【ピアノ】楽譜への書き込みの活用法と、作曲家の書き込みの解釈法
► はじめに
本記事では、「書き込み」に着目して、以下の点についての実践的ヒントをまとめました:
・自身による書き込みをうまく活用した学習方法のヒント
・作曲家による特別な書き込みを理解するためのヒント
► A.「書き込み」を学習へ取り入れるヒント
‣ 1. 譜読みの鍵は「手を動かすこと」
譜読みで圧倒的に精度を上げる方法があります。
それは、手を動かしながら譜読みをすること。言い換えると「楽譜に書き込みしながら譜読みをする」という、当たり前とも思えることです。
「手で書く」という動作は考える作業に向いています。
例えば、日記はパソコンでも書けますが、手書きで書いた方が自分の考えを整理しながら正直に書き出せますね。「パソコンのタイピング」と「手を動かす手書き」とは全く異なるツールです。
譜読みは一種の「分析」でもあり、考えながらあらゆることを読み取って整理していかなくてはいけません。
したがって、楽譜を見ながら音源を聴くだけでなく、自分の手を積極的に動かしていくのが譜読みの精度を上げるために必須となります。
‣ 2. 特に、指遣いは積極的に書き込む
余程の初心者ではない限り、楽譜に「ド」とか「ファ」などと音名を書き込むのは、読譜力の向上の観点でもおすすめできません。文字を読んでしまって音符を読まなくなるからです。
ただし、「運指」に関しては積極的に書き込むといいでしょう。毎回同じ運指を使うことで練習が積み重なるからです。
もちろん、練習中により良い運指を求めて変更するのは構いませんが、その都度「これでいく」という決定が必要です。
‣ 3. 小節番号も迷わず書き込む
楽譜によっては小節番号が書かれていないものもありますが、本当に使いにくいですね。
少しでも練習の効率を良くしたいのであれば、迷わず、番号を書き込んでください。全小節に書いていくのではなく、各段のはじめに記せば十分。
小節番号があることで圧倒的に練習の管理がしやすくなります。
例えば、「指導者と、小節番号で場所の意思疎通ができる」という時短の利点は大きい。
・「○小節○拍目からもう一度弾いて」
・「○小節目のデュナーミクについて疑問があります」
などといったやりとりが可能になり、指導者にとっても非常に助かるはず。特に、2台のピアノを使ってソロ曲のレッスンをしているような、指差しで「ここから弾いて」などと言えない時に役に立つでしょう。
また、小節番号を書き込んでおくことで、習いに行っているかどうかに関わらず、「○小節目と○小節目は、音は同じでダイナミクスの書かれ方だけ異なっている」などと自分へのメモに使うこともできます。
加えて、その楽曲の分析や解釈が書かれた書籍を読み進める時にも、大抵、小節番号で話が進んでいくので、書き込んであると大いに役に立ちます。
‣ 4.「説明的な書き込み」で効率的な譜読みを実現
譜読みの過程における書き込みで重要なのは、「説明的な書き込みをする」ということ。ここはこうなっていますよ、と自分に分からせるための書き込みのことです。
例えば、p から f までクレッシェンドするのであれば、拍数で割って mp や mp-mf や mf をおおよその位置に書き入れる、などといったやり方。
これは何も、機械的な譜読みを目指しているわけではありません。
書いておかないとすぐに大きくなったりしてしまうので、「譜読みの段階から良くないクセをつけないためのガイド」を書こうとしているのです。
他にも、多声が入り組んでいてどの音をどこまで指で保持するのか分かりにくいところは、「拍数分、線を引っ張って視覚化してしまう」とか。
それから、邪道と思われるかもしれませんが、「日本語で説明を書いてしまう」のも一案。
例えば:
・「この繰り返しは、さっきとダイナミクスが異なるので注意」
・「ここの手の重なり、左手が上で(sopra、sotto を使って書くのもアリ)」
・「この辺りはまだ、30小節前に書かれていた mp のまま」
などといった感じで、文字書き込みで自分へのガイドを出してあげましょう。
以下のような文字書き込みの活用方法もあります:
・練習中、ふとあるところに疑問点が出てきて、調べたけれども解決策が見つからなかった場合は、放っておかずに何が分からないのかを言葉で書いてしまう
・再検討したけれどもしっくりこなかった運指のところへは、「再々検討」などと書いて、いったん別のところへいく
楽譜の空きスペースをメモ帳のようにして書き込んでしまって構いません。
今は解決策が見出せなくても、書き込んで「見える化」をして常に意識しておく。そうすることで、忘れないだけでなく、日々の学習の中で近いヒントが出てきたときにキャッチすることができます。
このような楽譜への言葉の書き込みは学習の味方なので、積極的に取り入れてみて欲しいと思います。
上記のような方法を取り入れて、譜読み段階でついてしまう良くないクセや譜読み間違いを少しでも減らしてください。
定着してしまったクセや譜読み間違いを後から修正するのは、イチから譜読みするよりも大変です。
それを避けるのが、本当の意味での「効率良い譜読み」と言えるでしょう。
‣ 5. ダイナミクスの途中経過を書き込む
クレッシェンドやデクレッシェンドなどのダイナミクスの時間的変化に関しては、あらゆる問題が発生しやすいので注意が必要。例えば:
・変化が書かれている始めの箇所から、すでに大きく(または小さく)なってしまう
・変化を急いでしまい、音楽の方向性が見えにくくなってしまう
解決策があります。
前項目でも触れたように、「ダイナミクスの途中経過を書き込む」という方法。
(譜例)
例えば、この譜例のように mf から ff まで4小節間かけてクレッシェンドするのであれば、3小節目の頭に f と書き込んでしまう。
こうすることで、3小節目の頭ですでに ff 近くまでふくらんでしまうのを防ぐことができます。
書き込みのポイントは以下の2つ:
・必ずしも等分分割しなくてもよい
・mp と mf の間は「2段階」あると考える
【必ずしも等分分割しなくてもよい】
一つめのポイントは、必ずしも等分分割しなくてもよいということ。
上記の譜例では、4つの小節の丁度中間にダイナミクス記号を書いたので、「等分分割」でした。
一方、仮に「後ろ寄りのクレッシェンド」にしたければ、等分分割にせず、わざとやや後ろへずらして書いておく。そのようにして、後ろ寄りのダイナミクス変化を視覚的に分かるようにするのもOK。
「非等分分割」ということですね。
(譜例)
到達点のダイナミクスは決まっているので、下の譜例の場合は前半よりも後半の方がクレッシェンドする量が多くなります。
パッと見て捉えやすいように書き込んでいるわけなので、表現したい内容によってこのように多少書き込み方を変えてしまうこと自体は問題ありません。
【mp と mf の間は「2段階」あると考える】
もう一つのポイントは、mp と mf の間は2段階あるように捉えるということ。
「mp(少し弱く)」と「mf(少し強く)」の間は、結構開きがあると感じませんか。
筆者は「mp と mf の中間」という意味で、勝手に「mp-mf」という記号を使っています。
「mpmf」でもいいですね。
という順番で強くなっていくと考えて、ダイナミクスの途中経過を書き込む。このようにすることで、バランスよくダイナミクスを振っていくことができます。
ちなみに以下の譜例は、あえて mp–mf を使わずにダイナミクスを書き入れてみた例。クレッシェンド、デクレッシェンドは原曲に書かれているものです。
ショパン「ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1(小犬)」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、1-10小節)
5-9小節に注目してください。
p から mp までよりも、mp から mf までの方がダイナミクスの開きが大きいのですが、同じ2小節分でクレッシェンドするように書き込みました。
したがって、“後ろ寄り” で大きくなるクレッシェンドを表現できるようにしたわけです。
「小節を分割してダイナミクスを逆算して…」などといった内容でしたが、こういったやり方は決して「機械的」「非音楽的」な学習方法ではありません。
ポイントのダイナミクス目安を書き込んだだけで、各ダイナミクス記号の間の表現は無限大。
割れるデジタルの世界ではなく、アナログの世界なのです。
‣ 6. 自分なりの表現図形を考えて書き込む
音楽表現に関する各種図形というのは、決まったものがあります。
例えば:
・クレッシェンドやデクレッシェンドの松葉
・スラーの曲線
・トリルの波線
など、他にもあらゆるものが使われていますね。
ただし、これらは一般的に共通して使われているものであって、学習のために自分で楽譜へ書き込むための記号であれば、自ら作ってしまってもOK。
その方がひと目で音楽が捉えやすくなるのであれば、むしろ推奨すべきこと。
例えば、以下の図形を見てください。
(Finaleで作成)
自分で作ったというよりも、現代音楽の世界ではときどき目にするものです。
これは後ろ寄りのクレッシェンドを視覚的に理解できるように、定番的な松葉を少し変形したもの。
後ろ寄りのクレッシェンドをすべきだと思ったところがあれば、そこに書かれているクレッシェンドへ上書きするように書き込んでみるのです。
自分の学習をはかどらせるために自分の楽譜へ書き込むだけなので、何でもアリ。
他にも、「アタックを入れたい音符」の上に「↓」のような下矢印を書き入れたりなど、自由に記号や図形を考えて書き込んでみましょう。
‣ 7. その楽曲の中で「出来たいこと」を何とか書き留めておく
ある作品を演奏している時に、「ここはこんな風に弾いたらいいのではないか?」などと思い付くことがあります。
こういった時に必要なのは、それがテクニック的にまだ無理だったり他の部分との兼ね合い的に良いのか分からなくても、とりあえず、その「出来たいこと」を絵や文字などで何とか楽譜へ書き留めておくこと。
出来ることだけを考えるのではなく、「出来たいこと」をこうやって視覚的に残しておくと、常に意識するようになり、近しい解決策などの情報を見つけたときに拾える自分になります。
常に意識下へ置いておくのが、問題解決や出来たいことを実現するポイント。
また、作曲や編曲でも同様です。
とりあえず全体のガイドラインだけをカタチにしたい場合は、「出来たいこと」があってもそこに固執していたらあらゆることがストップしてしまう。
それに、まだテクニック的に楽譜化出来ないケースもあるでしょう。
しかし、絵や文字などで何とか楽譜へ書き留めておくと、「それを踏まえた続き」のように先へ進むことが出来ます。また、書き留めたことを参考に、後ほど腰を据えてその部分を考えることができます。
‣ 8. 調べればすぐに分かることを先送りにしない
・練習中に調べ忘れていた用語にふと出会ったり
・くさび型のアクセントを見て、どういう意味だったかと疑問に思ったり
などと、様々な疑問が頭をかすめることはありますね。
これらは “すぐに” 調べて解決し、書き込んでください。
「調べると練習が中断されてしまうので嫌だ」と以前の筆者は思っていました。そして、後回しにして結局調べないのです。
次の日にまた同じ用語を目にし、「疑問に思う → 後回しにする」という同じことを繰り返してしまう。先送りにしたことをさらに先送りにしている状態。
心当たりのある方は振り返ってみてください。
先送りにしたことを結局調べないで終わっているのであれば、練習を中断してでもすぐに疑問を解決するべきです。
練習の中断が嫌で疑問の解決を先延ばしにするのは、結局のところ、目の前にある教材を「終わらせること」ばかりに意識がいっている状況とほとんど変わりありません。
► B. 書き込み内容の応用的活用法
‣ 9. 上手な奏者から楽譜への書き込みを見せてもらう
もし身近にピアノ演奏の上手な知り合いがいる場合は、その奏者が過去に学習した楽曲の楽譜を見せてもらうと、とても刺激になり音楽的な学びにもなります。
全く書き込みをしない奏者も中にはいますが、大抵はプロアマ問わず楽譜へ何かしらの書き込みをしながら学習しているはずです。
随分前のことですが、ピアノが達者なベテラン作曲家から、その方が学習したウェーベルンや武満徹のピアノ曲のスコアを見せてもらったことがあります。
・工夫された運指
・言葉で書き込まれた解釈
・作曲家ならではの鋭い視点のアナリーゼ
など、濃い鉛筆で書き込まれた内容から工夫やセンスが鮮明に伝わってきたのが印象深くて忘れられません。
楽譜への書き込みというのは、その人物の学習の跡であると同時に:
・それまで積んできたものや
・性格や
・音楽をどう聴いて、どう捉えているのか
など、あらゆることの現れ。
直接目にすることで、自分が音楽に対してアプローチしている内容と異なる視点が得られて、刺激や勉強になることがたくさんあるでしょう。
‣ 10. 過去に取り組んだ作品の書き込みを見直す
楽譜に何かしらの書き込みをしながら学習していることと思います。
是非やって欲しいのが、「過去に取り組んだ作品の書き込みを見直す」ということ。
いったん学習を終えて寝かせている楽曲の楽譜を引っ張り出してみる。そして、当時を思い出しながら書き込みを見直す。そうすると、多かれ少なかれ発見があるものです。
例えば:
・こういう音型の時は、このようにすれば上手くいくんだったな
・この時にメモした練習方法、今取り組んでいる楽曲でも試してみよう
・先生からこんな名言もらって書き留めたんだったな
などと、「音楽的」「テクニック的」な内容はもちろん、ちょっとモチベーションが上がるような一言までたくさん書かれているはずです。
それらを見直して、自身の中に再び呼び戻しましょう。
人間というのは忘れる生き物です。
大切だと思ったことでも、一定の期間触れていないと、余程印象深いこと以外は忘れていってしまいます。
しかし、まったく恐れることはなくて、忘れた頃にメモを見て思い出せばいいのです。その繰り返しで定着していきます。そして、他の楽曲でも応用できる力になっていきます。
‣ 11. とりあえず文句は言われないペダリングの書き方
自身で行うペダリングの書き込みについても取り上げておきます。
本記事で取り扱うのは本当に基本的なペダリングのみ。
3本のうちダンパーペダルに限って扱い、ハーフペダルやフラッターペダルなどの応用的なペダリングの書き方についても割愛します。
ピアノ音楽を作曲・編曲する方はもちろん、クラシック作品を譜読みするときのペダリングの書き込みにも応用してみてください。
「アメイジング・グレイス ピアノ独奏編曲版」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、32-36小節)
この譜例は、筆者が編曲したものです。
原則、上の譜例のように書かず、下の譜例のように書いてください。
この違いを比べてみましょう。
両者の違いは、ペダルを上げるタイミングの指示について。
明らかに上げるタイミングが決まっているところでは、下の譜例の34小節目のように、ペダルを上げるタイミングを書き入れてください。
しかし、その他の連続してペダルを使うところでは、ペダルを上げるタイミングを書き入れると問題が生じます。
というのも:
・発音と同時に踏み込む「リズムペダル」なのか
・発音した後に踏み込む「後踏みペダル(シンコペートペダル)」なのか
これらが区別できないからです。
(再掲)
基本的に、発音と同時にペダル記号が書かれている場合は、「同時に踏んでも後踏みにしてもよい」という意味になり、どちらにするかは演奏者が判断します。楽譜の煩雑さを避けたいわけですね。
しかし、連続して使用するペダルのところで上の譜例のように書かれていると、ペダルを離す位置が全て書かれてしまっているので、「発音と同時に踏む」という意味しか示せないことになってしまう。
この書き方では、「後踏みにする」という読み方ができないのです。
以下のように整理しておきましょう:
・ペダルを連続して使う場合は、上げるタイミングは書かないでおく
・ペダリングが連続せず、確実に上げるところでは、そのタイミングを書く
古くから上の譜例に見られる書き方の楽譜は多く出版されていて、このWebメディアでも一部の譜例では使っています。しかし、上記のような細かな視点で見ると、問題が多い書き方なのです。
► C. 作曲家による書き込みの解釈
‣ 12. なぜ、楽譜のペダル指示は少ないのか
本項目では、 ペダル記譜の歴史の話をするわけではなく、筆者がピアノ音楽の作曲や編曲をしている中でペダリング表記について感じていることを書きます。
ピアノ黎明期の内容はいったん置いておき、ロマン派以降のクラシック作品や市販のポピュラーピアノの楽譜などを想定しながら読み進めてみてください。
一部の現代曲では、作曲家が “全ての” ペダリングを指示しているケースもあります。
一方、一般的なピアノ曲では、ペダリングは全く書かれていないか書かれていても要所のみ、という作品の方が圧倒的多数です。
これはどうしてなのでしょうか。
創作者の視点からすると、大きく2つの理由が考えられます:
・楽譜が煩雑になるのを避けて利便性を優先するため
・全世界で書き方が統一されていないから
【楽譜が煩雑になるのを避けて利便性を優先するため】
まず一つ目の理由としては、ペダリングを細かく書こうとすると楽譜が非常に煩雑になることが挙げられます。
・どこで踏み込んで
・どこで離して
・どういう踏み込み方をして
・どういう離し方をして
・ハーフペダル、フラッターペダル、後踏みなど
他にもあらゆることを書き記すことは、楽譜の情報量を圧倒的に増やします。
それらを書くための記譜法は(一応)ありますし、そうした方が創作者の意図が細かく伝わるのは事実。しかし、楽譜の利便性が下がるのも事実。
創作者や出版社が何を優先するかにもよりますが、広く親しまれることを目的とした作品の楽譜で全ペダリングを書いてしまうと、方向性が少々ずれてくるんです。
曲集全体で1曲だけが浮いてしまうのも避けなくてはいけません。
【全世界で書き方が統一されていないから】
二つ目の理由としては、全世界で書き方が統一されていないことです。
それこそONとOFFのスイッチ的な指示だけであれば、市販の楽譜でもある程度統一されていますが、それ以外のニュアンスについては、創作者によって書き方が千差万別。
その都度、ノーテーションと言われる解説表をつけてお断りするのも、やはり実用面から考えると疑問が残ります。
では、定番の「Ped.」と「お花マーク」なるものを使うか、ということになるわけですが、「Ped.」の「d」の辺りでもう踏み変える、という部分が多発して、記譜の不確実さの温床、しかも一面お花畑。
簡潔に言うと、全世界で書き方が統一されていないし、唯一よく使われる記号はやや使いにくい、といったところです。
ソフトペダルやソステヌートペダルも考慮すると、話はもっと複雑になります。
結局、もっとも近くにある解決策は「演奏者に任せる」になってしまう。
筆者自身は、作曲・編曲どちらにおいても、ペダリングの指定を以下のように統一しました:
・コンサート作品の場合は、原則全て書く
・依頼された出版楽譜の場合、その出版社の方針に合わせる
・レコーディングの場合は時間制約が多いので、楽譜の利便性を優先して要所のみ書く
ちなみに、筆者は武満徹 他 の記譜にならい、「Ped.」や「Una Corda」などを使わずに、3種類のペダルを:
R = right(damper)
M = middle(sostenuto)
L = left(soft)
このような表記で表現しています(出版社ルールがある場合は除く)。
右、真ん中、左、と一目で分かりますし、それぞれ一文字だけなのでスペースもとりません。
「お花マーク」も原則使わずに全て線で書いているので、あっという間に踏み変えポイントがくる場合でも対応できます。
結構、記譜の手間はかかりますが…。
‣ 13. 作曲家から求められている表現を見抜くコツ
今取り組んでいる作品に対して、様々なイメージや感覚を持っていることでしょう。
それらは、どうやって感じ取ったのでしょうか。
例えば:
・直感を頼りに
・ピアニストによる演奏を頼りに
・譜読みで見つけたことを頼りに
などが考えられます。
これらに加えて、作曲家から求められている表現をズバリ見抜くコツがあるので、実践してみて欲しいと思います。
やり方は簡単。
音符と休符以外の作曲者による書き込みを、全て消してみてください。
タイは残して良く、発想記号などのことを言っています。
例えば、次の譜例1のように。
ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 悲愴 ハ短調 op.13 第1楽章」
譜例1(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
譜例1をよく見て脳裏に焼き付けてください。
それができたら、同曲の作曲者による書き込みを戻した譜例2に目をやってみましょう。
譜例2(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)
どうでしょうか。
「Grave」と「 fp 」というたった二つの書き込みが戻っただけで、求められている深く重々しい曲想が明確に感じられたはず。
上記の譜例では速度標語と強弱記号のみを隠しましたが、スラーなどのアーティキュレーションまで隠してもいいでしょう。
要するに、書かれていることは、こうやって比較してみないと重要性が分かりにくいのです。
比較すると、音符や休符の見え方にさえ変化が加わって見えてくる。
作曲家から求められていることがいまいちつかめない時には、こういった「一回書き込みを隠して目によく焼き付け、その後に原曲を見る」という比較を取り入れてみてください。
‣ 14. 作曲家による外国語の書き込みは必ず訳す
「作曲家による外国語の書き込み」とは、通常の音楽用語のことではありません。
作曲家が大譜表のかたわらに書き残した外国語による文章のことです。
例えば、以下のようなもの。
【ドビュッシー「子供の領分 2.人形のセレナーデ」】
楽譜が始まる最初のページの下に、「曲の最初から最後までソフトペダルを使う。フォルテの部分でも同様に。」と書かれています。
これを見落としてしまうと全く音楽が変わってしまうでしょう。
ドビュッシーが欲した「ソフトペダルを踏むことで出せる音色、その特徴的な f の音」を何も表現していないことになってしまいます。
【ドビュッシー「映像 第1集 3.運動」】
67-68小節目の下に、「テヌートのついている音符を響かせて、その他の音は乾きすぎない程度にとても軽く」と書かれています。
テヌートのついていない音に対してドビュッシーがどのようなニュアンスを望んでいたのかが、よく理解できますね。
2つの例を挙げましたが、「音符や休符のみでは伝えられないこと」あるいは、「伝わるかもしれないけれど、補足したいこと」などが書かれていると分かるはずです。
音符や休符を読むのと同じくらい重要視しなければいけません。
こういった文章による書き込みは、近現代以降の作品で特に多くなってきます。
リゲティにおいては言葉の書き込みで真っ黒な楽曲すらあります。
一方、ベートーヴェンなども文章による書き込みを残していますし、どんな作品であっても油断してはいけません。
楽譜に書かれていても、音符を読むことばかりに一生懸命になっていると視界へ入ってこないものです。
見落とさないように注意しましょう。
‣ 15. 説明的な指示は作曲家からの警告の一種
譜読みをしていると、以下のような指示を見かけることはあるはず。
例えば:
poco a poco cresc.(少しずつ、次第に強く)
sempre p(常に弱く)
Allegro non troppo(速く、しかしはなはだしくなく)
以下のように考えると、一見、単に「cresc.」「 p 」「Allegro」と書かれていても良さそうに感じませんか。
・ただ cresc. と書かれているだけでも、開始点と到達点が同じ位置であれば同じような表現になる
・ただ p と書かれているだけでも、次のダイナミクスが書かれていなければ、原則、p のまま
・「Allegro non troppo」を「Allegretto」と書かないわけなので、結局は Allegro ということ
しかし、考え方を変えてみましょう。
多少の例外はありますが、「poco a poco」「sempre」「non troppo」などと、その他説明的な指示が付け加えられているのは、「作曲家からの警告」と考えるとイメージがつきやすくなります。
傾向としてすぐに大きくなってしまったりテンポが速くなり過ぎたりと、作曲家の意図を外されてしまわれやすいところに注意喚起で書いてくれていると考えてください。
それと同時に、微妙な言葉の使い分けが作曲家のこだわりでもあるのでしょう。
‣ 16. ドビュッシーが用いたヴィルギュルの意味
ヴィルギュルとは、フランス語では「文の区切り」を示すために使われる記号です。楽譜に書かれているのも時々目にします。
ドビュッシーによる一例を見てみましょう。
以下の譜例の「2小節目終わり」と「7小節目終わり」に出てきている記号がヴィルギュル。
ドビュッシー「前奏曲集 第1集 より 雪の上の足跡」
譜例(PD作品、Finaleで作成、1-8小節)
記号を見ると検討つくと思いますが、ドビュッシーはヴィルギュルを「呼吸」の意味でとらえていたと音楽学の分野で明らかにされています。
この楽曲では以上の2箇所のみで出てきます。
しかし、ヴィルギュルなど書かれていなくてもスラーでフレージングが切れていますよね。
そう考えると、どういう意図のヴィルギュルなのか理解に迷いませんか?
以下の2つの意図があると考えられます:
・「その前後のメロディが、あくまで断片である」ということの強調
・「少なくともここでは呼吸を入れてほしい」という、最低限の要求
作曲家の武満徹が「雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に-」の中で、高音域部分に「Celestially Light(天上の光)」と書き込みました。作曲家というのは、必ずしも演奏に劇的な変化を及ぼさなくてもちょっと素敵になるような細かなこだわりを書き込むのが普通です。
もしかしたらドビュッシーも、演奏に大きな影響はなくても自分の希望をちょっと譜面上に残したかった、それくらいの気持ちで書いたのかもしれません。それか、ヴィルギュルがフランス語で使われるようにこの楽曲を一編の文章のように扱ったのか…。
演奏者によってさまざまな解釈がありますので、いざ弾くことになったら自身の考えも巡らせてみましょう。
‣ 17. 古典派からロマン派への予兆はサウンド面だけではない
「ベートーヴェンの後期のピアノソナタは、ロマン派に属すのかどうか」という話題が度々挙がります。この決着のつかない議論はともかく、ロマン派の作風に近づいてきていることは明らかです。
しかし、「聴いた雰囲気がロマン派っぽい」といったことのみではなく、「ベートーヴェンが残した指示語」などといった直接的な面でもロマン派への予兆が読み取れます。
例えば、ベートーヴェン「ピアノソナタ第29番 op.106 ハンマークラヴィーア」では:
・「非常に感動をもって」(第1楽章)
・「憧れに満ちあふれて」(第3楽章)
などとロマンティックな書き込みがあります。
こういったロマン主義的な言葉の書き込みは、時代をさかのぼっても、良く知られている作品にはほとんど見られないものです。
些細な書き込みからもロマン派への予兆が見られ、明らかに中期までのソナタとの違いを感じますね。
・「伴奏形がモーツァルトっぽい」
・「和声がショパンっぽい」
などと、どうしても我々はサウンド面ばかりで楽曲について判断してしまいがち。
作曲家が残した “それ以外” の要素にも目を向けて、楽曲の理解を深めていきましょう。
► 終わりに
楽譜への書き込みは、音楽との対話であり、自分自身との対話でもあります。本記事で紹介したテクニックを日々の学習へ取り入れてみましょう。
関連内容として、以下の記事も参考にしてください:
・【ピアノ】運指の書き込みによる譜読みの効率化と練習管理法
・【ピアノ】楽譜への書き込みから始める直感的楽曲分析
▼ 関連コンテンツ
著者の電子書籍シリーズ
・徹底分析シリーズ(楽曲構造・音楽理論)
Amazon著者ページはこちら
・SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら
コメント