにテクニック的な欠点ばかりに判断基準を持って行ってしまいます。

一方、「こうしたい」という明確な意志やアイディアがあれば、それを実現するためにはどうしたらいいのかを力のある人物にきくこともできるので、テクニックのせいにしなくなる。と言いますか、ならなくなります。

テクニックのせいにしているうちは、単に行動不足ということになります。

 

テクニック面をサポートしてくれる人物や書籍などはいくらでも存在するからこそ、まずはそれを必要とする状態を自分で作らなければいけません

 

‣ 45. 押し引きを意識して音楽的に

 

「押し引き」と言うとアゴーギクのことをイメージするかもしれません。それも大事な押し引きなのですが、話題にしたいのは、「表現的に攻めるかどうか」という意味での押し引きです。

 

押してばかりでも引いてばかりでも、聴く方は疲れてしまうでしょう。

「押し」についてはイメージがつくと思うので、「引き」について解説します。

 

例えば、「通り過ぎる」と言う表現。

「この小節は、ただ通り過ぎるだけにして」などという指導を耳にしたこともあるのではないでしょうか。

 

重箱の隅を突くように細かい表現を試みることは必要なのですが、作曲家はただのつなぎのようなところ(例:ソナタ形式における、一部の経過句など)もたくさん作っているので、そういったところではむしろサラッと次へ行ってしまった方が音楽として魅力的になることも。

こういったやり方は、一種の「引き」。「表現を必要以上に作り過ぎない」ということ。

 

「引き」について、もう一例挙げておきましょう。

「息抜きのタイミングを与える」というのもその一つです。

 

例えば、ショパン「エチュード Op.10-1」では基本的に全編にダンパーペダルが使われますが、わずかの小節ではノンペダルでパラパラっとしたサウンドを聴かせる解釈もあります。ペダルでベッタリと和音化されているサウンドから解放されて、聴衆へちょっとした息抜きを与えることになります。

こういうやり方も「引き」の一種だと考えてください。

 

「押し」も「引き」も楽曲の数だけやり方があるので挙げればキリがありませんし、やり方に正解もありません。

表現の仕方まで含めて演奏者のセンスが問われてきます。

 

‣ 46. 楽曲イメージの、演奏への無理ない取り入れ方

 

「その楽曲のあらゆる部分について、イメージを思い浮かべる」という学習方法は、広く行われています。

「情景」などをはじめ、思い付いたことを紙などに端から書き出してみるというのは、特に、初~中級者にはよい学習となります。

 

一方、これには難しさもあるのです。

例えば、筆者は子供の頃、ピアノの先生から次のように言われました。

「この1小節だけ切ない和音になるから、ここは今まででいちばん切なかったことを思い出しながら弾いて」

先生の言いたかったことはよく分かるのですが、「その小節だけ、新しいイメージへ切り替えようと努力して、音を出す」というのが、どうしていいのか分かりませんでした。やってみても上手く出来ずに悩んだ記憶があります。

 

イメージを切り替えようとすることに気をとられて、ピアノテクニックの方に影響が出てきてしまったりする。

その小節だけを切り取って演奏するのであれば何の問題もありません。

しかし、音楽は流れていて前後関係もあるので、「その楽曲と切り離された、取ってつけたイメージを瞬時に用いる」というのは、少なくとも当時の筆者にとっては上手くいかなかったのです。

そして、これは多くの学習者にも当てはまることでしょう。

 

代案としておすすめできるやり方は、以下のようものです:

・まずは、イメージなどをひたすら紙へ書き出して十分にイメージをふくらませておく
・いざ演奏する時には、個々のイメージについてはあまり深く考えずに弾いていく
・その中で演奏中に自然と頭に浮かぶイメージがあれば、それは大事にする

 

このようにすると、とってつけたイメージはなく自然に出てきたイメージを残しているだけなので、思い浮かぶことがあっても演奏の足を引っ張ったりすることはありません。

 

ピアノを演奏するという行為は、ありとあらゆる感覚を同時に使っていくもの。

したがって、「イメージ」「感情」「想い」なども大事ではありますが、楽曲の前後関係も踏まえて20%くらい冷静に自分をコントロールしている部分がないと上手くいかないのです。

 

‣ 47.「量か質か」「表現かテクニックか」というのは逃げ

 

「二項対立」のような考え方は、ピアノ学習にとって上達の妨げになる可能性があります。

例えば、練習内容についての「量か質か」といった考え方。

 

「量ばかりを目まぐるしくこなすことによって、質が落ちている」などというのは問題ですが、これは単にやり方が良くないのです。質良い状態でたくさんの量をこなしている方は、プロではなくてもいくらでもいます。

「量か質」ではなく、「量と質」にできればそれに越したことはありません

 

・質を確保して、徐々に量を増やしていく
・量をこなしながら、できる限り質も上げていく

ヒアリングをしているとこのどちらが自分に合っているかは人によるようです。筆者に合うのは前者でした。

 

二項対立の話題としては、「表現かテクニックか」という話題もよくありますね。

 

やはりこれについても、「表現かテクニック」ではなく、「表現とテクニック」にできればそれに越したことはありません

と言いますか、表現したいことがあった時にそれを表現するためのテクニックが必要になるので、この2つを切り離して考えること自体、ナンセンス。

「一方を手に入れるためには、もう一方の力も借りないといけない」ということです。

 

一般的に、「ものすごいテンポで弾いているけれど、音楽が空っぽ」などといった演奏に出会うことがあります。そういった演奏を聴いてしまうと、「表現かテクニックか」という考え方が頭をよぎってしまうのでしょう。

しかし筆者の観点からしたら、そういった演奏は「表現もテクニックもまだの演奏」という位置づけです。

 

二項対立的に「〇〇か〇〇か」のような並べ方をして、そのうち一方を選ぼうとするのは「逃げ」です。安心しようとしているだけ

 

ちなみに、スティーブ・ジョブズなども傾倒したと言われている「禅」の世界では、二項対立を「最も距離を置くべきものの一つ」として否定しているそうです。

 

► D. 音楽性を深める研究と応用的視点

‣ 48. オケスコア読譜は、ピアノ演奏にも有益な「一生もの」の技術

 

オーケストラスコアを読めるようになると、ピアノ演奏にも大いに役立てることができます。

 

本記事では入門方法もお伝えしますので、まずはチャレンジしてみましょう。経験ゼロでも全く問題ありません。

 

 

【オーケストラスコアを読めるようになると得られるもの】

 

まずは、全体像としてオーケストラスコアが読めるようになる利点について知っておきましょう。

 

大きくは次の3つです:

・作曲家自身が編曲した、ピアノ曲のオーケストラ版からも学ぶことができる
・「ピアノ協奏曲」を深く学べる
・ピアノ曲からも、オーケストラの音が聴こえるようになる

以下、それぞれの重要性を解説します。

 

 

・作曲家自身が編曲した、ピアノ曲のオーケストラ版からも学ぶことができる

 

原曲のピアノ作品を作曲家自身がオーケストレーションしている作品は多くありますが、その中でもラヴェルの以下3作品は有名です:

・亡き王女のためのパヴァーヌ
・マ・メール・ロワ
・クープランの墓

オーケストラ版を聴いてみたことはありますか?

 

反対に「ラ・ヴァルス」などは、オーケストラ作品が原曲で、後にラヴェル自身がピアノ編曲しています。

 

ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」を例に挙げます。

この作品は、1899年にラヴェルがパリ音楽院で勉強している間に作曲した作品です。1910年には「ラヴェル自身が編曲したオーケストラ版」も誕生。「ラヴェル自身が編曲している」という事実が重要です

 

以下、一部分だけですが、オーケストラ版を参考にピアノ版の演奏解釈について考えてみましょう。

 

ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ(ピアノ版)」

譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)

オーケストラ版では、譜例の下段は「チェロとコントラバスのピチカート」で演奏。ファゴットが、その余韻を担当しています。したがって、ピアノ演奏においてもそのようなサウンドをイメージするといいでしょう。

 

「指先をしっかりさせた上で、軽く突く」ようにすると、ピチカートのような「芯がある弱音」を出すことができます。

ピチカートでは、「ボソ…」ではなく「ポンッ」という音がしますので、短く切り過ぎずに、余韻も意識するといいでしょう。

 

「作曲家の意志がしっかりと反映されている」という意味で、作曲者自身が編曲しているオーケストラスコアの価値は圧倒的

もちろん、全てをピアノ版に反映させる必要はありませんが、積極的に活用すべきであり、最高の学習教材になります。

 

オーケストラスコアには「移調楽器」や「独特の記譜をする楽器」もあるので、もし仮に今までピアノ曲の楽譜だけを読んできたのであれば、読譜に対する少しのハードルはあります。

しかし、全てを精密に読む必要はありませんし、「こういうパッセージは、どんな楽器が担当しているのかな?」などと思いながら眺めてみるだけでも、まずは十分です。

 

今後、可能な限りオーケストラ版も参照できると、必ずピアノ学習の役に立ちます。

 

 

【「ピアノ協奏曲」を深く学べる】

 

「ピアノ協奏曲」と聞くと敷居が高く感じる感じる方もいらっしゃるようです。確かに高度な楽曲は多いですし、ヴァイオリンなどのように初歩段階から経験できる「学習教材に適した協奏曲作品」ほとんどありません。

しかし、モーツァルトの緩徐楽章をはじめ、比較的取り組みやすい協奏曲楽章も。

 

多くの楽曲は、オーケストラパートも「ピアノ伴奏」や「カラオケ」で対応できるので、本番で披露することも夢ではありません。

 

故 中村紘子さんも、

「協奏曲に触れる機会が全くないのは、非常にもったいない。共演者との刺激が得られるし、音が出なければ弾けないし、いい勉強になる」

などといったことを公言されており、ピアノ学習において協奏曲を経験することの重要性を語っていました。

 

ピアノ協奏曲を深く学ぶためにも、オーケストラスコアを読めるようにしておくことを強くすすめます。

発表形式が「生のオーケストラ伴奏との共演」ではなく「リダクションされたピアノ伴奏との共演」でもいいのです。

その前の段階でオーケストラパートを勉強しておくことで、リダクションとの合わせにも活きますし、ソロのピアノパートそのものを深く理解することにもなるからです。

 

 

【ピアノ曲をからも、オーケストラの音が聴こえるようになる】

 

マスタークラスなどを聴いていると:

・「このフレーズはフルートで演奏しているように軽く。鳥の鳴き声をイメージして」
・「このメロディはチェロが演奏しているような深い響きで」

などといったように、あらゆる要素をオーケストラの楽器にたとえた指導を耳にします。

こういった発想は割と軽視されがちですが、実はとても重要なのです。

 

ピアノ曲をからもオーケストラの音が聴こえるようになりイメージの幅が広がると、頭の中にピアノの音色しか鳴っていなかった頃と比べて表現の引き出しがグンと増えるのです。

 

 

【学習の懸念点】

 

ここまでを踏まえて、オーケストラスコアを読めるようになることのメリットお分かり頂けたはずです。

では、学習をするにあたってやや懸念点となってくる部分についてもお伝えします。

 

今までピアノ曲の楽譜のみを読んできた方がつまづきやすいのは、大きく以下の4点でしょう:

・楽譜の段数が相当増えること
・ヴィオラなどに「ハ音記号」が出てくること
・クラリネットなどの「移調楽器」が出てくること
・パーカッションや編入楽器に、見慣れない記譜や記号が頻出すること

 

ただ、安心してください。入門の段階では全てをきちんと理解する必要はありません。各楽器の大体の役割分担を把握するだけでも、スコアから相当の情報が手に入ります。

もっと詳しくなりたいと思えば、追加で学習すればいいのです。

 

 

【スコア・リーディングを学べる、オススメの入門書】

 

オーケストラスコアを読むための入門書を紹介しておきましょう。

以下の書籍は、重要な内容に厳選されたうえで非常に簡潔に書かれているため、入門者に適しています。

 

・スコア・リーディングを始める前に ~ピアノからオーケストラまで~ (楽器・楽譜の色々)

 

 

 

 

 

 

一部の音楽大学でも、作曲科や指揮科「以外」の学生がスコア・リーディングを学ぶための教科書にしているやさしい入門書となっています。定評のある一冊です。

まずはこれ一冊で十分です。背伸びしてあまり複雑な書籍に手を出さないでください。

 

オーケストラスコアのリーディングは、ピアノ演奏の中級者以降でないとやや学習ハードルはありますが、一度身についてしまえばピアノ学習に「一生」役立ってくれます

これを機会に、思い切って音楽の視野を広げてみましょう。

 

‣ 49. 作曲家の記譜は必ずしも完璧ではない

 

たくさんの作品に触れていると、どうしても演奏不可能な箇所に出会うことはありますね。

よく見られるのは:

・指定のテンポが、どう考えても速過ぎる
・音程的に巨人の手でも届かないような和音がある
・音型的に演奏不可能なパッセージがある

 

速過ぎるテンポは「演奏家を啓発する意図」の可能性もあります。つまり、「目標」というわけですね。ただ、多くの場合は、作曲家の注意不足の可能性と、そもそも知識不足の可能性さえ考えられます。

 

何を言いたいのかというと、「作曲家の記譜は必ずしも完璧ではない」ということ。たとえ、有名な作曲家による楽譜であったとしてもです。

 

ピアノ曲以外でも、チャイコフスキー「くるみ割り人形 より 花のワルツ」の最初のハープは、楽器特性から多くの音がスタッカートに聴こえてしまうため、ハープに適さないことで知られています。

「まさかこれだけ有名な作曲家の、これだけ有名な作品で、曲頭からそんなこと…」と思うはず。しかし、作曲家も完璧ではないのです。

 

どうしても演奏不可能な箇所への対応方法は、「変更 → 整理 → 把握」これらのステップを意識しましょう。

クラシック作品において楽譜を変えて弾くことはご法度とされていますが、どうしても無理なところは、多少の簡略化を試みてもOK。ただし、「どこを “変更” したのかをきちんと “整理” し、”把握” しておくこと」だけは必ず守りましょう。

 

‣ 50. 解釈本はその楽曲が弾けるようになってから再読する

 

特定の楽曲の演奏ポイントや解釈などがまとめられた「解釈本」と言われる参考書は、多く出回っていますね。

 

譜読みを始める前に、また、譜読みと並行しながら参考にすることも多いと思いますが、おすすめはその楽曲が弾けるようになってから再読することです。

 

運指やペダリングなどをはじめとした演奏ポイントは譜読みの時期に欲しい情報ですが、本来、他人の解釈というのは自分の考えを中心に勉強してから受け取ると、より深く理解できたり参考になったりするものです。

 

概ね弾けるようになる頃には、譜読み前と比べると楽曲理解が格段に深まっているので、音源を聴いていただけではつかめなかった多くのことが分かっていますそのタイミングで再読してみると、初読の時とは異なる気づきが出てくる。

 

再読と言っても、特定の1曲のために割かれているページ数は、大抵あまり多くはありません。気楽に本棚からもう一度引っ張ってきてみてください。

 

様々な作曲家の作品を広く扱っている解釈本のうち良く知られているものは、例えば、以下のものです。

もしまだ読んだことがなければ、いつも手元に置いておくといいでしょう。

 

・最新ピアノ講座(7) ピアノ名曲の演奏解釈Ⅰ (音楽之友社)

 

 

 

 

 

・最新ピアノ講座(8) ピアノ名曲の演奏解釈Ⅱ (音楽之友社)

 

 

 

 

 

 

‣ 51. 新しい表現方法を知ると、新たな大変さと楽しさが生まれる

 

筆者自身、ピアノを弾くことが楽しくなったタイミングはいくつかあるのですが、そのうちの一つは、細かな表現を意識しはじめたタイミングです。

 

昔、習っていた先生にフレーズの作り方や全体の構成の表現方法をはじめ、あらゆることを教えてもらいました。

それまでは、身体の使い方や音の出し方をはじめ、どのようにデュナーミクやアゴーギクを表現して、などといったことは考えずに(気に留めることもなしに)、とにかく適当に楽しんで弾いていました。それで「弾けている」と思っていたのです。

 

あらゆる表現方法を教わった途端に意識すべきことが一気に増えたため、それまでは「OK、次」となっていたところで自分にOKを出せなくなりました。

・フレーズをおさめようとすると音が鳴らずにすっぽ抜けたり
・重心へ向けて深い音を出そうとすると特定の音だけ唐突に大きくなってしまったり

表現方法を知ったことで、新しい大変さもたくさん知ってしまったわけです。

 

一方、それでも丁寧に練習をして、「頭での理解内容」と「実際に音にするテクニック」が結びついて細かな表現を音へできるようになった時、新しい大変さよりもずっと大きな新しい楽しさを知ることができました。

 

これは、「どの段階まで上達しても、その先が待っている」ということでもあります。上達した段階からさらに新たな表現方法を学び続けなければいけません。

 

‣ 52. 似たようなものをたくさん集める学習方法

 

ピアノの練習や音楽理論などのあらゆる学習をしていると、うまくいかない時があったり苦手な部分に直面することもあると思いますが、こういった時に有効な学習方法があります。

つまづいたものに似たような素材をたくさん集めて並べてください

 

例えば、「こういう系統のエチュードが苦手だな」と思ったら、今までやったものもそうでないものも含めて似た作品を集めてみる。

楽典の調判定をやっている時にF-durで頻繁につまづくようであれば、解答を見てF-durが答えのものだけを集めてみる。

 

似たものをたくさん集めて一覧化するとどんな利点があるのかというと、そこに一定の傾向が見えてくるのです。そうすると、つまづいている原因が分かったり具体的な対策が思いついたりと、あらゆる恩恵があります。

それに、集まった素材集を使って一点集中学習もできますね。

 

元々このやり方を取り入れてみたきっかけは、高校のときに使っていた英語の参考書にあります。

伊藤和夫先生という、今は亡き有名予備校講師がいて、とにかく地味だけれども有益な英語参考書を出しているのです。特に有名どころは、「ビジュアル英文解釈」や「英文解釈教室」などでしょうか。

この講師の書いた参考書の中に、「同じカタチをした短い英文ばかりを集めて一覧にしてみるのは、良い勉強になる」などとといった一言がありました。

その時に英語学習でやってみた経験があったので、音楽学習でも部分的に応用できそうなところで試してみたわけです。

 

‣ 53. 共通点を見つけるのは良い学習方法

 

・一つの音楽の中には反復がありますし、モチーフの使い回しもある
・一度失敗してしまった音型は、別の楽曲の似た箇所でも繰り返し失敗する可能性がある
・自分で選んで増やしてきたレパートリーは、似たような楽曲で偏っている可能性がある

何を言いたいのかと言うと、「共通点を見つける」という視点であらゆることを見てみる必要性についてです。

 

例えば:

・暗譜を楽にするために、一曲の中での共通部分を見つけて整理する
・一度先生に注意されたら、他の楽曲で共通している部分を見つけて、再度注意されないようにする
・自分の傾向を知るために、好きな楽曲同士や苦手な楽曲同士の共通点を見つける

など。とにかくたくさん、あらゆる視点からの共通点を見つけてみましょう。

 

共通点を知ることは、楽曲そのものや自分自身を知ることにつながるでしょうその結果、正しい方向性を向いた状態で練習計画を立てたりレパートリーを見直したりできるようになります。

 

‣ 54. 好きな楽曲について、その理由を言語化する

 

音大の授業というと専門的な難しい授業ばかりだと思っていませんか?

厳しい内容だけではなく、中には楽しく、かつ、ためになるものもあります。

 

筆者が印象に残っているのは、「自分が好きな楽曲について、その理由をひたすら言語化して発表する」というもの。

好きな楽曲というのは誰にでもあるものですが、その楽曲のどんなところが好きでなぜ魅力を感じるのかというのは、意外と曖昧になっているものです。

それを一度じっくりと言語化してみることで、自分の好みの傾向を知ることができます。また、その楽曲についての理解も一層深まります

加えて、他人の発表を聞くことで、今まで興味が無かった楽曲について、気づいていなかった魅力を発見できたりするものです。

 

ピアノ仲間とやってみるのもいいですし、一人で好きな楽曲について整理してみるのでもいいので、一度取り入れてみてください。

 

‣ 55. 音大における音楽解釈の授業

 

ピアノ演奏では、作曲家が残したメッセージをそのまま読み取ることも重要ですが、それらのメッセージを参考にした「インタープリテーション(自分の解釈に基づく演奏)」も必要。それがあるからこそ、「個性」になります。

 

多くの音大では「音楽解釈」の授業があります。 

例としては:

・毎週題材が用意され、講師と生徒で解釈について徹底的に話し合う
・授業の度に学外のピアニストや作曲家や力のある教育者が来て、学内の優秀な学生がそのプロのレッスンを受ける。そして、それをみんなで聴講して解釈を学ぶ

などといった進め方です。後者は、マリア・ジョアン・ピレシュがNHK「スーパーピアノレッスン」で行っていたワークショップに似たやり方ですね。

 

単に演奏法や解釈を学ぶのではなく、それを通して:

・その講師は音楽をどう捉えているのか
・その講師は音楽をどう聴いているのか
・その講師にとって音楽がどのように聴こえているのか

などといったことまで聴講生は感じ取っていかなくてはいけません。

 

また、ワークショップ形式の場合は、他の受講生モデルの演奏に対して意見を求められた時に、物怖じせずに、遠慮せずに、自分の意見を伝えていく積極性も求められます。

中々刺激的な学習方法。1対1でピアノレッスンを受けている時とは違った角度で学びが深まっていきます。

 

このような経験を積み重ねることで、自身で解釈を施す力が向上していきます。

楽譜を正しく読むだけではなくて、「それを元に、どのように解釈を施すか」という部分が演奏家の腕の見せどころ。このような「演出、プロデューシング能力」は、楽譜をそのまま表現する事とは別に必要な力と言えます。

 

「音楽解釈」のクラスは必ずしも音大の中に限ったものではなく、調べてみると1dayで開催されているものも多くありますので、興味のある方は探してみてください。

 

・NHKスーパーピアノレッスン 巨匠ピレシュのワークショップ (NHKシリーズ)

 

 

 

 

 

 

‣ 56. 楽曲以外の分析もする

 

分析は、楽曲に対して行うだけでは不十分です。演奏に活かせそうなあらゆることに対して分析を行いましょう。

 

例えば:

・演奏上のクセ
・使いがちな運指
・選曲傾向
・日々の練習内容の傾向
・苦手意識がある楽曲の共通点
・愛用ピアノのコンディション(調律面 他)
・憧れるピアニストのレパートリーの傾向
・一度使用したホールの特徴

学習者によっては、他にも分析すべき項目が出てくることと思います。

 

「分析して知っておく」ということは、「対策できる」ということです。

こういったことは、普段何となくピアノに向かっているだけでは気づかないことも多い。

 

知識はどんなときにでも力になります。分析力を鍛え、あらゆる項目を分析することで今より一歩上を目指しましょう。何もしない場合と比べれば、確実に自分の演奏のためになるはずです。

 

‣ 57. プロが弾く「エリーゼのために」を研究する

 

「エリーゼのために」を弾ける方は多くいますが、プロが弾いた「エリーゼのために」はものすごく音楽的です。ここのギャップは何かを考えるのが、上級への一番の関門

 

今のレヴェルで精一杯の楽曲では、弾くことに必死で音楽的な領域までは踏み込めません。

「”余裕を持って弾ける” という段階に達した楽曲を、いかに音楽的に仕上げるか」を考えましょう。

 

独学の方はもちろんですが、ピアノ教室へ通っている方に対しても同じことをお伝えしたいと思います。

というのも、以前に「どうも音楽的に演奏できない」とお悩みの方に、「モーツァルトのソナタの緩徐楽章に取り組んでみてください」と提案したところ、「ピアノの先生に聴いてもらったら、何も言われずにマルになってしまった」と返ってきたのです。

指導者が学習者に対してどの程度の演奏を要求しているかはまちまちです。また、大きな声では言えませんが、中には本当に指導者自身が音楽を分かっておらず、それでいいと思っているケースさえあるでしょう。

 

言いたいのは、結局のところ少しづつでも「自分自身」でできるようになっていかなくてはいけないということ。

一番取り組みやすい学習方法が、「自分にとって余裕を持って演奏できる楽曲を一曲決めて、プロが弾く演奏を研究してみること」なのです。

 

‣ 58. 楽器法や管弦楽法の書籍を読むピアノ学習法

 

通常のピアノの学習では:

・ピアノへ向かって実際に弾く
・机の上で楽譜を丁寧に読む

この二つが基本です。

 

一方、他にも効果的な学習方法があります。

「楽器法や管弦楽法の書籍を読む」という方法。

 

楽器法、管弦楽法の書籍というと、作曲の勉強のために読むイメージが強いかもしれませんが、ピアノの学習にも活かせます。まずは、これらの本のうち「ピアノの項目」を読んでみましょう。

「楽器法、管弦楽法」の分野では様々な種類が出版されていますが、多くの書籍では楽器の「構造」や「得意な動き」、さらには「不可能な奏法」などについても書いてあります。

当然のように知っていることもあるでしょうし、「こんなこともできるのか」などと発見もあるはずです。

 

例えば、有名な作曲家「ベルリオーズ」による「管弦楽法」という書籍の中に、次のような文があります。

(以下、抜粋)
ソフト・ペダルは〜(中略)
(ソフト・)ペダルを踏まないそのままの音や、ダンパーペダルが生み出す華麗な響きと対照させて使われると、素晴らしい効果を挙げる。
(抜粋終わり)

 

サラッと読み飛ばしてしまいそうな文章ですが、「ソフト・ペダルの音を、”対照のために” 用いることもできる」という観点は注目すべきです。「音色」に焦点があたった解説となっています。

 

ソフト・ペダルの使用箇所は現代曲でもない限り、多くの場合作曲家は指定していないので、演奏家が使用箇所の判断をしていかなければなりません。

そういった時に、このような一文は参考になります。これはほんの一例で、楽器法、管弦楽法の書籍から学び取れることはヤマのようにあります。

楽器の上達のためには楽器について知ることが欠かせません。

 

以下、オススメの楽器法、管弦楽法の書籍を紹介しておきます。

 

値段はかなり張るけれども、本格的に学びたいという方におすすめの一生モノは、

・完本 管絃楽法( ​​伊福部 昭 著 / 音楽之友社)

 

 

 

 

 

 

本記事中の引用で例にあげた書籍は、

・管弦楽法(ベルリオーズ、リヒャルト・シュトラウス 著 / 音楽之友社)

 

 

 

 

 

 

‣ 59. 楽器の可能性を知るとっておきの学習方法

 

「ピアノが出せる音色の可能性を一つでも多く知っておくこと」は欠かせませんが、この部分を伸ばすためにはどのような勉強方法があるのでしょうか。

ピアノについて詳細に書かれた書籍を読むのもいいですし、それ以外に効果的なのは、「”オケ中ピアノ” がある楽曲を聴いてみる」という方法。

 

「オケ中ピアノ(おけなかぴあの)」というのは、オーケストラの中に「数あるパートのうちの一つとして」ピアノが取り入れられている場合のピアノパートの呼び方です。

「ピアノ協奏曲」はオーケストラの中にピアノが存在しますが、ピアノが主役なので、通常は「オケ中ピアノ」とは言いません。

 

なぜこういった呼び名がついたのでしょうか。

実は、ピアノという楽器はオーケストラの中においては「編入楽器扱い」つまり、通常のオーソドックスなオーケストラではピアノには席が与えられていないのです。

そこで、作曲家の意志によって「編入楽器として変則的にピアノを入れている」というわけなのです。

 

ではなぜ、「”オケ中ピアノ” がある楽曲を聴いてみる」という方法が、「自身がまだ把握していないピアノの可能性を知るためにできる勉強方法」として有効なのでしょうか。

 

それは、「ピアノソロ楽曲の場合とは根本的に違う役割が与えられていることが多いから」という理由。

ピアという楽器は:

・メロディを奏でる
・一度に多くの音を出してハーモニーを聴かせる
・バスラインを奏でる

など、様々なことを一度にできます。一方、これらのことはオーケストラの各楽器が力を合わせればどれもできてしまうことなのです。

では、「オーケストラにはできなくてピアノにだけできること」は何なのか考えてみてください。

答えはシンプル。

「ピアノという楽器自体の音色を聴かせること」です。

 

オーケストラはどんなに力を合わせてもピアノと同じ音色を出すことはできません。

「オケ中ピアノ」としてのパートは「ピアノという楽器自体の音色を聴かせること」に主眼が置かれている場合が多いので、当然ながらピアノソロで多く使われるような:

・アルペジオ伴奏
・メロディ演奏

だけでなく:

・打楽器的な奏法でピアノの音色を強調する
・あえてピアノの最高音域や最低音域の音を聴かせる

などといった使い方が多くあるのです。

 

ピアノソロ楽曲だけを聴いていては中々耳にできないピアノの使い方を知ることができるでしょう。

また、「楽器の王様」「オーケストラ」などと呼ばれることが多い「ピアノ」という楽器でさえも、オーケストラの中では「意外と聴こえてきにくい」ということに気づくことができると思います。

 

“オケ中ピアノ” がある楽曲を聴いてみることで、ピアノについてさらに詳しくなりましょう。

 

「出したい音色を自分の中で鳴らせるようになる」ために必要なのは、「ピアノが出せる音色の可能性を一つでも多く知っておくこと」にあります。

 

「オケ中ピアノ」で調べれば具体的な楽曲がたくさん出てきますが、曲頭からピアノが登場するドビュッシー : 交響組曲「春」などは、ピアノの音もはっきり聴こえるのでおすすめ。

 

音源だけで聴いてもいいですが、ピアノの楽譜が読めればオーケストラの楽器の楽譜も半分以上は読めるので、スコアを片手に聴いてみるのも勉強になるでしょう。

 

► E. 楽曲理解と演奏解釈の深め方

‣ 60. 自分の中で以前と比べて変わったことを整理する

 

我々が少しでも良い音楽ができるようになるために必要なのは、神頼みをすることではなく、上手な人と手をつなぐことでもなく、毎日、少しづつ何かを改善していくことです。

 

コツコツ累積をしていると以前と比べて自分の中で変わった部分が出てきているはず。

ちょっとしたことでもいいので、このような変わったことや意識するようになったことを一度整理してみましょう。上達した内容ではなくても、自分の中での変化であれば挙げてみてください。

 

例えば:

・自分一人で運指やペダリングを決められるようになった
・シューベルトのピアノ音楽に詳しくなった
・先生が変わってから、ようやく音色を考えるようになった
・人に指摘されて恥ずかしい思いをしてから、楽語を調べるようになった

 

筆者の場合は、著名な作品過ぎてかえって距離をとってしまっていたような「名曲」と言われる作品に積極的に取り組むようになりました。演奏でというよりは、そういった作品をピアノ編曲することに力を入れています。

 

また、自宅にはグランドピアノとアップライトピアノの両方を置いているのですが、ピアノの構造を知ってからはそれぞれの良さを感じることができるようになり、アップライトピアノにも多く触れるようになりました。

 

日々学習していると様々な変化があり、ちょっとずつ何か新しいことを知ったり、ちょっとずつ何かが改善されたりしていく。

それを確認して少し幸福度が上がって、また明日も頑張ろうと思えるかが大事ですね。そうやって勝手に楽しんでいることが、結局は、上達にとっても近道になります。

 

‣ 61. 作品情報は、書き出して楽譜へ挟みっぱなしにする

 

コルトーは、生徒への指針として以下のような内容を調べるように要求したそうです。

 

「アルフレッドコルトー ピアノ演奏解釈」アルフレッド・コルトー 著/ジャンヌ・ティエフリー 編集/店村 新次 訳 ムジカノーヴァ

より抜粋して紹介します。

(以下、抜粋)
1. 作曲者の氏名、誕生と他界の年月日、ならびにその土地
2. 作曲者の国籍
3. 作品の標題、作品番号と献辞
4. 制作に影響を及ぼしたもろもろの状況、作曲者が入れた指示
5. 構想(形式、テンポ、調性)
6. 目立った特徴(和声的分析、受けた影響、類似性、系統づけ)
7. 作品の性格と意味(演奏者の評価に基づく)
8. 美学的、技術的註釈、研究と演奏のための注意事項
(抜粋終わり)

 

生徒が作品についての詩的理解を有するかどうかということをコルトーは重視したとのこと。こういった下調べは、作品のことを深く学習しようと思ったら当然のように実行すべきです。

 

下調べのポイントがあります。

調べた内容を紙へ書き出して、すぐ見れるように楽譜へ挟みっぱなしにしてくださいそれか、楽譜が真っ黒になるのを覚悟で、その作品楽譜の1ページ目へ書きこんでください。

身になっていないうちに視界から消えると、調べたことすら忘れるからです。

 

調べて満足するだけでは意味ありません。

こういった内容を理解して解釈を考えるヒントにしたり、直接演奏に結びつけられないことも、その作曲家や作品の深い理解のために触れておく必要があります。

 

その作品へ取り組んでいる期間は、練習を始める前に毎回一通り読むようにしましょう

 

新しい作品へ取り組むたびにこういった学習を繰り返していくと、演奏に役に立つだけでなく、膨大な知識を手に入れることができます。

 

・アルフレッドコルトー ピアノ演奏解釈  アルフレッド・コルトー 著/ジャンヌ・ティエフリー 編集/店村 新次 訳 ムジカノーヴァ

 

 

 

 

 

 

‣ 62. 言い伝えられている作曲家毎の特徴だけで作品を判断しない

 

よく、違和感のある解釈の説明を耳にします。例えば:

・「ショパンなんだから、揺らして」
・「ベートーヴェンなんだから、思いっきり音を出して」
・「J.S.バッハなんだから、ノンペダルで」

これらを耳にする度に呆れてしまいます。

 

確かに、作曲家ごとにいい伝えられているこれらの特性や性格が当てはまる時もあるでしょう。

しかし、やはり作品ごとに “別の顔” として見ていかなくてはいけません

 

いい方法があります。

上記のような作曲家別の言い伝えをある程度は指針にしてもいいけれど、迷った時の唯一の判断基準にはしないようにする

例えば、J.S.バッハの作品のとある箇所でダンパーペダルを使うかどうかに迷ったとします。

その時に、「使いたいけど、J.S.バッハではノンペダルでってみんな言ってるから、やっぱり使わないでおこう」などといった方向には思考を持って行くべきでないということ。

 

それでは思考も表現も四畳半になってしまいます。やりたい弾き方があるのなら、やってみればいい。仮に後で反省することになってもいいのです。やってみないと、何も分かりませんので。

「自分はこう弾きます」のような強い気持ちがあった方が、表現が四畳半になるよりもずっとマシ。仮にそのやり方に多少問題があったとしても。

 

極端な言い伝えを絶対視するのは、思考停止と同じです。

 

‣ 63. 誰による演奏なのかを気にする

 

昔、筆者が学生だった頃、「○○というピアノ曲が好きで最近よく聴いています」という話を指導者にしたところ、「誰の演奏を聴いている?」と言われ、何も返す言葉がなく困った覚えがあります。

 

当時は、ただ単にその楽曲が好きで聴いていただけで、誰の演奏なのかを全く気にしていませんでした。しかし、同じ楽曲でも演奏家によって全く別の顔を持ちます。

その違いを聴く面白さを知ってからは「○○というピアノ曲が好き」ではなく、「○○というピアノ曲が好きで、特に○○というピアニストによる演奏の、○○なところが好き」などといったように聴く時のこだわりも増えて、聴く楽しさが2割増になりました。

 

「音源を聴くときに、誰による演奏なのかを気にする」

これを徹底して学習してみてください。

 

‣ 64. なぜ、聴いて真似るだけでなく楽譜を良く読むべきなのか

 

「ざっと譜読みが終わったら、後は他者の録音を聴いて、それを真似ていく」という学習方法はよくとられるようです。

他者の録音を参考にするのはいいのですが、原則、楽譜を読むのをやめるべきではありません

 

他者の録音を真似するのと楽譜をさらに読み解くのとでは、どんな違いがあると思いますか。

 

録音を通した学習というのは他者の視点が中心ですが、楽譜を通した学習は自身による読み取りが中心です。

他者のフィルターを通すだけでなく、譜読みが概ね済んだ後の段階に自分の視点が入らないと自分の演奏にはなりません

 

それが少々未熟な読み取りでもそんなことは問題ではなく、自分で考えたり読み取ったりすることをサボってしまう方が余程問題です。

引き出しを増やすべく他者の演奏から学ぶ場合でも、ただ真似するだけでなく、「自分はこのように楽譜から読み取ったけど、このピアニストはなぜこのように弾くのか」という「なぜ」の視点を持ちながら学習を進めてみましょう。

 

‣ 65. 巨匠のレパートリーを研究する

 

例えば、シフは以下のような楽曲によるアルバムを発表しています:

・シューマン「暁の歌 Op.133」
・シューマン「4つの夜曲 Op.23」
・シューマン「クライスレリアーナ Op.16」
・シューマン「主題と変奏 変ホ長調」

 

オールシューマンプログラムですが、ここで考えてみるべきなのは:

・プログラムの作り方
・なぜこれらの作品をレパートリーにしているのか

という部分です。

 

中には、アルバムを出すにあたって要請で選曲している楽曲もあるかもしれませんが、基本的に、巨匠のようなエスタブリッシュされた人物が自分のこだわりがないものをレパートリーに持つとは考えられません。

 

上記のプログラムで言うと、「クライスレリアーナ Op.16」はよく知られていますが、他の3曲は結構マイナーな作品です。もっと知られていて、なおかつ、内容のある作品は他にもたくさんある中で、なぜシフはこれらの作品をレパートリーにしたのでしょうか。

 

シフしか知らない唯一の答えを見つける必要はなく、あれこれと考えてみることで自分の取り組みへ間接的に影響を与えることが目的になるといいでしょう。

 

他の例を挙げます。

リヒテルは:

・J.S.バッハ原曲の編曲作品(リスト編曲のものなど)にはほとんど取り組まなかった
・J.S.バッハのオリジナル作品はレパートリーに多く、録音も残している
・J.S.バッハ以外の作曲家が原曲の編曲ものには多く取り組んでいる

どうしてなのでしょうか。

リヒテルがJ.S.バッハについてどう考えていたのか。編曲すること、編曲された作品を演奏することについてどう考えていたのか。

予測でいいので考えてみましょう。

 

ツィメルマンは、バッハ=ブゾーニ「シャコンヌ」はレパートリーにしていませんが、バッハ=ブラームス「シャコンヌ(左手のための)」は弾いています。

 

巨匠の仕事から歴史を見ることでそこにある一定の結果は出ているわけなので、それを知ったうえで今の時代に自分はどんなことをしようかと考える姿勢が必要と言えるでしょう。

 

‣ 66. 美しさやカッコ良さだけが楽曲の良さではない

 

音楽雑誌などを見ていると、「ピアノ経験者にきいた、人気ピアノ曲ランキング」などが目に入ってくることも。

 

並んでいる楽曲の内容には納得できますし、筆者が好きな作品も並んでいます。

一方:

・ただただ美しい作品
・ただただカッコいい作品

こういったものばかりがランキングしているので、それだけが音楽の良さではないのになあ、などと思うこともあります。

 

例えば、プーランク「15の即興曲」を聴いたことはありますか?

15曲それぞれ、基本的には「美しさ」や「かっこよさ」が表現されていますが、不意に「えっ?何で?」「何、今の?」と思うような意外さ、言ってみれば「サプライズ」が挟み込まれてきて、とても面白い作品群なのです。良い意味での「裏切り」ですね。

 

これはプーランクの特徴の一つでもあるのですが、「15の即興曲」では特に遊び心を感じます。サプライズばかりではおもちゃ箱のようで逆につまらないのですが、この作品では正統さと裏切りのバランスが絶妙。

 

一番 “まともな” 第15曲、「エディット・ピアフを讃えて」が、全15曲の中で一番よく知られています。

 

他の14曲も含めて、現在の知名度的に人気ピアノ曲ランキングにあがることはほとんどありません。

しかし、ピアノ学習者にはこういった作品を通して、「美しい、かっこいいだけではない音楽の魅力」を自分の引き出しの中へどんどん取り込んで欲しいと思います。

 

Gabriele Tomasello 公式チャンネルに、プーランク「15の即興曲」の音源がアップロードされています。

【音源】Poulenc – 15 Improvisations pour piano [Tomasello, 2008]

Poulenc – 15 Improvisations pour piano [Tomasello, 2008]

 

・【楽譜】日本語ライセンス版 プーランク 「ピアノ作品集 第1巻 15の即興曲集」

 

 

 

 

 

 

‣ 67. なぜ、作曲家の自作自演を完全な指標としてはいけないのか

 

クラシックの作曲家の中には、同時に優れたピアニストでもあった人物がいて、その中でも何人かの演奏は音源で聴くことができます。

 

資料としては非常に貴重なものなのですが、こういった自作自演は参考にする程度で留めておくべき。完全信頼するのはおすすめできません。

 

「その作品を作曲した本人による自作自演」というのは、価値も信頼度も圧倒的。仮にその演奏が練習不足だったとしても、本当に素晴らしく演奏する他者の演奏よりも見方によっては良いものと言えてしまいますね。

だからこそ、我々は完全信頼して隅から隅までマネしてしまったりするわけですが、それをやってしまったらその作品の価値は限りなく低くなってしまいます。

ある意味、他人には価値的に超えられない作曲家自身の演奏を最高の位置に置いてしまうことになるので、そこでその作品の歴史は事実上終わってしまうのです。

 

「再現芸術」とも言えるクラシックの作品が長い年月を経てからも演奏され続けているのは、終わりがないことに意味があるから。終わりがないことに意味があるものを、終わらせてしまうのです。

極端な言い方をすると、作品に対する新しい価値を見いだす必要性を作曲家の自作自演が奪ってしまうということ。

 

資料としての価値は心から認めますが、程々に付き合うべきでしょう。

 

‣ 68. なぜ、手のぶつかり合う作品が存在するのか

 

ピアノを弾いていると、左右の手が衝突してしまって楽譜通りに弾けないところが時々出てきますね。バロックや古典派の作品などで見られます。

 

これはなぜなのでしょうか。

音楽学で言われている理由の一つは、

「元々、二段鍵盤の鍵盤楽器のために作曲された、もしくはそれを使って作曲した」という背景があるから

 

例えばモーツァルトには、ザルツブルグ時代の作品をはじめ、一部、二段鍵盤を使って作曲した作品があることが報告されています。それを現代のピアノで演奏すると、ある部分では手の衝突する部分が出てくるわけです。

 

‣ 69. その作曲家の別作品との関連性を見つける

 

ベートーヴェン「ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 月光」の楽章構成については、古典派のそれまでのソナタから考えると異例なものとなっています:

・第1楽章がアダージョ
・第3楽章に比重があり
・第2楽章は対比になっている

 

しかし、単に異例なものと考えるのではなく、「従来ベートーヴェンがピアノソナタでとってきた楽章構成の、第1楽章を省略したカタチ」と考えてみるのはどうでしょうか。

 

ベートーヴェンは、一部を除き、多くの初期ピアノソナタを以下のような楽章構成で作曲しました:

・第1楽章 ソナタ形式の急速楽章
・第2楽章 緩徐楽章
・第3楽章 スケルツォ または メヌエットの楽章
・第4楽章 ロンドなどの急速楽章

 

ここから第1楽章を取り払って第2楽章からスタートすると考えてみましょう。

「月光ソナタ」の楽章構成にそっくりだと思いませんか?

「月光ソナタ」の第3楽章は、ロンドではありませんが、急速楽章です。

 

目の前の楽曲をそのまま理解しようとするだけではなく、上記の例のようにその作曲家の別作品との関連性を探してみるのも学びにつながりますね。

 

‣ 70. 近現代のサウンドを昔の作曲家は思いつかなかったのか

 

「ピアノ・テクニックの基本」ピーター コラッジオ (著)、坂本暁美、坂本示洋 (翻訳) 音楽之友社

という書籍に、以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
バロック時代と古典派時代の音楽家は、王と教会を頂点として国家と貴族がそれに続くという、当時の身分社会での自分たちの立場をよく知っていました。
どのように行動すればよいのか、何が期待されているのかを、誰もが知っていました。
作曲家は、課せられた制限の枠内で創作し、当時の聴衆に容認された形式と表現方法で音楽をつくり上げました。

(抜粋終わり)

 

モーツァルトのピアノソナタの中に現在のノンクラシックでいうadd9の響きなども出てきますし、当時の作曲家にとってそういった響きの感覚がゼロだったわけではないでしょう。

しかし、抜粋からも読み取れるように、当時はモラルのようなものが強くありました。

 

また、使う技法には思いつく思いつかないの問題ではなく、楽器の進化の都合上、やりようがなかったものもあります。

例えば、膝レバーでダンパーを動かす黎明期の装置には、中央あたりから下の音域の音のみを持続させるものがありました(低音部や高音部が個別もしくは同時に動くものもありました)。

したがって、後の時代に作曲された以下のような譜例の効果は出せない楽器も存在したのです。

 

ドビュッシー「前奏曲集 第2集 より ピックウィック卿を讃えて」

譜例(PD作品、Finaleで作成、曲尾)

この締めくくりは、強く響く中音域の和音を静かに響く低音と高音がエコーのように包みこんで終わります。

こういった効果は全音域に対して有効なダンパーペダルあってこそ。仮にこのようなやり方を、上記、中央あたりから下の音域の音のみしか持続できないペダル時代の作曲家が思い付いても、当時の楽器のためには書きようがありません。

 

上記の書籍には、以下のようにも書かれています。

(以下、抜粋)
ここでは便宜上、後期ロマン派のピアノ曲の作曲家たちのことを、「ダンパー・ペダルを使って音の織りと音の色彩を描いた画家」と考えるとよいかもしれません。
(抜粋終わり)

 

現在広く使われている機能をもったダンパーペダルが現れてからは、色彩面などでピアノの可能性が大きく広がりました。

この点で特にドビュッシーの中期以降の作品がピアノ音楽の世界へ与えた影響は、非常に大きなものです。

 

・ピアノ・テクニックの基本 ピーター コラッジオ (著)、坂本暁美、坂本示洋 (翻訳) 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

‣ 71. 誰でも無理なくステージ数を増やす方法

 

独学の方は申し込み型のイヴェント、習いに行っている方はそういったイヴェントや教室の演奏発表会などに参加することで、日頃の学習成果を披露することができます。

 

このような機会は探せば意外と多く見つかるものですが、イヴェントによって時期がずれていたりして、複数のステージの機会を得たい時にうまく調整できないこともあるでしょう。

 

そんなときにおすすめする、誰でも無理なくステージ数を増やす方法があります。

一つの本番で、ソロに加えてデュオでも出演してください

会場的に2台ピアノが難しければ、連弾としてのデュオや他の楽器とピアノとのアンサンブルを交渉します。

 

大抵、ソロの持ち時間は決まっているので、別枠のアンサンブルにも出ればいいんです。

多くのイヴェントでは、ピアノの演奏発表会といってもそれが編成に入ってさえいればソロ以外も受け入れてもらえます。

 

・同日でステージの数を増やせるとともに
・ソロ以外の経験もできて
・音楽仲間も増やせる

このように、とてもいい経験になるでしょう。

 

筆者自身も、このやり方を使って1回のイヴェントで2度以上のステージを踏んだ経験は多くあります。

 

‣ 72. 新しい楽曲を人前へ初出しする最低ライン

 

新しい楽曲の練習を始めたら、それをやめてしまわない限り人前へ初出しするタイミングは存在します。

ここで言っている「初出し」というのは、大きな本番でのことではなく:

・レッスンへ初めて持っていく
・友達に初めて聴いてもらう

など、その前段階での初出しのこと。

 

正直、いつ出しても自由なわけですが、自分で学習を進められる学習者は、初出しする最低ラインを以下のように考えてください。

「楽譜を読みながら弾ける」という状態が「楽譜を見ながら弾ける」へ変わってから

 

読みながら弾いている状態と、見ながらでも弾ける状態では大きな差があります。言われなくても分かっていると思いますが、これを意識して腑に落として「まずは何としてでも、楽譜を見ながら弾いている状態まで底上げする」という強い気持ちをもつことが大切だと考えています。

 

「楽譜を見ながら弾ける」よりもさらに先へ進んだものが、「暗譜で弾ける」という段階。

暗譜で弾けるにも関わらず楽譜を置いて本番をやる奏者というのは、当然、本番では楽譜を読んでいません。ほぼ見ているだけです。

【第1段階】楽譜を読みながら弾ける
【第2段階】楽譜を見ながら弾ける
【第3段階】暗譜で弾ける

 

大きな本番に先がけた初出しでは、せめて第2段階を目指しましょう

少し余裕が出てきて演奏の安定度が上がってきている段階ですし、仮にレッスンを受けた場合には第1段階の自分よりも吸収できることが多くなります。

 

► 終わりに

 

ピアノ学習における様々なアプローチを見てきました。これらの内容は、決して「絶対的な正解」ではありません。むしろ、自身の音楽表現を追求する際の「考えるヒント」として活用していただければ幸いです。

この記事で触れた視点を参考にして、さらに学習を進めていってください。

 


 

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