【ピアノ】左手作品から読み解くマルクスゼン:ブラームスの恩師が遺した片手の音楽

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【ピアノ】左手作品から読み解くマルクスゼン:ブラームスの恩師が遺した片手の音楽

► はじめに

 

エードゥアルト・マルクスゼン(Eduard Marxsen, 1806–1887)という名前は、今日ではあまり知られていません。しかし「ブラームスの師」と言えば、その重要性が伝わるでしょう。

ハンブルクで半世紀近く活躍した教育者であり作曲家であるマルクスゼンは、左手のみのための作品を2曲残しています。

どちらも1844年前後の作品であり、時代的には左手ピアノ音楽の黎明期にあたります。作品の規模は大きくありませんが、その背景には当時の演奏界を席巻していた「左手の名手」への敬意が込められており、マルクスゼンという人物を理解するうえでも興味深い手がかりになっています。

 

► マルクスゼンとはどんな人物か

 

1806年、ハンブルク近郊のニーンシュテッテンに生まれたマルクスゼンは、オルガニストの父から音楽の手ほどきを受けた後、ウィーンへ渡ってイグナツ・ザイフリートに対位法を、カール・マリア・フォン・ボックレトにピアノを学びます。帰国後はハンブルクの教師として広く名声を築き、1875年には王室音楽監督の称号を授与されました。

作曲家としては、オペレッタ、交響曲、室内楽、リートなど多方面に作品を残しています。ピアノ曲のなかには、「コーヒー(C-A-F-F-E-E)」の音形を主題にした幻想曲など、ユーモアを感じさせるものもあります。

今日、彼の名前がもっとも頻繁に登場するのはブラームスとの関係においてでしょう。弟子のオットー・コッセルから「もうこれ以上教えることがない」と太鼓判を押された少年ブラームスを引き受けたマルクスゼンは、ピアノ指導に留まらず、厳格な対位法やバッハ・ベートーヴェンの作品へと彼を導きました。後年ブラームスは「ピアノ協奏曲 第2番」を師に献呈しましたが、一方で、後年にはマルクスゼンから得たものは何もなかったと語ったとも伝えられています。

師弟関係というものの複雑さを感じさせるエピソードです。

 

► 左手作品から読み解くマルクスゼン

‣ 左手作品2曲を読む

· ① 3つの即興曲「ドライショクへのオマージュ」Op.33 より 第2曲

 

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、第2曲 1-4小節)

マルクスゼン

作曲:1844年以前 / アレクサンダー・ドライショクへ献呈

副題が示すとおり、当時ヨーロッパの演奏界で「2本の右手を持つ男」と称されていた左手の名手アレクサンダー・ドライショクへの献呈作品です。

Op.33の3曲のうち、第2番「追憶(La Ricordanza)」が左手のみのための作品として作曲されました。4小節の短い導入部に続き、f-mollのメランコリックな主部が始まります。中間部はF-durのAllegrettoに転じ、その後に再び冒頭の旋律に戻って静かに閉じる三部構造です。

難易度もそれほど高くなく、抒情的な小品という印象。マルクスゼンが左手の名手ドライショクの技術と音楽性をどのように見ていたかが、この左手のみで演奏する穏やかな「追憶」の雰囲気に透けて見えるようです。

マルクスゼンはここで、ドライショクの表立った特徴である超絶技巧を誇示するのではなく、むしろ抒情的な性格を持つ作品を捧げました。この選択からは、彼が単なる技巧家ではなく音楽家としてドライショクを評価していた可能性を感じさせます。

 

併読推奨記事:【ピアノ】左手作品から読み解くドライショク:片手で二人分を弾いた男

 

· ② 左手のための練習曲「6つの性格的な小品」Op.40(ヘンゼルトに捧げる)

 

作曲:1844年頃 / アドルフ・フォン・ヘンゼルトに献呈

6曲からなる練習曲集です。ヘンゼルトはリストやタールベルクと並び称されたロシア宮廷ゆかりの名ピアニストであり、当時の鍵盤奏者のなかでも技術的に傑出した人物でした。

「練習曲(Etüden)」と「性格的な小品(charakteristische Stücke)」という二つの顔を持つこの曲集は、練習曲でありながら、それぞれが独立した小品として構想されている点に特徴があります。

 

‣ ドライショクとヘンゼルト、二人の名手への眼差し

 

マルクスゼンの左手作品2曲を並べてみると、いずれも「当代一流の技巧派ピアニスト」への献呈であることが分かります。Op.33はドライショク、Op.40はヘンゼルト——どちらも1840年代に名声の頂点にいた演奏家です。

この時期、左手のみの演奏はドライショクがパリやロンドンでセンセーションを巻き起こし始めたばかりの、まだ目新しい試みでした。マルクスゼンがそこに作品を残したことは、彼が演奏界の最前線に敏感な目を向けていたことを示しています。教育者・理論家としての側面が強調されがちですが、こうした作品を見ると、同時代のヴィルトゥオーゾ文化との接点もしっかりと持っていた人物だったと言えるでしょう。

 

► 終わりに

 

マルクスゼンの左手作品は、演奏会で頻繁に取り上げられるような規模の作品ではありません。しかし「ブラームスの師」という一面だけで語られがちな彼が、左手ピアノ音楽の黎明期に具体的な作品を書き残していたという事実は、注目に値します。

ドライショクへのオマージュ(Op.33)はその名の通り、時代の空気を写したスナップショットのような作品です。「歴史的な関心しか惹かない」と評されることもありますが、裏を返せば、その時代がどのように左手の技術を讃えていたかを今日に伝える、貴重な証言でもあります。マルクスゼンという人物の全体像に触れたい場合は、これらの小さな作品にも目を向けてみる価値があるでしょう。

 

参考文献:

・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)

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