【ピアノ】音楽用語を消してみる・書き足してみる:楽譜を深く読むためのアプローチ
► はじめに
楽譜には、音符や休符だけでなく、様々な記号や言葉が書き込まれています。速度標語、強弱記号、発想標語、アーティキュレーション……。それらをふだん何気なく目にしながら演奏している方も多いかもしれません。
本記事では、そうした書き込みに対してあえて逆向きのアプローチを取ることで、楽曲の表現をより深く理解するための、少し変わった譜読みの方法を紹介します。一つは「用語を消してみること」、もう一つは「用語を想像して書き加えてみること」です。どちらも、楽譜との向き合い方を変えてくれる、シンプルながら効果的な方法です。
► 楽譜を深く読むための2つのアプローチ
‣ 作曲家から求められている表現を見抜くコツ:用語を消してみる
今取り組んでいる作品について、様々なイメージや感覚をお持ちのことでしょう。それらは、どのようにして感じ取ったものでしょうか。直感によるもの、演奏録音から得たもの、譜読みを通じて気づいたもの——それぞれ異なるきっかけがあると思います。
こうしたアプローチに加えて、作曲家が求めている表現をより明確につかむための方法があります。やり方は非常にシンプルです。
音符・休符・タイ以外の書き込み(発想標語、強弱記号、アーティキュレーションなど)を、すべて隠した状態で楽譜を眺めてみてください。
例えば、ベートーヴェンの「ピアノソナタ 第8番 悲愴 ハ短調 Op.13 第1楽章」の冒頭で試してみましょう。
譜例1(PD楽曲、浄書ソフトで作成、曲頭)

この速度標語と強弱記号を取り除いた状態の譜面をしばらく目に焼き付けたあと、「Grave」と「fp」という2つの指示が書かれた原曲に目を移します。
譜例2(曲頭)

すると、その2つの記号が戻っただけで、深く重々しい曲想が一気に浮かび上がってくるのが分かるのではないでしょうか。
書かれている内容の重要性は、こうした比較をしてみることで初めてはっきりと見えてきます。記号が加わることで、音符の見え方そのものにも変化が生まれることさえあるのです。
作曲家の意図がいまひとつつかめないと感じているときは、「一度書き込みを隠して眺め、その後に原曲と見比べる」という比較の手順を取り入れてみてください。
‣ ここに用語を書くとしたら何だろうと想像する:用語を書き足してみる
前の項目の考え方を応用した、もう一つの学習方法を見ていきましょう。
「dolce」「maestoso」「leggiero」といった発想標語がほとんど登場せず、強弱記号だけで音楽が構成されている作品も少なくありません。そういった楽譜に向かったとき、あえて自分で発想標語を書き込んでみるのです。
こうすることで、漠然と頭の中に浮かんでいたイメージが言葉として視覚化され、何となく弾いていた部分の輪郭が明確になることを実感してみてください。
一人でのソロ作品の学習はもちろん、連弾や2台ピアノ、他の楽器との共演といったアンサンブルの場でも有効な方法です。共通の発想標語を言葉として共有することで、演奏者同士が頭の中のイメージを揃えやすくなります。
► 楽曲から適切な言葉を見つける
音楽の学習を本格的に始める前のことです。当時習っていた先生からこんなことを言われたことがありました。
「この曲について思い浮かぶ言葉をすべて言ってみて」
イメージでも、断片的な言葉でも、何でも思いつくままに、と言われたとき、何も出てこなくてとても恥ずかしい思いをしました。それまでは音を拾って聴こえてきたものを楽しんでいただけで、楽曲そのものについて深く考えたことがなかったわけです。
どれだけ豊かなイメージを持っていても、それを表現するテクニックが伴わなければ音には反映されません。一方、表現したい内容があってこそ必要な技術が見えてくる、という側面もあります。言葉を積極的に活用することは、演奏の質を高めるうえで決して遠回りにはなりません。
この点について、ハンス・カン 著「ピアノ演奏おぼえがき」(訳:城房枝 / 音楽之友社)には、次のような一節があります。
(以下、抜粋)
生徒に新しい概念、新しい可能性を現わす言葉をみつけさせる。このような実験は、新しい、創造的なピアノ演奏を刺激するはずである。
たとえば、
輝くような/金属的な/満ち足りた/硬い/鐘の響きのような/クリスタルのような/ガラスのような/鈍い/ピッチカートふうの/刺すような 等々。
(抜粋終わり)
この文章を読んだとき、真っ先に思い浮かんだのが、武満徹のピアノ曲「雨の樹素描 II ―オリヴィエ・メシアンの追憶に―」の高音域部分に記された「Celestially Light」という指示でした。あえて日本語にするなら「天上の光」とでも言えるこの言葉は、楽譜の音符だけからは汲み取りきれない何かを、演奏者の内側に届けてくれます。
「書いていなくても成立はするけれど、書かれていることで音楽の世界へぐっと引き込まれる言葉」——こういった記述には、譜読みの段階から敏感に反応したいものです。
作曲家が言葉を残している場合はそれを大切に受け取りながら、演奏者としても独自の言葉を探してみましょう。無理に絞り出すのではなく、「この音楽を言い表す言葉があるかもしれない」というわくわく感を持って楽譜に向き合ううちに、自然と言葉が浮かんでくるのが理想的です。
・ピアノ演奏おぼえがき 著 : ハンス・カン 訳 : 城房枝 / 音楽之友社
► 終わりに
「用語を消してみる」と「用語を書き足してみる」。この2つは一見正反対のアプローチに見えますが、どちらも目的は変わりません。楽譜に書かれていること・書かれていないことへの感度を高め、自分の中の音楽像をより豊かに育てていくことです。
テクニックの練習と並行して、こうした「言葉と音楽の往来」を日々の練習に取り入れてみていただければ幸いです。楽譜の見え方が少しずつ変わり、演奏の表現にも変化が生まれてくるでしょう。
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