【ピアノ】「フレージングとアーティキュレーション」レビュー:J.S.バッハ研究の第一人者が説く基礎文法

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【ピアノ】「フレージングとアーティキュレーション」レビュー:J.S.バッハ研究の第一人者が説く基礎文法

► はじめに

 

J.S.バッハ研究の第一人者として知られるヘルマン・ケラー(1885-1967)による本書は、1969年の邦訳初版から半世紀以上を経た今なお、演奏家たちの座右の書として重要な位置を占めています。149ページという比較的コンパクトなボリュームながら、演奏解釈の核心に迫る考えさせられる内容が詰まっています。

 

・フレージングとアーティキュレーション―生きた演奏のための基礎文法  著 : ヘルマン・ケラー  訳 : 植村耕三、福田達夫 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

► 本書の特筆すべき価値

 

体系的な基礎理論の確立

本書の最大の功績は、「フレージング」と「アーティキュレーション」という、演奏解釈において頻繁に混同されがちな概念を明確に区別し、体系的に解説している点です。特に第1部では、これらの概念を音楽の「文法」として捉え、その基礎的な原理を丁寧に説明しています。

歴史的背景に基づく実践的アプローチ

第2部では、J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品を具体例として取り上げ、各時代・作曲家特有の演奏習慣や記譜法について詳細な考察を展開しています。例えば、モーツァルトのピアノソナタにおける短い弧線の意味や、ベートーヴェンの記号使用に関する直筆の証言など、貴重な歴史的根拠に基づいた解釈指針を提供しています。

演奏実践への直接的な示唆

著者自身の豊富な演奏・教育経験に基づき、実践的な演奏上の指針を具体的に示しています。特に印象的なのは、終止線上のフェルマータに関する解釈など、細部にまで及ぶ考察です。「音楽が聞こえないながら響き続けているように」という著者の言葉は、J.S.バッハ音楽の本質を捉えた洞察として興味深いものです。

 

具体例

小節線を越えてかけられることが少ない短い弧線の理由と実際の解釈

 

モーツァルト「ピアノソナタ第12番 K. 332 (300k) 第1楽章」

譜例(PD楽曲、Finaleで作成、曲頭)

この譜例のように、モーツァルトの作品をはじめ18世紀中頃までの作品では、弧線が小節線を越えて引かれることは多くありませんでした。現代の作品ではフレーズの大きな弧線が引かれていることも多い中、なぜ、上記のような短い弧線が書かれているのか。

諸説ありますが、実際の演奏でどのように解釈していくかを考えるためには諸説のうちの一つでも知っておかなければいけません。この点についても言及されています。

 

► 特徴的な引用

 

本書には、演奏解釈に関する重要な示唆が随所に見られます。特に注目すべき引用をいくつか紹介します:

 

ベートーヴェンの記号使用について

カルル・ホルツへ向けられた、1825年のベートーヴェン自身の手紙
(以下、抜粋)
音符の上に (点)がある場合には、𒑰(線)を代りに置いてはならないし、その逆のことをしてもなりません。
(抜粋終わり)

この引用は、作曲家自身による記号の使い分けの重要性を示す貴重な証言です。特に後期の作品解釈において重要な指針となります。

 

モーツァルトの弧線処理について

(以下、抜粋 譜例はFinaleで作成)

[モーツァルトの]へ長調ソナタ(K. Anh. 135)冒頭で、弧線が小節の頭の前で終っているのは
充分な理由があるのであって、それによって小節の頭が強調されるのである。
モーツァルトがジュピター交響曲におけるように弧線を先まで引いている場合には最後の音はディミヌエンドになる。

(抜粋終わり)

この指摘は、弧線の長さが単なる技術的な問題ではなく、音楽的表現と直結していることを明確に示しています。

 

J.S.バッハ作品における終止線上のフェルマータについて

(以下、抜粋)
[終止線上のフェルマータの場合には]
音楽が聞えないながら響き続けているようにせよというのであって終止和音が延ばされるのではない。
(抜粋終わり)

この解釈は、特にJ.S.バッハ作品における終止の扱いに関する重要な指針を提供しています。

 

► 現代における本書の意義

 

今日、様々な校訂版が出版され、しばしば原典版との差に悩まされてしまいます。本書は、そうした状況下で演奏家が自身の解釈を確立するための重要な指針を提供します。特に以下の点で、現代の演奏家にとって貴重な参考文献となっています:

・作曲家の意図を尊重した解釈の重要性の指摘
・記譜法の歴史的変遷についての詳細な解説
・演奏実践に直結する具体的な指針

 

► 推奨される読者層

 

本書は、特に以下のような読者にとって有益です:

・中級以上のピアノ学習者
・特にバロックから古典派の作品の学びを深めたい方
・演奏解釈に関心を持つ音楽教育者

 

► 結論

 

本書は、単なる演奏技法書を超えて、音楽解釈の本質に迫る重要な文献です。著者の厳格な学術性と豊かな演奏経験が融合した本書は、現代においても演奏家の音楽的成長を支える確かな指針となることでしょう。

音楽之友社から出版された邦訳は、日本の読者にとって貴重な研究資料となっています。

 

・フレージングとアーティキュレーション―生きた演奏のための基礎文法  著 : ヘルマン・ケラー  訳 : 植村耕三、福田達夫 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

 


 

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