【ピアノ】映画「青空娘」レビュー:クーラウのソナチネの演出効果
► はじめに
増村保造監督による「青空娘(A Cheerful Girl)」は、1957年の青春映画。明るい時代の空気を背景に、若い女性の成長を描いた作品です。当時の大映の看板女優・若尾文子が主演を務め、当時の若者文化や家族関係をリアルに描写しています。
本作品でピアノが登場するのはわずか数分のシーンですが、そこには音楽と映像の関係について考えさせられる、計算された演出が隠されています。
・公開年:1957年(日本)
・監督:増村保造
・ピアノ関連度:★☆☆☆☆
► 内容について(ネタバレあり)
以下では、映画の具体的なシーンや楽曲の使われ方について解説しています。未視聴の方はご注意ください。
‣ クーラウのソナチネの特性を活かした音楽演出
· 使用楽曲の巧妙な選択
中盤のシーンで、登場人物の小野有子が屋外を歩いていると、クーラウ「ソナチネ op.20-1 第1楽章」が聴こえてきます。本映画ではこの楽曲の特性を活かした音楽演出を行っています。
使用楽曲:クーラウ「ソナチネ Op.20-1 第1楽章」
この楽曲は、ピアノを学んだことがある人なら必ず通る「定番中の定番」。初心者向けソナチネとして、バイエル修了後からソナタアルバムへの橋渡し的役割を果たす作品です。
なぜこの楽曲が効果的なのか。その理由は以下の特性にあります:
・圧倒的な認知度:音楽経験の有無に関わらず「耳にしたことがある」と感じる親しみやすさ
・お稽古感の演出:この曲が流れると「誰かが練習している」という状況が自然に想像できる
・技術レベルの判別しやすさ:演奏の上手い下手が非常に分かりやすい楽曲構造
·「下手な演奏」が持つ映画的機能
音楽用語解説:
状況内音楽
ストーリー内で実際にその場で流れている音楽。 例:ラジオから流れる音楽、誰かの演奏
状況外音楽
外的につけられた通常のBGMで、登場人物には聴こえていない音楽
注目すべきは、意図的に未熟な演奏を聴かせることで、説明なしに「状況内音楽」であることを示している演出技法です。
本編中盤、小野有子が屋外を歩いていると聴こえてくるこの音楽ですが、重要なのは、演奏者の姿は一切映されないということです。通常であれば「誰が弾いているのか」を示すために、ピアノを弾く人物を画面に映す必要があります。
演出の巧みさ:
しかし本映画では、演奏の「下手さ」という情報だけで、観客に以下を理解させています:
・近所の誰かが練習をしている
・プロの演奏ではない日常的な音
・生活の一部として自然に存在する音楽
·「下手さ」が持つ映画的機能
ここでの演奏の未熟さは演出の手抜きではありません。観客が自然に「あ、近所の人が練習しているんだな」と理解できるよう、計算した演出なのです。
もし上手な演奏だったら?
実際の演出(下手な演奏) | 仮想の演出(上手な演奏) |
✓ 状況内音楽と即座に理解 ✓ 演奏者を映す必要なし ✓ 日常的な生活音として機能 ✓ 観客の注意が音楽に集中し過ぎない |
× 状況外音楽としてのBGMと勘違いされる可能性 × 説明的に演奏者を映す必要が生じる × 非日常的な印象 × 音楽が前面に出すぎる |
► 終わりに
「青空娘」におけるピアノシーンは、わずか数分という短い時間ながら、音楽と映像の関係について考えさせられる価値ある演出となっています。音楽を「説明の道具」として使うのではなく、「環境音」として機能させることで、より没入感のある映画体験を創出している点は、注目すべきでしょう。
► 関連コンテンツ
コメント