【ピアノ】左手作品から読み解くフマガッリ:28歳で逝った「ピアノのパガニーニ」

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【ピアノ】左手作品から読み解くフマガッリ:28歳で逝った「ピアノのパガニーニ」

► はじめに

 

アドルフォ・フマガッリ(Adolfo Fumagalli, 1828-1856)という名前は、日本ではほぼ知られていません。しかし19世紀中頃のパリとミラノで、彼は「ピアノのパガニーニ」と呼ばれていました。1828年に北イタリアのインツァーゴに生まれ、フィレンツェで28歳の若さで亡くなった短命の音楽家です。

その短い生涯の中で残した左手のみのための作品は、現在確認できるだけでも6曲にのぼります。そのほとんどがオペラのトランスクリプション(編曲)であり、ヴェルディ、ドニゼッティ、ベッリーニ、マイアベーア、ロッシーニという当時の人気演目がもとにされました。本記事ではこれらの作品を軸に、フマガッリという演奏家の実像に迫ります。

 

► 左手作品から読み解くフマガッリ

‣「ピアノのパガニーニ」と呼ばれた男

 

フマガッリは4人兄弟の全員がピアニスト兼作曲家という音楽一家の出身で、アドルフォはその中でも最も才能に恵まれていました。ミラノ音楽院でアンジェレーリに師事し、ミラノでデビューを果たした後、イタリア、フランス、ベルギーを巡る演奏旅行に乗り出して各地で大きな評判を呼びます。

彼の演奏スタイルを特徴づけていたのは、左手の圧倒的な技術と、きらめくような豊かな音色でした。ロッシーニはフマガッリのカンタービレを絶賛し、批評家フィリッポ・フィリッピは「独創的な楽想は非常に簡潔で完璧に構成されており、装飾性を抑制しつつ構築されている」と高く評価しています。

パリに拠点を置くようになってからは批評家のブランシャールに才能を認められ、「イタリアから戻ってきた最初の真面目なピアニスト」として押し出されることになります。ただし、彼のパラフレーズについてはブランシャール自身も「少々やりすぎ」という留保をつけており、技巧の華やかさと音楽的な深みのバランスをめぐる評価は割れていました。

 

‣ 1855年、パリの夜の衝撃

 

フマガッリが本当の意味でセンセーションを巻き起こしたのは、1855年1月、パリのサール・エルズ(エラール・ホール)での演奏会でした。マイアベーアのオペラ《悪魔のロベール》の主題による左手のための大作「《ロベール・ル・ディアーブル》による大幻想曲(マイアベーア) Op.106」を演奏したのです。

ある目撃者の証言が残っています。

「作曲家自身による演奏、圧倒的な方法で演奏された《悪魔のロベール》の主題による偉大で華麗なファンタジー。もしこの並外れたエチュードの演奏中に目を閉じるよう言われたら、さらにこれが2人、あるいは4つの手によって演奏されていると言われても、誰もがそれを信じるだろう。そして、目を開けて、ピアニストの手袋をはめた右手が太ももの上に静かに置かれているのを目にし、左手がこの驚くべき早弾きを実行しているのを見て初めて、その聴覚的な錯覚から目覚めるのである。」

右手を膝の上に置いたまま左手だけで弾いているとは信じられない——この証言こそ、フマガッリの演奏の本質をよく物語っています。

演奏終了後、作曲家は3度もステージに呼び戻されました。

その年の後半には、ベッリーニの《ノルマ》から「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」の左手編曲版を発表。ブランシャールは熱を込めて「まるで最大の至難をなんでもないように、手でそれらを弾くようだった」と書いています。

 

‣ 左手作品6曲を読む

· ① ノットゥルノ=スタジオ Op.2

 

学生時代に書かれたオリジナルの習作とみられます。資料には「おそらく未出版」との記述もありますが、リコルディから出版されたとする書誌情報も存在しており、詳細は不明です。それ以上の情報は残っていません。

 

· ② スタジオ・ダ・コンチェルト Op.18 No.1

 

スタジオ・ダ・コンチェルト(ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》より) Op.18 No.1

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-4小節)

フマガッリ スタジオ・ダ・コンチェルト(ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》より)Op.18 No.1 冒頭1〜4小節の楽譜。

《ルチア》最終場面のテノール・ソロを素材にとった作品です。

金管楽器の導入部を扱い、主旋律に2つのカデンツァを挿入した構成。主旋律部分は比較的単調な編曲なので、カデンツァが楽曲に変化と緊張感を与えています

旋律よりも上の音域で動く伴奏を取り入れたりと音響的工夫が見られます。

 

· ③ スタジオ・ダ・コンチェルト Op.18 No.2

 

スタジオ・ダ・コンチェルト(ヴェルディ《十字軍のロンバルディア人》より「おお、故郷の屋根よ」) Op.18 No.2

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-4小節)

フマガッリ スタジオ・ダ・コンチェルト(ヴェルディ《十字軍のロンバルディア人》より「おお、故郷の屋根よ」)Op.18 No.2 冒頭1〜4小節の楽譜。

この編曲は、ヴェルディのオペラを素材にとった作品です。

譜例に見られるように、4小節目にトリルと和音演奏を同時に行う書法が出てきます。また、終盤にオクターブのグリッサンドが現れます。筆者は初めて楽譜を見た際には一瞬目を疑いましたが、弾いてみるとそれほど困難ではなく、左手演奏の可能性を感じる書法だと感じました。

 

· ④ 清らかな女神(カスタ・ディーヴァ) Op.61

 

「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」(ベッリーニ《ノルマ》より) Op.61

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-5小節)

フマガッリ 「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」(ベッリーニ《ノルマ》より)Op.61 冒頭1〜5小節の楽譜。

出版:ミラノ、G. リコルディ、1851年

トマジーニ夫人に献呈。左手のための上級演奏会用トランスクリプションとして知名度が高い作品です。豊かで充実した音響、オクターブを多用した書法、カデンツァ、大きなアルペジオ、幅広い音域が組み合わされています。運指とペダルの指示も記されており、演奏会用の大作と呼ぶにふさわしい編曲と言えるでしょう。

一方で、原曲の管弦楽伴奏のパターンをそのまま踏襲しすぎているという批評もあります。抒情的な箇所の伴奏処理において、適切な代替音型を創作するよりも原曲に従ってしまいました。その結果、第1セクションだけで16か所もの声部の飛躍が生じています。不滅のメロディーが作品全体を支えてはいますが、そうした不自然な箇所は練習によっても解消できない問題として残ります。

 

· ⑤ アンダンテ「声がない(Mi manca la voce)」 Op.102(遺作)

 

アンダンテ「声がない(Mi manca la voce)」(ロッシーニ《モーゼ》より) Op.102(遺作)

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-4小節)

フマガッリ アンダンテ「声がない(Mi manca la voce)」(ロッシーニ《モーゼ》より)Op.102 冒頭1〜4小節の楽譜。

ロッシーニのオペラ《モーゼ》のアリアを素材とした作品です。全曲が3段譜で書かれているのが特徴で、「全曲が3段譜」という書き方は、左手作品では非常に珍しい書法です。

豊かなテクスチャーへと発展していきますが、原曲の管弦楽伴奏に必要以上に忠実であるために、無数の極端な跳躍が生じており、音楽にややぎこちなさが残るように感じられました。

 

「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)の情報では、

“Etude Transcendentale: Mi manca la voce, de l’Opéra Moïse by Rossini, Op.100 No.19. Milan: Ricordi.”

となっており、「Op.100 No.19」と記載されています。ただし、Op.102(遺作)で実際の楽譜を確認できたため、この「Op.100 No.19」の記載は誤りと考えられるでしょう。

 

· ⑥《ロベール・ル・ディアーブル》による大幻想曲(マイアベーア) Op.106

 

《ロベール・ル・ディアーブル》による大幻想曲(マイアベーア) Op.106

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-8小節)

フマガッリ 《ロベール・ル・ディアーブル》による大幻想曲(マイアベーア)Op.106 冒頭1〜8小節の楽譜。

フマガッリの左手作品の中でもっとも野心的かつ最大規模の作品で、フランツ・リストへの献呈という事実がその自負をよく示しています。速くて激しいオクターブ、和音、跳躍が鍵盤全体を覆い、随所に力強い書き方が見られます。この作品の最後にもオクターブのグリッサンドが現れます。

しかし形式的な完成度は物足りなく、唐突で独創性に欠ける転換部がセクション間をつないでおり、音楽的な完成度という点では必ずしも良い仕上がりとはみなせないという評価も確認できました。それでも規模と難度においては群を抜いており、左手の表現限界に挑んだ作品と言えます。

 

‣ 編曲作品に共通する強みと限界

 

フマガッリの左手作品の大半はオペラのトランスクリプションです。この選択は彼の強みをよく反映しています。ヴェルディやベッリーニの旋律という「確かな素材」を出発点にすることで、音楽的な説得力の土台は最初から保証されているからです。書法はおおむね巧みで、時に両手で演奏しているかのような効果を生み出します。

しかし批評家が繰り返し指摘するのは、原曲の管弦楽パターンへの依存です。抒情的な箇所の伴奏を左手向けに作り替えるのではなく、そのまま踏襲しようとするために、音域の飛躍や不自然な跳躍が生じてしまう。フィギュレーション(旋律を支える伴奏音型や装飾音型)の発明力という点において、フマガッリには限界があったと言わざるを得ません。

それでも、ブリュッセルの批評家はフマガッリとリストを並べて比較し、こう書き残しています。

「片手で、中央のメロディーを占拠し、ベースの伴奏と上部オクターブの装飾を行う、この3つの部分が、持続的な方法で、完璧な明晰さと大きな効果の多様性をもって、共に進行する。人は、自分が聴いているものの可能性を疑ってしまうほどだ。」

 

► 終わりに

 

フマガッリはヨーロッパの演奏会場の黄金期の終わりに生きた人物でした。タールベルク、リスト、そしてドライショクが切り開いたヴィルトゥオーゾ時代の最後の光の中で、彼は「左手」という武器を携えて聴衆を驚かせ続けました。

しかし時代は変わりつつありました。作曲家ピアニストが自身の手による軽量作品を量産するという在り方は、1860年代に向けて急速に色褪せていきます。そしてフマガッリが生きていれば、その変化を誰よりも身近に感じただろう年齢で、彼はフィレンツェで亡くなりました。

彼の左手作品は音楽史の中では小さな位置を占めるにすぎませんが、「片手でここまでできるのか」という驚きを今日の聴衆や演奏者に届ける力は、まだ十分に残っています。「カスタ・ディーヴァ」や《ロベール・ル・ディアーブル》幻想曲を実際に弾いてみると、若くして亡くなったピアニストが左手に込めた途方もないエネルギーが、楽譜の上から伝わってくることでしょう。

 

参考文献:

・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)

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