【ピアノ】替え手(指の交差)の考え方と実践例
► はじめに
「替え手」とは、ピアノ演奏において両手の指が交差する演奏技法を指します。この技法は、音楽表現に深く関わる重要な演奏法です。作曲家たちは音色や表現の違いなどを意図して、意識的にこの技法を用いてきました。
► 替え手の基本的な考え方
‣ 音楽的な意図と効果
替え手には主に以下のような音楽的意図があります:
・音色の変化を生み出す
・フレーズの流れを自然に保つ
・特定の声部を際立たせる
‣ 実践例と分析①
シューマン「ピアノソナタ 第2番 ト短調 Op.22 第1楽章」
譜例1(PD楽曲、Sibeliusで作成、曲頭)
この冒頭部分では各手の親指が交差する替え手が使われています。
・「なぜ、右手の親指で弾くG音を左手で取らないのか」
・「なぜ、左手の親指で弾くB音を右手で取らないのか」
と思うかもしれません。理由は明らかであり、左手では2小節目から始まる分散和音で使われる音のみをつかんでおいた方が、手の動き、流れ、ニュアンスなど、どれもスムーズにつながるからです。
シューマンはこのような「替え手」の書法を多くの作品で取り入れました。
「ピアニズムへのアプローチ 音楽的なピアノ演奏法」著 : 大西愛子 / 全音楽譜出版社
という書籍には、以下のような記述があります。
ロマン派の作曲家達、殊に Chopin や Schumann は、中間音をたっぷり出したい時に、親指を交差させています。腕からの目方が自然に入り、和音が豊かになるためです。弾きやすいようにと、交差させずに左右の親指を置き替えて弾く時には、親指の音がたっぷり出るように注意してください。
(抜粋終わり)
・ピアニズムへのアプローチ 音楽的なピアノ演奏法 著 : 大西愛子 / 全音楽譜出版社
‣ 実践例と分析②
シューマン「謝肉祭 20.ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進」
譜例2(PD楽曲、Finaleで作成、曲尾)
譜例の最終小節では、楽譜通りに演奏するとなると手を交差させて左手で最高音を弾くことになります。しかしこれを、「下から、左手で2音・右手で2音」のように勝手に和音分割を変えてしまっている演奏があります。
それでも成立はしますし、むしろ弾きやすいことは事実。しかし、シューマンはあえて手を交差させて演奏して欲しいと楽譜にメッセージを残しているのです。
・演奏する指の違いからくる、和音の微妙なニュアンスの違い
・手の交差による、視覚的なパフォーマンス性
など、いくつかの意図があるからなのでしょう。
最後から3小節目では、左手で弾く和音と右手で弾く和音が入れ子で替え手になっています。第一曲目でも、同様の「入れ子(替え手)」書法が使われています。
シューマン「謝肉祭 1.前口上」
譜例3(PD楽曲、Sibeliusで作成、曲尾)
► オーケストラ的発想と替え手
‣ ホルン書法との関連
改めて譜例3を見てみましょう。
オーケストラ音楽では、特にホルンパートにおいて「入れ子」状の音の配置が一般的。4本のホルンで和音を形成する際、上から「1番奏者、3番奏者、2番奏者、4番奏者」という順で音を配置する伝統があります。
シューマンの替え手の書法には、このようなオーケストラ的な発想が反映されている可能性があります。
‣ 弦楽器の音色イメージ
作曲家がオーケストラをイメージしているとピアノ曲の書法においても替え手が発生し得る、もう一つの例を挙げておきましょう。
譜例4(Sibeliusで作成)
・この譜例のC音をヴァイオリンで演奏する
・この譜例のC音をチェロで演奏する
どちらが緊張感の伝わる音色が出てくるでしょうか?
当然、チェロで演奏する時の方がイクタス(緊張度)の高い音色が生まれます。高音でも楽に出せるヴァイオリンで弾く時とは異なり、低音を担当することの多いチェロで演奏する場合には、振動する弦が短くなるようにハイポジションで押さえて弾くことになるので、音色的にも視覚的にも緊張度が高くなるのです。
つまりオーケストラにおいては、作曲家の欲しい音色や緊張感などによっては、チェロが同属弦楽器のヴィオラや時にはヴァイオリンよりも高い音を演奏することがあるのです。チャイコフスキーのシンフォニーなどでも見られます。
作曲家がピアノ曲を書く時というのは:
・ピアノ一台だけれども、オーケストラを想定して作曲する
・ピアノ一台だけれども、小さなアンサンブルを想定して作曲する
・本当にピアノのみしか聴こえないような書法を想定して作曲する
などを使い分けており、その書法がいつも同じではありません。したがって、作曲家がオーケストラをイメージしていると、ピアノ曲の書法においても替え手が発生し得るのです。
ピアノ曲の替え手においては、必ずその部分のみでなく前後関係も調べてみてください。オーケストラのような多声が想定されている場合、声部の横の動きが優先された結果、替え手が起こっている可能性があります。
► 名著より、替え手についてのヒント
「ピアノが上手になる人、ならない人」著 : 小林仁 / 春秋社
という名著では、替え手について重要な指摘がされています。これらの知見を実践的なヒントとしてまとめると:
1. 基本的な考え方
・替え手は作曲家の意図的な音楽表現の手段である
・過度に固執する必要はなく、手の大きさなどの身体的特徴に応じて柔軟に対応してよい
・職人的な技術へのこだわりは、ピアノ演奏の醍醐味の一つである
2. 替え手を活用する三つの状況
・演奏をより自然にするため:曲想を損なわない範囲で演奏を容易にする場合
・特殊な効果を生み出すため:音色や強弱の変化を作り出す場合
・感情表現のため:特別な音楽的表現や心理的な効果を期待する場合
3. 練習における留意点
・まずは楽譜に書かれた指使いどおりに試してみる
・音楽的な効果を聴きながら練習する
・必要に応じて、自分の手に合った代替案を探る
・ピアノが上手になる人、ならない人 著 : 小林仁 / 春秋社
► まとめ
替え手の技法について、以下の点を理解し実践することが重要です:
1. 音楽的意義
・単なる技巧的な要素ではなく、音楽表現の重要な手段
・作曲家は音色や表現の違いを意図して、意識的にこの技法を用いている
・オーケストラ的な発想が反映されている場合もある
2. 実践的なアプローチ
・楽譜に示された替え手書法の意図を理解する
・前後の文脈や声部の動きを考慮する
・音色の違いや表現効果を意識して練習する
3. バランスの取り方
・作曲家の意図を尊重しつつ、演奏者の身体的特徴も考慮する
・技術的な困難さと音楽的な効果のバランスを考える
・必要に応じて適切な代替案を検討する
4. 発展的な学習に向けて
・様々な作曲家の替え手の用法を比較研究する
・オーケストラ作品との関連性を意識する
この技法を理解することで、ワンステップ上の音楽表現が可能になります。
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