【ピアノ】演奏におけるテンポの選び方とその表現方法
► はじめに
テンポをどのように理解し、どのように操作するかが、音楽表現において大きな鍵となります。
本記事では、テンポに関する基礎的な理解から、具体的な設定方法、そして実践的な解釈に至るまで、幅広い視点でアプローチしていきます。音楽の中でテンポがどのように働くのか、そしてその操作が演奏にどのように影響を与えるのかを深く掘り下げ、演奏に役立つヒントをお届けします。
► A. テンポ理解の基礎
‣ 1. 作曲家の意図とテンポ表現を感じる
譜読み前でも譜読み後でもいいのですが、楽譜にテンポ指示の数値が書かれている楽曲の場合は、そのテンポでメトロノームを鳴らしてみてください。そして、そのテンポを浴びながら楽譜を目で追ってみてください。
作曲家の意図する表現を少しだけ理解することが出来ます。
これを行う時のポイントとしては、「数値的な速度以外の視点も持ちながら浴びる」ということ。
どうしても、どれくらいのテンポで弾くべきなのかという、速度のことばかりを気にしてしまいます。しかし、それとあわせて気にするべきなのは:
・「この細かな音符は、この速度であれば相当軽い表現になるだろう」
・「想像より速いけど、組曲の他の楽曲との対照が求められているのかな」
・「あのピアニストが弾いていたよりも随分とゆっくりだから、堂々としたイメージに変わった」
などといった、音楽の中身に関すること。
作曲家の意図しているであろう表現へ近づくための参考にしてください。
メトロノームさえあれば、まだ弾けていなくても行えるというのが、このやり方のいいところです。
作品によっては、書かれている数値ではあまりにも速過ぎたり遅過ぎたりと疑問の出るものもありますし、参考程度にするしかありません。
しかし、あくまで学習方法の一つとしては、テンポ指示から作曲家の意図が見えてくる側面に着目してみるのも悪くありません。
‣ 2. 作曲家によるテンポ指示との向き合い方
ショパン「別れの曲」の最初にテンポ指示がありますが、何と書いてあるか知っていますか。
作曲者によるテンポ指示は、あまりにも速過ぎるのです。
「別れの曲はこれくらいのテンポで演奏される」などと我々の中に慣例のようなものが入ってしまっているからこそ、速過ぎると感じるのかもしれませんが、それにしてもせわしない。
ちなみに、ゴドフスキーは別れの曲を編曲するにあたり、テンポを下げてテンポ指示をしています。
作曲家が指示したテンポというのは作曲家の意図を絶対的に反映しているものと思いきや、作曲家による自作自演の録音を聴くと自身で書き込んだテンポとは全く変えて演奏していたりする例もあります。
参考程度にするしかないということですね。
もちろん、前項目でも書いたようにテンポ指示から作曲家の意図が見えてくる側面はあるので、必ずチェックはするようにしましょう。
ツェルニーの練習曲の場合は、参考というよりは「一種の到達目標点」と考えるのが得策。
ツェルニーによるテンポ指示を見るとかなり速い設定になっています(校訂者がテンポ数値を変更している版もあります)。
テンポで弾こうとすると、その楽曲にやっとこ取り組んでいる段階では無理。
スポーツをやっているわけではないので、テンポ指示は到達目標点と考えて少しテンポを下げて一度カタチにするといいでしょう。
‣ 3. 略されているテンポ関連用語の理解
譜読みをしていると様々な用語が出てきますね。中には略されているものもあり、その状態でしかなじみがない用語もあるはずです。
せっかくなので、何の略なのかを気にして、楽しみながら調べてみるようにしましょう。
簡単な用語で言うと、「rit.」は言うまでもなく「ritardando」です。
では、テンポ表示のところに時々書かれている「ca.」とは何の略でしょうか。これは「circa(伊)」といって「約、おおよそ」という意味。
これらのような省略形による用語というのは、譜読みをしていて出会うのはもちろん、意識して探してみるとさらに数多く見つかります。
目についた時にはすぐに調べるようにしてください。
何となく略語だけを知っておくに限らず、元の用語にも興味を持つようにすると、学習がさらに進んで楽しくなります。
‣ 4. テンポに関する面白い傾向
あくまで様々な演奏を耳にしている筆者の感覚的なものではありますが、初級〜中級者と中級上〜上級者の境目あたりで、テンポに関する面白い傾向が出てきます。
まず、初級〜中級者あたりまでは:
・速いテンポのところで遅くなりがち
・遅いテンポのところで速くなりがち
という傾向が見られます。
・速いテンポのところは、技術的な難しさもありテンポが下がってしまいがち
・遅いテンポのところは、音的には弾けるのでテンポが上がってしまいがち
このようになってしまうと、全体で聴いた時にメリハリ感が無い演奏になってしまいます。
一方、中級上〜上級者になってくると:
・速いテンポのところで速くなりがち
・遅いテンポのところで遅くなりがち
という正反対の傾向が見られるようになるのです。これ、面白い傾向だと思いませんか。
ある一定の力がついてくると、Allegroで16分音符や32分音符が出てきても訳無いのですが、その代わりに別の部分の問題が出てくるということ。これは、かなり弾ける人にも頻繁に見られる傾向です。
自分がどちらの段階にいて、どちらかの傾向があるのか。
この注意点に関しては自分では気づきにくい部分なので、録音したり、部分的にメトロノームを使うなりして洗い出しておきましょう。
一度傾向が分かると、それからは自分の耳で改善していくことができます。
‣ 5. 少し速めのテンポに慣れると余裕が生まれる
各種応用練習で目指すべきところは、仕上げを想定した実際の形で練習できる段階まで引き上げることです。一方、もう少しだけ多めに引き上げておくことで、実際の形で弾く時のハードルを下げることができる例も。
その代表的なのが、テンポ。
実際に仕上げたいテンポよりも少し速めのテンポで弾けるようにしておくと、余裕を持てるようになります。楽曲全体ではなく、余裕を持ちたい難所のみで行えばOK。
「少し速めのテンポ」というのは実際には使わないテンポということになりますが、このように目的があるのであれば意味のある練習と言えるでしょう。
片手練習の質を上げたい時に、この練習方法を片手のパートのみでとってみたりと、やり方を工夫してみるのもいいですね。
‣ 6.「速度標語」を軽視しない
音符を正しく弾くことに夢中で、速度標語のことに気が向いていないケースが見受けられます。
ここで言いたいのは、「技術的に追いつかなくてテンポが上がらない」といったものではありません。それは少しづつでも上達に向かっていけばいいのです。
むしろ、「普通のAllegroなのに速過ぎる」などといったことが気になっています。
AllegroとPrestoの違いを調べてみたことはありますか?
単純に「どちらも速いんだろう」という認識では足りません。
まずは、調べればわかることは調べておく。そして、それから他の音楽的・技術的なことに向き合っていくようにすべきです。
Allegroなどといった速度標語は、♩= ◯◯ と絶対的な数字が決まっているわけではありません。
しかし:
・AllegroとPrestoをほとんど同一視してしまっている
・AdagioとLargoをほとんど同一視してしまっている
などといった状態だけは突破してください。
また、速度標語については、速さだけでなく「楽曲の性格」にも影響を与えます。
例えば「Andante」のテンポは決して速くはありませんが、作曲家は重々しい楽曲にこの速度標語はまず使いません。
音楽用語辞典の詳しいものを用意して比較してみると、とても良い勉強になります。
筆者は「ニューグローヴ世界音楽大事典」の日本語訳版を愛用していますが、自身に合ったものを探してみてください。
解説は少なめですが、価格も安く定番と言えるものは、「新音楽辞典 (楽語)」音楽之友社 などです。
‣ 7. ダイナミクスとテンポを何となくで連動させない
モーツァルト「ピアノソナタ第8番 K.310 第3楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、25-32小節)
譜例では途中から pp になりますが、このようなダイナミクスが下がるところでテンポまで下げてしまっているケースがあるので、気をつけたいところ。
テンポは変わらないのにダイナミクスがストンと落ちるところに美しさがあります。
楽曲によっては多少テンポも下げた方がいい場合もゼロではありませんが、原則としては下げないと思っておいてください。
まず、下がっていることに気づいていない状況だけは避けなければいけません。
加えて、ダイナミクスを徐々に下げていくところでもテンポには注意が必要。
知識的な面でも、ダイナミクスとテンポとの関係について知っておくべきことがあります。
例えば、譜例で取り上げたモーツァルト「ピアノソナタ K.310」の場合、calando が第1楽章に2回のみ、第2楽章に1回のみ出てきますが、
というのが有力であると音楽学で言われています。
► B. 適切なテンポ設定のテクニック
‣ 8. ソナタ全体を考慮したテンポ設定
ピアノソナタなどの多楽章による楽曲を弾く場合、単独の楽曲を弾くのとは違った注意点もでてきます。
各楽章間の性格の違いを読み取ったうえで、それぞれをどう表現するのか。
「音色」「アーティキュレーション」など、キャラクター表現一つとっても様々な視点がありますが、最も基本的かつ注意すべきものは、テンポ設定。
多くの古典派のソナタにおける第1楽章と最終楽章のように。急速な楽章は大抵複数含まれています。まずは、これら同士のテンポの違いを調べてください。
例えば、第1楽章が allegro moderato、最終楽章が presto の場合は、急速楽章同士にもテンポとそこからくるキャラクターの違いがあります。
そこまで考えず、無意識のうちに「どちらも弾けるだけ速いテンポで弾こう」などと考えてしまっていませんか。
急速楽章同士はもちろん、全楽章のテンポについても調べてみましょう。
テンポに関してもう一つ考えておくべきなのが、テクニック面でのテンポのコントロールについて。
例えば、中級者くらいまでは以下のような傾向がよく見られます:
・緩徐楽章は、音は弾けてしまうので速くなりがち
・急速楽章は、弾くのが忙しくて遅くなりがち
このように両端が圧縮されてしまう場合、全楽章の視点で捉えるとテンポ表現が平坦に聴こえてしまいますので、注意しておきましょう。
仮に第1楽章しか学習しないとしても、いったん全楽章の楽譜を眺めてみる。そして、それぞれのテンポについて調べてみることで、第1楽章のテンポを決める参考にもしていく。
フレーズごとのニュアンスが「木」だとしたら、ひとつの楽章は「森」。全楽章で「地域」でしょうか。
「地域」の特徴を知った上で、「木」を育む。そうすることで、その地域に根ざす「森」が出来上がります。
そんなイメージを持ってみましょう。
ソナタはトータル演出をすべき音楽です。
‣ 9. 具体的なテンポ数値がない場合の設定方法
作曲家がテンポを数字で明確に指示してくれているケースはともかく、多くの楽曲では演奏者がテンポを決めていくことになります。
例えば、ベートーヴェンのピアノソナタの中にはAllegro とだけ書かれている作品がいくつかありますが、当然、どれも同じ全く速さで弾くというわけではありません。
結局のところ、「作品の性格なども踏まえたうえで、表現したいことが表現できるテンポを選ぶ」のが、最善のテンポ設定方法です。
時代によって作曲の背景が異なるので一概には言えませんが、基本的に、作曲家も具体的な数字でテンポ設定をする場合にはそういった表現面を考慮しています。
少なくとも優れた作曲家であれば:
・ただ単に速く弾いて欲しい
・ただ単にゆっくり弾いて欲しい
などといった適当なテンポ設定はしておらず:
・この作品では明るい情景を表現したいから、テンポは最低でも○○以上
・この組曲第2曲目は第1曲目との対比で重々しさが欲しいから、テンポは絶対○○以下
などと、具体的な表現意図と結びついたテンポ設定をしているはずです。もっと細かな意図があることの方が多いくらいかもしれません。
作曲家が考えていたことを完全に理解することはできないわけですが、演奏者は演奏者なりに何を表現したいかという意志と意識を持ってテンポ設定をしましょう。
そうすると、少なくともその演奏者にとっての最善のテンポ選択になります。
‣ 10. 楽曲が要求しているテンポを示しているフレーズを見つける
「テンポの緩やかな作品でどのようにテンポを設定するか」という部分には、問題意識を持たなければいけません。
筆者は、ピアノ音楽のソロ作品や室内楽作品を演奏家に弾いていただくことがあるのですが、初音出しのときに、興味深いことが起きます。
その楽曲がテンポのゆるやかな作品の場合、十中八九、想定よりも遅いテンポで演奏されるのです。
それでも魅力的になっていれば演奏者の音楽感にお任せするわけですが、この傾向というのは、どの国へ行ってもどなたに弾いていただいても、大体、同じ傾向になるので不思議です。
テンポのゆるやかな作品でどのようにテンポを設定するのかについて最も定番的なのは、「その楽曲の中で一番音価が細かいところを基準にテンポを決定する」というやり方。
これは、フリードリヒ大王のフルートの先生をやっていたクヴァンツがすすめているやり方でもあります。
一方、必ずしもこのやり方が最善とは限りません。
例えば、2005年に放送されていた「スーパーピアノレッスン モーツァルト編」の中で、講師の「フィリップ・アントルモン」の発言にヒントがあります。
モーツァルト「ピアノソナタ第14番 K.457 第2楽章」のテンポ設定について、以下の譜例のカギマークで示した部分を基準とするようにアドヴァイスしました。
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、5-6小節)
この楽章では64分音符も出てくるので、カギマークの部分が一番音価が細かいところというわけではありません。
しかしおそらく、コンスタントに同じ音型が繰り返されて、左手によるコンスタントなリズムも出てくることから、この部分を提案したのでしょう。
つまり、その楽曲の中で一番音価が細かいところに目をつけるのは視点の一つとしてはアリなのですが、「楽曲が要求しているテンポを示しているフレーズを見つける」というのが一番の前提となってきます。
・NHK スーパーピアノレッスン モーツァルト (2005年4月~7月) (NHKシリーズ)
‣ 11. 譜読みで、頭ん中Lentoにしないほうがいい場合
譜読みの時には:
・運指付け
・ペダリングの決定
・アーティキュレーションの解釈
などのあらゆることを丁寧に決定していくべき。
この時に、注意点があります。
急速なテンポの楽曲の場合は「今決めていることが、速いテンポで行われた場合にも上手く行きそうか」という観点もあわせ持たなくてはいけません。
例えば、ゆっくりのテンポで考えている時は、ペダルを1小節に何回も踏み変えることができます。しかし、最終的にテンポが上がったら、そんなに細かなことはできなくなるかも知れません。
どんなこともクセがついた後で直すのは大変なので、できる限り譜読みの段階で判断すべきです。
ゆっくりなテンポの時だからこそできることがある。
極端な例ですが、一部のベートーヴェンのピアノソナタにおける緩徐楽章では、64分音符やら何やらが出てきて楽譜が真っ黒の作品もありますね。あれは、ゆっくりなテンポだからこそできるもの。
同じ内容のままテンポを急速にしてしまったらどうでしょうか。おそらく演奏不可能でしょう。
譜読みで決定していく内容においては、これと似たような状態を意外と不注意に作ってしまう。
頭ん中Lentoにしないほうがいい場合、「しないほうがいい」と言いますか、仕上げたいテンポとの “両方の視点” で譜読みしていくようにするのがベストです。
‣ 12. 仕上げのテンポ設定に迷う時の判断基準
必要以上に速いテンポで弾かれがちな作品としては:
・ブルグミュラー 25の練習曲 Op.100 より「アラベスク」
・モーツァルト「ピアノソナタ第11番 K.331(トルコ行進曲付き) 第3楽章」
などが挙げられます。
タイム計測でもしているかのような、まるで宴会芸になっている演奏を耳にします。
仕上げのテンポ設定について、「何でもかんでも速く弾けばいいというわけではない」というのが筆者の意見ではあるのですが、「速く弾いた方が上手に聴こえる曲もある」というのも事実。
例えば、リムスキー=コルサコフ「熊蜂の飛行」をゆっくり弾いても何だかパッとしませんね。
一方、ショパン「革命のエチュード」は、全体として「エネルギーの高さ」さえ伝わってくれば、必ずしも速過ぎるテンポでなくても音楽的に聴こえます。
これらのようにさらに何曲も何曲も見ていくと、ある共通点が見えてきます。
「軽やかな楽曲よりも激しい楽曲の方が、テンポをゆっくりめに設定しても音楽的に聴こえる傾向がある」ということ。
最終的にどのようなテンポで仕上げるかは演奏者の自由ですが、もし、一般的に速いテンポの楽曲と思われている作品に取り組む際にテンポ設定に迷ってしまったら、以上のことを思い出してみてください。
‣ 13. 楽曲中のテンポ変化を見据えた設定をする
例1:J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第2番 BWV 847 ハ短調 より プレリュード」
まず取り上げるのは、同じ楽曲の中でAllegroとPrestoなど数種類の同系統の速度標語が出てくる場合。
この楽曲では、J.S.バッハ自身による速度標語としてPresto、Adagio、Allegroが出てきますが、
PrestoとAllegroはどちらも「速い速度」なので、それらの差が分かるように楽曲中のテンポ変化を見据えたテンポ設定をする必要があります。
この楽曲のテンポ設定に関して、J.S.バッハ研究の第一人者であるヘルマン・ケラーは、以下のように提案しています。※
・曲頭およびAllegroは ♩=92 程度
・Prestoは ♩=126 程度
・Adagioは ♩=63 程度
※「バッハのクラヴィーア作品」 著 : ヘルマン・ケラー 訳 : 東川 清一、中西 和枝 / 音楽之友社 より
この部分のAdagioも含めたテンポのまとめ方に関しては、「ピアノの練習室」 著 : 小林 仁 / 春秋社 という書籍に、以下のようなヒントがあります。
アダージョの前では当然わずかに rit. があり、アダージョのレチタティーヴォのなかの六十四分音符とつぎのアレグロの十六分音符がほぼ同じくらい、と考えるとうまくいくようです。
(抜粋終わり)
この抜粋からも分かるように、「何かに基準を作る」というのは、複数のテンポが混在する楽曲のテンポ設定において、とても有効な考え方です。
平均律クラヴィーア曲集より、もう一例取り上げます。
例2: J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第10番 BWV 855 ホ短調 より プレリュード」
この楽曲では後半でPrestoになりますが、それまでは作曲家自身によるテンポ指示はありません。
ヘルマン・ケラーは、以下のように提案しています。※
・楽曲の前半部分は ♩=63 程度
・Prestoからは ♩=126 程度
※「バッハのクラヴィーア作品」 著 : ヘルマン・ケラー 訳 : 東川 清一、中西 和枝 / 音楽之友社 より
楽想的にも、「楽曲中のテンポ変化を見据えたテンポ設定をする」という観点で言っても、ヘルマン・ケラーが提案しているように前半部分をゆるやかなテンポに設定するのは良案ですね。
楽曲を大きく2部に分けて、同系統ではない対照的な速度のみを設定するケースとなります。
このようなケースでテンポ設定に関して注意すべきなのは、きちんと対照を表現できるように差を出すこと。
特に、この楽曲にやっとこ取り組む段階では、ゆるやかなところは速くなって速いところは指の都合で遅くなってしまい、テンポの幅が上下から圧縮されたような形になりがち。
テクニックの問題の解決をしながら、仕上げに関してはテンポの注意が必要です。
・バッハのクラヴィーア作品 著 : ヘルマン・ケラー 訳 : 東川 清一、中西 和枝 / 音楽之友社
・ピアノの練習室 著 : 小林 仁 / 春秋社
‣ 14. 大抵、J.S.バッハのプレリュードが遅過ぎる
様々な演奏を聴いている印象を単刀直入に言ってしまうと、「[J.S.バッハ : 平均律クラヴィーア曲集 より プレリュード]のテンポが、たいてい遅過ぎる」と思っています。
プレリュードにも様々なタイプがありますが、基本的には重厚なフーガと対比になっているので、テンポも前向きで行くべき作品が多い。
と言いますか、ここで一番強調したいのはもっと前の段階の話。
「本人が思っているよりも実際のテンポは遅くなっていることが多く、それに気づくべき」ということ。もちろん、ある程度速度のある作品を演奏する場合の話です。
録音して客観的に聴いてみることではじめて気づく場合も多いのではないでしょうか。
「設定テンポそのものが遅い」というよりは、「演奏者本人が思っているよりも実際のテンポが遅いことで、設定テンポに届いていない」と言ったほうが正確かもしれません。
楽曲によっては速めのテンポで弾いた方が:
・音楽の特徴が際立つ
・流れが良くなる
・対になる作品(本例の場合は「フーガ」)との対比が強調される
などといった利点があるのも確かです。
今後、平均律クラヴィーア曲集に取り組む際には
プレリュードのテンポのことをより意識して
練習してみましょう。
本番直前になって慌ててテンポを上げるのは大変ですから。
おおよその演奏テンポを把握したい場合は
以下の書籍に書かれていますので
参考にするといいでしょう。
【第1巻の分析本】
・バッハ 平均律クラヴィーア I : 解釈と演奏法 2012年部分改訂(著 市田 儀一郎 / 音楽之友社)
【第2巻の分析本】
・バッハ 平均律クラヴィーアⅡ: 解釈と演奏法(著 市田 儀一郎 / 音楽之友社)
‣ 15. バロックのAdagioがあまり遅くない理由
まず知っておいていただきたいのが、バロック時代における原則です。
「第1楽章の4分音符の刻みを、そのテンポのまま8分音符にして緩徐楽章を演奏する」と楽章間もテンポの関連づけができる。
「倍のテンポ」というのはバロック時代の原則。
のっとらずに演奏している録音もありますが、まずはこのようなテンポの決定方法があるということは知っておきましょう。
やってみると分かるのですが、これでテンポを作ったAdagioは遅くないのです。ロマン派以降の作品でよく聴かれるAdagioを想定していると、どことなくせわしなく聴こえるはず。
「倍のテンポ」というこの原則を前提にする限り、バロックのAdagioはそれほど遅くなりません。
こういったバロックの名残なのか、例えばモーツァルトのAdagioは、ブラームスのAdagioよりも速めに演奏される慣習があります。
‣ 16. テンポ設定の工夫でソナチネアルバムを楽しく学ぶ
多くの学習者が通る、ソナチネアルバム。
筆者がこのアルバムを学んでいた当時の感想は、「正直、あまり楽しくない」でした。「ブルグミュラー25の練習曲」の音楽的で美しい作品の方が、筆者にとっては楽しく興味深く取り組めたものです。
しかし、あるやり方を取り入れてから、急にソナチネアルバムも楽しく感じるようになったのです。
それは、「テンポを上げてみる」というやり方。もちろん、緩徐楽章ではなく急速楽章でのことです。
ソナチネアルバムに入っているような古典的な学習ソナチネの場合、ゆっくり弾いていると何だか退屈でも、テンポを上げて弾くといきなり活き活きとしてくる作品が多い。
我々が「これくらいのテンポでOK」と思い込んで弾いているテンポは、たいてい、遅過ぎるのです。
ソナチネアルバムは入門修了からそれほど経っていない時に取り組む曲集なので、学習段階的に作曲家が望んでいるような急速なテンポで弾くのはまだ難しいですね。しかし、今より少しテンポを上げることくらいは出来るはず。
テンポを上げるだけで流れが良くなり、作品本来の活き活きした表情が現れて、弾いているときの楽しさまで出てきます。
練習というのは工夫次第。
「テンポを上げてみる」というやり方でソナチネの魅力を発見してください。
► C. テンポ解釈の実践的アプローチ
‣ 17. テンポ指示を判断するときに注意すべきこと
♩= 80 などと作曲家が具体的なテンポ指示を残しているケースがあります。
目安としての数字なので鵜呑みにしないことは踏まえておくべきなのですが、もう一つ見落としがちな注意点があります。
「テンポを細分化しても、完全イコールだと考えない」ということ。
例えば、♩= 60 と書かれている楽曲で ♪ =120 へ置き換えてみる。
これは、数字上は間違いではありませんし、それで練習することが必ずしも間違いではありません。
しかし、数字上はイコールでも音楽上はイコールではないのです。
♩= 60 はあくまでも4分音符に対してのものなので、8分音符の場所で目盛りがはいることを意味していません。
4分音符の鳴る位置のことを言っていて、その中の微妙な音楽的なニュアンスは奏者に任されています。
この問題は、特にアゴーギクに自由度が大きい作品では影響が出てきます。
指揮のテクニックとして、「緩徐楽章のような “ゆったりの曲想” では各拍を2回振る」というものがあります。「拍を割る」ということですね。
しかしこれは、演奏者がテンポを捉えやすいように見た目を整えているだけのこと。音楽的にも分割して表現を変えるわけではありません。
練習する時に ♩= 60 を ♪ =120 へ置き換えてみるのはアリですが、仕上げていく段階では♩= 60の感覚を意識に残しておいてください。
力のある作曲家であれば拍子と音楽を踏まえてテンポ指示を残しますので、原則として楽譜に書かれているテンポ指示を音楽の基準に考えていけばいいでしょう。
‣ 18. meno mossoでは「主テンポ」を忘れない
「meno mosso(今までより遅く)」と書かれている場合は、そこからテンポを落とします。
この時に注意すべきなのは、「主テンポがどれくらいの速さなのかを意識しておく」ということ。
例えば:
・♩=120の曲で meno mosso になる場合(主テンポは♩=120)
・♩=80の曲で、途中♩=120になった後 meno mosso になる場合(主テンポは♩=80)
これらでは、meno mossoの意味合いがまったく異なります。同じように♩=120からテンポを下げるにも関わらず。
後者の場合は、meno mossoになった結果、それが♩=80よりも速いのか遅いのかによって全体の構成が変わってくるということ。
作曲家がテンポに関して♩=○○などと具体的な数字を示してくれていればいいのですが、必ずしもそれがあるとは限りません。Allegroなどとだけ書かれている場合も多い。
その場合でも「おおよそどれくらいのテンポなのか」ということを数値で想定しておくといいでしょう。
このようにすることで、meno mossoに対してその楽曲全体の中でどのような意味を持たせるのかを決めやすくなります。
「più mosso(今までより速く)」の場合も同様で、「主テンポがどれくらいの速さなのか」ということを念頭において楽曲全体を演出しましょう。
‣ 19. a tempoへ戻す位置に悩む時の解決策
譜例を見てください。このような楽曲があるとします。
譜例(Finaleで作成)
直前からかかっている rit. をどこで a tempo に戻すのかは、次のように2パターンあるでしょう:
・楽譜通りに小節が変わったところから戻す
・点線を入れた箇所から戻す(この譜例の場合は、こちらがオススメ)
a tempo が書かれている直前の音は16分音符という「短い音価」なので、楽譜通り小節の頭から a tempo にしようとすると、この16分音符をどう処理していいか分からなってしまうということなのです。
rit. をたくさんかけている場合は、「16分音符よりも次の8分音符の方が短くなるの??」などといった疑問が生じます。例えばこれが、4分音符などの「長い音価」であれば特に問題はないのですが。
そこで、点線を入れた箇所のように、キリのいい “音が伸びている拍” からテンポを戻してしまうといいでしょう。
言うまでもないことですが、こういった4拍目で伴奏型が細かく動いていたりする場合にはこの手は使えません。
作曲家の中には、キリのいいところに a tempo と書くクセがある方もいるので、譜例のように小節頭に書かれている楽曲は結構あります。
実際の楽曲では、ショパン「ワルツ第1番 華麗なる大円舞曲 Op.18 変ホ長調」などで、似たような例が出てきます。
今回取り上げたような「a tempo の位置をずらした解釈」は、作曲家の意図を無視しているわけではありません。その方が音楽の方向性が見えやすくなるのです。
困った時の解決法の一つとして引き出しへ入れておきましょう。
‣ 20. 同じ作品の複数演奏を参考にする時のポイント
同曲で複数のピアニストによる音源を参考にする場合のポイントは、他の大多数と明らかに異なる解釈をしている部分を見つけて、なぜそのような弾き方をするのか考えること。
モーツァルト「ピアノソナタ ニ長調 K.311 (284c) 第1楽章」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
曲尾の最後の1小節ではテンポをゆるめるピアニストがほとんどですが、カール・エンゲルをはじめ何人かのピアニストは、最後の2小節をまるまる meno mosso にしてテンポ全体を落としています。
提示部とその繰り返し、展開部に出てくるものも含めると、この「オチの付け方」は4回も聴くことになります。
それぞれテンポは少しゆるめるのが通常ですが、最後の4回目だけは2小節まるまる meno mosso にすることで、締めくくりとして他の3回との差を出すことができます。
これはあくまでも解釈の一つに過ぎぎないわけですが、様々なピアニストの演奏を聴いていて他のピアニストと異なるやり方をしている部分に目をつけたことで発見できたわけです。
このような視点で複数のピアニストの演奏を聴いてみましょう。何かしらの発見があるはずです。
‣ 21. 速度標語は、譜読みが終わった後に見直す
古典以前の作品などメトロノーム速度指示が書かれていない作品の場合は、Allegro、Andante などをはじめとした速度標語をテンポ判断の材料としていくことになります。
しかし、Allegro といってもテンポに幅があり過ぎますし、場合によってはAllegro moderato などと他の用語までくっついてくるので、テンポ設定に関して迷うことも多いと思います。
当然、ピアニストの演奏を聴いてもテンポの解釈は千差万別。
結局はそういうことであり、このようなケースでのテンポ設定に唯一の正解はありません。しかし、何か光が欲しいと思うのでテンポ設定に関して一つヒントを出しておきましょう。
「速度標語は、譜読みを終わった後に見直す」ということをやってみてください。
・譜読みを始める段階では、その時の自分の判断でベストだと思うテンポを目指して学習を進める
・譜読みが終わった後に再度、速度標語を見直す
なぜこのやり方をすすめるのかというと、譜読みが終わった後というのは楽曲理解が圧倒的に深まっているため、速度標語に関するとらえ方にも変化が起きている可能性が高いからです。
思い出してみて欲しいのですが、譜読みをする前にピアニストによるその楽曲の演奏を浴びるほど聴いて楽曲のことを分かったつもりになっていても、実際に自分で楽譜を読んで手を動かして譜読みを進めた後というのは、驚くほど新たな気づきがあったり当初の楽曲の印象が変わっていたりしますね。
それくらい、譜読みの前と後というのは差があるのです。
だからこそ、「おおむね譜読みが済んだ後」という良いタイミングを上手く活用してみるべき。きっと、テンポ設定に関する進展があるはずです。
‣ 22. 平均律で、プレリュードの最後でテンポをゆるめ過ぎない
プレリュードからフーガへ移る時の最も基本的な注意点は、プレリュードの最後でテンポをゆるめ過ぎないことです。
プレリュードのタイプにもよりますが、最後でテンポをゆるめたほうが音楽的な作品はあります。「第1巻 C-dur」のプレリュードはもちろん、多くのプレリュードはそうでしょう。
しかし、プレリュードとフーガをトータルで考えて音楽全体のプランを立てることが大切。
プレリュードだけでいかにも「終わりました感」を出すのではなく、「一区切りではあるけれども、まだ続きますよ感」を出したいのです。
そのためにも、テンポの運び方に気をつけて、プレリュードの後に段落感がつき過ぎないよう注意しましょう。テンポをゆるめ過ぎず、息を入れる程度と考えてください。
‣ 23. テンポが速いからこその注意点:小犬のワルツを例に
【拍子感を忘れない】
ショパン「ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1(小犬)」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、1-4小節)
テンポが速いと、どうしても音を弾くことに必死になってしまい、拍子感が薄れてしまいがち。
譜例のところは拍子感に注意が必要な代表例です。
なぜなら:
・左手のリズムが不在
・右手のパッセージの構造がズレていく
この2つの条件が揃ってしまっているからです。
常に3拍子の意識を忘れずに、この4小節を仕上げましょう。
【装飾音に不自然なアクセントがついてしまわない】
この楽曲には「プラルトリラー」が複数回出てきます。
難しいのは分かりますが、こういった装飾音は流れの中でさりげなく入れてください。
テンポが速いと、頑張って入れようと思うあまり、そこに不自然なアクセントがついてしまったりします。不自然なアクセントが入るというのは、極端な言い方をすると音楽が止まったのと同じこと。
「ゆっくり練習(拡大練習)」するときから、この点に気をつけてさらいましょう。
ちなみに、この作品に出てくるプラルトリラーは、速いテンポの中で入れるのが難しいということもあり、やや簡略化した入れ方が推奨されています。詳しく知りたい方はコルトー版を参照してください。
・ショパン/ワルツ集 (アルフレッドコルトー版)
【跳躍でテンポを広げる時も、拍感覚を忘れない】
(120-122小節)
121小節目では通常、少しテンポを広げて演奏します。
「大きな跳躍がある」という理由に加え、次の小節の崩れ落ちるような下降表現を印象的に演出するためです。
これまで速いテンポで「123 123」と来ていたため、テンポをゆるめた瞬間に気までゆるんで拍感覚が無くなってしまっていませんか。
テンポが広がっても3拍子の感覚は忘れずに持っていましょう。
【脱・sempre mf 】
正直、これが一番言いたかったことです。
ダイナミクスの表現が平坦になり、「sempre mf(常にメゾフォルテ)」のような演奏になってしまうことは避けなければいけません。
・大人のための独学用Kindleピアノ教室 [小犬のワルツ] 徹底攻略
‣ 24. ドビュッシーによるテンポの途中経過指示
ドビュッシーは、複数の作品において「テンポ変化」の様子を細かく書いたことで知られています。
例えば、「映像 第1集 2.ラモーを讃えて」において、楽曲の締めくくりである「コーダ(65-76小節)」より:
・66小節目の Un peu plus lent
・72小節目の Retenu
・74小節目の Plus retenu
この3段階をわざわざ指示したうえでテンポがゆるんでいく。
演奏にあたっては、最終的な行き先のテンポから逆算しておく必要が出てきます。
このような途中経過を作曲家が意図的に細かく書いたわけなので、「見通しを立てたうえで演奏をまとめていかなければならない」と言えます。
音楽の方向性が見えにくくならないように、変化の行き先から逆算する視点を持って演奏しましょう。
► D. テンポ感を通じた楽曲理解
‣ 25. 音楽の時間の進み方を意識する
「時間の進み方」と言うと、「テンポ変化」のことを真っ先に思い浮かべると思います。
それも大切なのですが、今回話題にしたいのは「テンポの “感じ方” の変化」について。
例えば、ずっと8分音符主体で進行してきて、伴奏形が急に16分音符主体へ変わった場合、テンポ自体は変わっていなくても、「テンポの感じ方」は変わります。
こういった「時間の進み方」の工夫は、作曲家があらゆるところに取り入れています。「何となく16分音符を書いておこう」などという作曲法は、少なくとも力のある作曲家はとりません。
演奏家も何となく弾くのではなく、「どこでどのように時間の進み方が変わったのか」ということを読み取って演奏するといいでしょう。
ショパン「ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58 第4楽章」
譜例(PD作品、Finaleで作成、3箇所抜粋)
楽曲が進むにつれて、テンポは変わらずに「左手の伴奏の音価」がどんどんと細かくなっていきます。そこがこの楽曲の美しさ。
こういった構造的なことを理解していれば、「左手の伴奏の音価が細かくなったからといってテンポが遅くなってしまうのは音楽的ではない」と判断できます。
もう一例見てみましょう。
ラフマニノフ「音の絵 op.39-5」
譜例(PD楽曲、Finaleで作成、70-72小節)
2小節進むにつれて、テンポは変わらずに「音価」が3・4・6・8とどんどん細かくなっていきます。それがこの部分の美しさ。
「難しくなっていって、遅くなってしまった」という印象に聴こえないよう、注意して弾き進めましょう。
このような音価の変化は、「アッチェレランド」と似た効果があります。
反対の表現として、「リタルダンド」になるように音価を変化させていく例もよく見られますね。
► 終わりに
作曲家の意図を汲み取り、楽曲に命を吹き込むためには、テンポの理解とそれを自在に操る技術が求められます。
これまで紹介してきたテンポに関する知識を活かして、ぜひ日々の練習に役立ててください。
関連内容として、以下の記事も参考にしてください:
・【ピアノ】演奏で崩れがちなテンポを安定させる実践テクニック
・【ピアノ】確実にテンポを上げるための完全ガイド
・【ピアノ】楽譜に書かれていない”テンポの揺れ”を表現するためのヒント
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