【ピアノ】ヨーゼフ・ディッヒラー「ピアノの解釈と限界」レビュー
► はじめに
「ピアノの解釈と限界」は、オーストリアのピアニスト・教育者であるヨーゼフ・ディッヒラーによる、ピアノ演奏の芸術性と音楽解釈に関する参考書です。基本的演奏技術の解説書ではなく、すでに一定の技術を身につけた学習者に向けて、音楽の深層理解と解釈の深化を促す内容となっています。
・訳 : 尾高節子
・出版社:音楽之友社
・邦訳初版:1973年
・ページ数:173ページ
・対象レベル:上級者
・ピアノの解釈と限界 著: ヨーゼフ・ディッヒラー 訳:尾高節子 / 音楽之友社
► 内容について
‣ 本書の特徴と構成
本書の核心は「解釈」と「限界」の概念にあり、全体は5つの章で構成されています。
特筆すべきは、古典派とロマン派の差異に焦点を当て、フェルマータやアゴーギクなど様々な要素を比較検討している点。「知的音楽」と「感動的音楽」、「解釈」と「限界」の考察など、二項対立的な視点から音楽表現の本質に迫っています。
1. 導入(一般論、演奏、批評、聴衆、言葉)
2. 知的音楽
3. 感動的音楽
4. 解釈(種々の見地、ピアニスト、表現方法)
5. 限界(レコードの批評、四つの根本原則、表現手段の使用の限界)
‣ 内容のピックアップ
アーティキュレーションの捉え方
「よきアーティキュレーションとは、言葉にたとえた場合、各単語を正確に、明確に分かりやすく、それに適した音の高さをもって発音するということである」とディッヒラーは述べています。ここでは音楽を言語として捉え、その明瞭な「発音」の重要性を説いています。
ピアノ音の特性
「まさにピアノ音の性格の無い抽象性が(それ自体)あらゆるスタイルの分野の作品に対し満足すべき再現を可能にし、聴衆を飽きさせることなく、一晩をうめるプログラムの論争の対象となる」という指摘は、ピアノという楽器の特性を鋭く分析したものです。他の楽器にはない「抽象性」こそがピアノの強みであり、様々な時代・様式の作品を表現できる可能性を秘めていると説いています。
楽譜の解釈と演奏者の責任
「再現芸術家に常に要求されることは、彼自身の音楽性、彼の音楽的教養、文献的知識、様式の確立、経験、すべての上に立った上で作曲家がそこに書き表わしていなくても『同質』のものとしてすべてを理解、感じ、つかみとることである」という一節は、演奏者の責任の重さを示しています。楽譜に明示されていない要素についても、作曲家の意図を汲み取る義務が演奏者にはあるという考えは、現代の演奏解釈にも通じる視点と言えるでしょう。
楽譜指示の尊重
ベートーヴェンのソナタにおける反復記号の扱いについての言及は、著者の厳しい姿勢を表しています。「それを簡単に無視することは真面目な演奏家のするべきことではない」という指摘は、現代でもしばしば議論となる「明確な意図無き反復の省略」に対する警鐘とも受け取れます。
► おすすめの読者層と読み方のコツ
本書は上級者向けの専門書です。概ね、ツェルニー50番中盤以上のレベルに達している学習者を対象としていると考えてください。初心者や中級者には難解かもしれませんが、音楽表現の本質を考えるうえでの貴重な視点を提供しています。
「ピアノの解釈と限界」という書籍タイトルにあるように、文中では度々「限界」「限度」という用語が出てきます。キーワードとなるので、これらの用語が出てくる度にマークしておくと、理解の助けと復習の容易さにつながるでしょう。
► 関連書籍
同著者の「ピアノ演奏法の芸術的完成」も併読することで、ディッヒラーの音楽観をより包括的に理解できます。レビューは、以下の記事を参考にしてください。
【ピアノ】ヨーゼフ・ディッヒラー「ピアノ演奏法の芸術的完成」レビュー
► 訳者の苦労と著者との交流
訳者あとがきからは、翻訳の困難さと著者との交流が垣間見えます。ディッヒラー自身が「日本の人々に分かるような例がもっともよい」と配慮し、訳者に自由度を与えていたことは、国際的な音楽の共通理解を目指す著者の姿勢を反映しています。訳者は「あまりの表現の適切さに思わず吹き出してしまったり、日頃当面する教授上の問題にわが意を得て一人で悦に入った」と述べており、翻訳の苦労を超えた知的喜びが伝わってきます。
► まとめ
「ピアノの解釈と限界」は、ハウツー本ではなく、音楽哲学書とも言える深い内容を持っています。古典派とロマン派の様式差異など、多面的要素を緻密に分析しながらも、最終的には音楽の精神性へと読者を導く構成は、著者の深い音楽的教養と教育者としての配慮を感じさせます。
音楽の深層と演奏者の責任についてまで考えさせられる本書は、ピアノ音楽を追求する上級学習者にとって、必読の一冊と言えるでしょう。
・ピアノの解釈と限界 著: ヨーゼフ・ディッヒラー 訳:尾高節子 / 音楽之友社
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