【ピアノ】音楽学習における「廃用」の乗り越え方
► はじめに
ピアノ練習や音楽学習を続けていくうえで最も避けるべきは、技術の衰えや知識の忘却ではありません。むしろ、「やる気の廃用」です。
本記事では、「心理的廃用」という視点から、学習の継続について考えてみましょう。
►「廃用」とは何か
「廃用」とは、持っている能力を使わないことによって、その機能が低下していく現象を指します。「必要の無いもの」と無意識に認識してしまうために起こるそうです。
これは音楽においても例外ではありません。例えばピアノ練習の場合、弾かない期間が長くなると:
技術的廃用:
・指の俊敏性の低下
・指先のコントロール力の減退
・読譜スピードの鈍化
心理的廃用:
・「また弾きたい」という意欲の減退
・「できる」という過去の学習で身につけた自信の喪失
・音楽を楽しむ感覚の希薄化
技術的廃用に関しては、極論すれば、使わないものは手放してしまえばいいわけです。しかし、心理的廃用とはそこそこ上手く付き合わなければ取り組みの継続性がなくなってしまいます。そこで、主に後者について見ていきましょう。
►「心理的廃用」との付き合い方
‣ 音楽における「連続性」の価値
特に古典的な音楽作品には、一貫した動機や音型が繰り返し登場する作品が多くあります。例えば、ベートーヴェンの作品では、主要動機が全曲を通じて何度も姿を見せます。作曲家たちは、ある音楽的アイデアを発展させ、作品全体に有機的つながりをもたせています。
この「連続性」は比喩ですが、ピアノ練習の習慣においても重要な視点だと考えてみましょう。練習が途切れると、心理的な勢いも失われがちです。特に多忙な大人の学習者にとって、この「再開のハードル」は想像以上に高くなることがあります。
‣「中途半端な休み」がもたらす心理的ハードル
ピアノ練習を数日休むと、次のような心理的ハードルが生まれます:
完璧主義のトラップ:
「前と同じように弾けないなら始めないほうがいい」と自分にブレーキをかけてしまう
再始動のエネルギー壁:
「始めるまでの腰が重い」という感覚が強くなってしまう
多くの学習者は、これらが「技術的な問題」だと勘違いします。しかし実際には、心理的な慣れが途切れたことによる影響のほうが大きいと思ってください。
筆者の本Webメディア更新も同様です。「週に数回」など下手に休みを挟んでしまうとかえって腰が重くなる可能性があり、毎日書き物をしているほうがずっと楽なのです。
「エッシェンシャル思考」という名著の中にも、「エッシェンシャル思考の人たちは、締め切り間際になって急に慌てるようなことは絶対にない」と書かれています。つまり、習慣化しておいて日頃からコツコツとやる重要性が説かれています。
一般的に音楽学習をしなくなってしまう多くの方は、習慣化までもっていけなくて1日休んでしまうことが事のスタート。そして、「もう1日…」「さらにもう1日…」と増えていきます。気づいた頃には完全に音楽から離れてしまっています。習慣化のためには、「まあまあ手抜きで繰り返して頭に慣れさせる」というやり方が効果的でしょう。
あらゆる生活環境にある現代人にとって、ピアノを毎日練習することは困難な場合もあります。しかし、1日完全に休んでしまわないで毎日ほんの少しでも音楽に触れるべきです。こういった毎日継続は、完璧主義ではなく、むしろその逆だと考えてみてください。
知人のピアニストの何人かは、「初心者の頃、楽器の練習が何となく嫌だった時期があった」と話します。その後、専門的に学んでいる方達ですら、必ずしも最初から楽器が好きで好きでたまらなかったわけではありません。しかし、継続して習慣化していく中で自分の当たり前になり、さらに言えば、無くてはならない存在になっていったということなのです。
► 終わりに
一度学習が途切れると、再び流れを作り出すのに大きなエネルギーが必要になります。しかし、小さくても続く流れがあれば、それは少しずつ大きな流れへと発展していくでしょう。仮に発展がなくても、細く長く続けていくことができます。
・「毎日、たとえ5分でも学習し、下手な空き日を作らない」
・「必要以上の完璧主義をやらず、続けることを優先する」
・「学習を習慣化し、生活の一部にする」
そして習慣化したら、「ちょっとでも、多少手抜きでも、気をラクにしてそのまま毎日続ける」のが、心理的廃用と付き合うために最も重要な点です。
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