【ピアノ】作曲家や作品の印象に対する固定観念との付き合い方

スポンサーリンク
スポンサーリンク

【ピアノ】作曲家や作品の印象に対する固定観念との付き合い方

► はじめに

 

クラシック音楽を学ぶうえで、我々は常に作曲家や作品についての「常識」や「定説」に囲まれています。「ショパンは揺らして」「バッハはノンペダルで」——こうした言い伝えは時として思考の枠を狭め、自分自身の音楽的表現を制限してしまうことがあります。

本記事では、作曲家や作品に対する固定観念から解放され、より自由で深い音楽的理解を得るための実践的なアプローチを紹介します。常識を盲信するのではなく、それらとアサーティブ(自己主張的でありながら相手を尊重する)な関係を築くことで、自身の音楽表現を育てていきましょう。

 

► アサーティブな付き合い方

‣ 1. なぜ、作曲家の自作自演を完全な指標としてはいけないのか

 

クラシックの作曲家の中には、同時に優れたピアニストだった人物がいて、その中でも何人かの演奏は音源で聴くことができます。資料としては非常に貴重なものなのですが、こういった自作自演は参考にする程度で留めておくべきで、完全信頼するのはおすすめできません。

 

「その作品を作曲した本人による自作自演」というのは、価値も信頼度も圧倒的。仮にその演奏が練習不足だったとしても、本当に素晴らしく演奏する他者の演奏よりも見方によっては良いものと言えてしまうでしょう。だからこそ、我々は完全信頼して隅から隅までマネしてしまったりするわけですが、それをやってしまったらその演奏者にとってのその作品の価値は限りなく低くなってしまいます。

ある意味、他人には価値的に超えられない作曲家自身の演奏を最高の位置に置いてしまうことになるので、その時点でその作品の歴史は事実上終わってしまうから

「再現芸術」とも言えるクラシックの作品が長い年月を経てからも演奏され続けているのは、終わりがないことに意味があるからですが、それを終わらせてしまうわけです。極端な言い方をすると、作品に対する新しい価値を見いだす必要性を作曲家の自作自演が奪ってしまうということです。

 

資料としての価値は認めますが、程々に付き合うべきでしょう。

 

‣ 2. 言い伝えられている作曲家毎の特徴だけで作品を判断しない

 

よく、違和感のある解釈の説明を耳にします。例えば:

・「ショパンなんだから、揺らして」
・「ベートーヴェンなんだから、思いっきり音を出して」
・「J.S.バッハなんだから、ノンペダルで」

これらを耳にする度に呆れてしまいます。

作曲家ごとにいい伝えられているこれらの特性や性格が当てはまるときもあるでしょう。しかし、作品ごとに “別の顔” として見ていかなくてはいけません

 

上記のような作曲家別の言い伝えをある程度は指針にしてもいいですが、迷ったときの唯一の判断基準にはしないようにしましょう。

例えば、J.S.バッハの作品のとある箇所でダンパーペダルを使うかどうかに迷ったとします。そのときに、「使いたいけど、J.S.バッハではノンペダルでってみんな言ってるから、やっぱり使わないでおこう」などといった方向には思考を持って行くべきでないということです。

それでは思考も表現も四畳半になってしまいます。

 

「自分はこう弾きます」のような強い気持ちがあったほうが、表現が四畳半になるよりもずっとマシです。仮にそのやり方に多少問題があったとしても。

極端な言い伝えを絶対視するのは、思考停止と同じです。

 

‣ 3. 美しさやカッコ良さだけが楽曲の良さではない

 

音楽雑誌などを見ていると、「ピアノ経験者にきいた、人気ピアノ曲ランキング」などが目に入ってくることもあります。

並んでいる楽曲の内容には納得できますし、筆者が好きな作品も並んでいます。一方:

・ただただ美しい作品
・ただただカッコいい作品

こういったものばかりがランキングしているので、それだけが音楽の良さではないのに、などと思うこともあります。

 

例えば、プーランク「15の即興曲」を聴いたことはありますか。

15曲それぞれ、基本的には「美しさ」や「かっこよさ」が表現されていますが、不意に「えっ?何で?」「何、今の?」と思うような意外さ、言ってみれば「サプライズ」が挟み込まれてきて、とても面白い作品群なのです。良い意味での「裏切り」ですね。

これはプーランクの特徴の一つでもあるのですが、「15の即興曲」では特に遊び心を感じます。サプライズばかりではおもちゃ箱のようで逆につまらないのですが、この作品では正統さと裏切りのバランスが絶妙。皮肉なことに、一番 “まともな” 第15曲、「エディット・ピアフを讃えて」が、全15曲の中で一番よく知られています。

他の14曲も含めて、現在の知名度的に人気ピアノ曲ランキングにあがることはほとんどありません。

 

ピアノ学習者にはこういった作品を通して、「美しい、かっこいいだけではない音楽の魅力」を自分の引き出しの中へどんどん取り込んで欲しいと思います。

 

Gabriele Tomasello 公式チャンネルに、プーランク「15の即興曲」の音源がアップロードされています。

【音源】Poulenc – 15 Improvisations pour piano [Tomasello, 2008]

Poulenc – 15 Improvisations pour piano [Tomasello, 2008]

 

・【楽譜】日本語ライセンス版 プーランク 「ピアノ作品集 第1巻 15の即興曲集」

 

 

 

 

 

 

‣ 4. その作曲家の別作品との関連性を見つける

 

ベートーヴェン「ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 月光」の楽章構成については、古典派のそれまでのソナタから考えると異例なものとなっています:

・第1楽章がアダージョ
・第3楽章に比重があり
・第2楽章は対比になっている

 

しかし、単に異例なものと考えるのではなく、「従来ベートーヴェンがピアノソナタでとってきた楽章構成の、第1楽章を省略したカタチ」と考えてみるのはどうでしょうか。

 

ベートーヴェンは、一部を除き、多くの初期ピアノソナタを以下のような楽章構成で作曲しました:

・第1楽章 ソナタ形式の急速楽章
・第2楽章 緩徐楽章
・第3楽章 スケルツォ または メヌエットの楽章
・第4楽章 ロンドなどの急速楽章

 

ここから第1楽章を取り払って第2楽章からスタートすると考えてみましょう。「月光ソナタ」の楽章構成にそっくりだと思いませんか。「月光ソナタ」の第3楽章は、ロンドではありませんが、急速楽章です。

 

目の前の楽曲をそのまま理解しようとするだけではなく、このようにその作曲家の別作品との関連性を探してみるのも学びにつながります。

 

‣ 5. 誰による演奏なのかを気にする

 

昔、筆者が学生だった頃、「○○というピアノ曲が好きで最近よく聴いています」という話を指導者にしたところ、「誰の演奏を聴いている?」と言われ、何も返す言葉がなく困った覚えがあります。

 

当時は、ただ単にその楽曲が好きで聴いていただけで、誰の演奏なのかを全く気にしていませんでした。しかし、同じ楽曲でも演奏家によって全く別の顔を持ちます。

その違いを聴く面白さを知ってからは「○○というピアノ曲が好き」ではなく、「○○というピアノ曲が好きで、特に○○というピアニストによる演奏の、○○なところが好き」などといったように聴くときのこだわりも増えて、聴く楽しさが2割増になりました。

 

「音源を聴くときに、誰による演奏なのかを気にする」

これを徹底して学習してみてください。

 

‣ 6. なぜ、聴いて真似るだけでなく楽譜を良く読むべきなのか

 

「ざっと譜読みが終わったら、後は他者の録音を聴いて、それを真似ていく」という学習方法はよくとられるようです。他者の録音を参考にするのはいいのですが、原則、楽譜を読むのをやめるべきではありません

 

他者の録音を真似するのと楽譜をさらに読み解くのとでは、どんな違いがあると思いますか。

録音を通した学習というのは他者の視点が中心ですが、楽譜を通した学習は自身による読み取りが中心です。他者のフィルターを通すだけでなく、譜読みが概ね済んだ後の段階に自分の視点が入らないと自分の演奏にはなりません

それが少々未熟な読み取りでもそんなことは問題ではなく、自分で考えたり読み取ったりすることをサボってしまうほうが余程問題です。

 

他者の演奏から学ぶ場合でも、ただ真似するだけでなく、「自分はこのように楽譜から読み取ったけど、このピアニストはなぜこのように弾くのか」という「なぜ」の視点を持ちながら学習を進めてみましょう。

 

‣ 7. 作品情報は、書き出して楽譜へ挟みっぱなしにする

 

コルトーは、生徒への指針として以下のような内容を調べるように要求したそうです。

 

「アルフレッド コルトー ピアノ演奏解釈」 著:アルフレッド・コルトー 編集:ジャンヌ・ティエフリー 訳:店村 新次 / 音楽之友社

より抜粋して紹介します。

(以下、抜粋)
1. 作曲者の氏名、誕生と他界の年月日、ならびにその土地
2. 作曲者の国籍
3. 作品の標題、作品番号と献辞
4. 制作に影響を及ぼしたもろもろの状況、作曲者が入れた指示
5. 構想(形式、テンポ、調性)
6. 目立った特徴(和声的分析、受けた影響、類似性、系統づけ)
7. 作品の性格と意味(演奏者の評価に基づく)
8. 美学的、技術的註釈、研究と演奏のための注意事項
(抜粋終わり)

 

生徒が作品についての詩的理解を有するかどうかということをコルトーは重視したとのことです。こういった下調べは、作品のことを深く学習しようと思ったら当然のように実行すべきです。

 

下調べのポイントを紹介しておきましょう。

調べた内容を紙へ書き出して、すぐ見れるように楽譜へ挟みっぱなしにしてくださいそれか、楽譜が真っ黒になるのを覚悟で、その作品楽譜の1ページ目へ書きこんでください。身になっていないうちに視界から消えると、調べたことすら忘れるからです。

 

調べて満足するだけでは意味ありません。こういった内容を理解して解釈を考えるヒントにしたり、直接演奏に結びつけられないことも、その作曲家や作品の深い理解のために触れておく必要があります。

その作品へ取り組んでいる期間は、練習を始める前に毎回一通り読むようにしましょう。

 

新しい作品へ取り組むたびにこういった学習を繰り返していくと、演奏に役に立つだけでなく、膨大な知識を手に入れることができます。

 

・アルフレッド コルトー ピアノ演奏解釈 著:アルフレッド・コルトー 編集:ジャンヌ・ティエフリー 訳:店村 新次 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

‣ 8. 楽曲イメージの、演奏への無理ない取り入れ方

 

「その楽曲のあらゆる部分について、イメージを思い浮かべる」という学習方法は、広く行われています。「情景」などをはじめ、思い付いたことを紙などに端から書き出してみるというのは、特に、初~中級者にはよい学習となります。

 

一方、これには難しさもあるのです。例えば、筆者は子供の頃、ピアノの先生から次のように言われました。

「この1小節だけ切ない和音になるから、ここは今までで一番切なかったことを思い出しながら弾いて」

先生の言いたかったことはよく分かるのですが、「その小節だけ、新しいイメージへ切り替えようと努力して、音を出す」というのが、どうしていいのか分かりませんでした。やってみても上手く出来ずに悩んだ記憶があります。

その小節だけを切り取って演奏するのであれば何の問題もありません。しかし、音楽は流れていて前後関係もあるので、「その楽曲と切り離された、取ってつけたイメージを瞬時に用いる」というのは、少なくとも当時の筆者にとっては上手くいかなかったのです。

そして、これは多くの学習者にも当てはまることでしょう。

 

代案としておすすめできるやり方は、以下のようものです:

・まずは、イメージなどをひたすら紙へ書き出して十分にイメージをふくらませておく
・いざ演奏するときには、個々のイメージについてはあまり深く考えずに弾いていく
・その中で演奏中に自然と頭に浮かぶイメージがあれば、それは大事にする

 

このようにすると、とってつけたイメージはなく自然に出てきたイメージを残しているだけなので、思い浮かぶことがあっても演奏の足を引っ張ったりすることはありません。

 

ピアノを演奏するという行為は、あらゆる感覚を同時に使っていくものです。「イメージ」「感情」「想い」なども大事ではありますが、楽曲の前後関係も踏まえて20%くらい冷静に自分をコントロールしている部分がないと上手くいかないのです。

 

► 終わりに

 

音楽学習において、常識は確かに重要な指針となります。しかし、それらを盲信し、自分自身の音楽的思考を放棄してしまわないようにしましょう。

作曲家の自作自演も、作曲家別の特徴も、人気楽曲ランキングも、すべては音楽理解の一つの入り口に過ぎません。大切なのは、それらの情報とアサーティブな関係を築き、自分自身の音楽的判断力を育てていくことです。

 


 

► 関連コンテンツ

著者の電子書籍シリーズ
・徹底分析シリーズ(楽曲構造・音楽理論)
Amazon著者ページはこちら

・SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら

 

この記事を書いた人
タカノユウヤ

ピアノ情報メディア「Piano Hack | 大人のための独学用Webピアノ教室」の運営をしたり、音楽雑誌やサイトなどでピアノ関連の文筆を手がけています。ピアノ音楽の作曲や編曲もしています。
受賞歴として、第88回日本音楽コンクール 作曲部門 入賞 他。

タカノユウヤをフォローする
- 役に立つ練習方法 他
スポンサーリンク
シェアする
Piano Hack | 大人のための独学用Webピアノ教室

コメント

タイトルとURLをコピーしました