【ピアノ】ピアノが好きになる思考術:継続と上達のためのマインドセット

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【ピアノ】ピアノが好きになる思考術:継続と上達のためのマインドセット

► はじめに

 

ピアノを始めたばかりの頃は、新しい曲が弾けるようになるたびに大きな喜びを感じていたのに、いつの間にか練習が義務に感じられるようになった経験はありませんか。

技術的な練習はもちろん大切ですが、それ以上に重要なのが「どのような思考で音楽と向き合うか」ということです。同じ時間を費やしても、心構えや考え方次第で得られる成果は大きく変わります。

本記事では、ピアノ学習者が音楽への情熱を保ち続けながら、効果的に上達していくための考え方を紹介します。

 

► A. 音楽への基本的な向き合い方

‣ 1. 目先の本番が決まっても、純粋に音楽を探求する気持ちを忘れない

 

弾きたくてたまらなかった作品の楽譜を手に入れて、はじめの1音を鳴らしたときの感動は忘れられません。その瞬間、素晴らしい作品に一歩近付けたような気がして、心が躍ります。筆者にもそのような作品はいくつかあります。

自分自身が純粋にその音楽に心惹かれて少しずつ紐解いていく楽しさと喜びは、何にも代えられないものです。一つ一つの音符が語りかけてくるかのように作曲家の意図を探り、その音楽の世界に没頭する時間は、かけがえのないひとときです。

 

しかし、もしその作品を大きな本番やコンクールなどで演奏すると決まったらどうでしょうか。「こう弾くべき」「こう弾いたほうがいい」などという対策にばかり意識が向いてしまうという話をよく耳にします。場合によっては、指導者から「頼むから、本番が終わるまではこう弾いてくれ」などと言われるケースもあるようです。

その結果、作品への理解が深まるのであれば問題ありませんが、少なくとも、純粋に音楽を探求する気持ちだけはどこかへやってしまわないように気をつけなければいけません

 

大きな本番やコンクールで弾く場合でも、純粋に音楽を探求し続けられる学習者はいます。一方、それらのような目先の目標が決まった途端、自分自身が純粋にその音楽に心惹かれたときのことを忘れてしまうのは本末転倒です。昔の筆者は、その状態になっていました。

 

作品を少しずつ紐解いているときというのは、ある意味、自分自身がその作品に最も近い存在。その親密な関係を大切にし、たとえ人前で演奏することになってもその作品と一番近くにいるのは自分自身であり続けるようにすることが重要です。

どんな状況でも練習する目的はそのままにしておく。練習する目的は音楽の本質を探求することだと心に留めておきましょう。

 

‣ 2. 必ずしも実技に直結しないちょっとした発見でも、いちいち喜ぶ

 

楽曲の譜読みをしたり音源を聴いたりしていると様々なことを発見するわけですが、その中には、必ずしも実技に直結しないちょっとした発見もあります。

例えば、以下の譜例を見てください。

 

モーツァルト「ピアノソナタ ト長調 K.283 第1楽章」

譜例(PD楽曲、Finaleで作成、16-19小節)

ここでの動機素材というのは、モーツァルト「ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 第1楽章」のカデンツァにおいてもそっくりのカタチで出てくるのです。楽譜を目で見るだけでなく、実際に音源を聴いてみて欲しいと思います。

こういったことを知ったからといって、それだけで演奏が上手くなるわけではありません。しかし、その作品へまた一歩、深く入っていけたような喜びがあります。

 

このような「必ずしも実技に直結しないちょっとしたこと」というのを発見する度にいちいち喜んでください

 

難しい楽曲を弾けるようになることだけが音楽の楽しさではありません。上記のような発見にいちいち喜びを感じるようになると、毎日の学習が数倍楽しくなります。

「自分に喜びを感じさせる方法」なんてありませんが、まずは、興味を持って欲しいと思います。

 

‣ 3. こだわりを持つ場所をずらす

 

時々、一つの作曲家ばかりに取り組む方がいます。それ自体は必ずしも悪いことではないのですが、筆者は「こだわりを持つ場所をずらしてみよう」と提案したいと思います。

 

例えば、ドビュッシーが好きなのであれば、「ドビュッシーばかり弾く」というのがこだわりではなく、「なぜドビュッシーを弾くのか」というところにこだわりましょう。そうすれば、それがライフワークになります。

ショパンがピアノ音楽ばかりを作曲したのも、「ピアノ音楽を作曲する」ということ自体にこだわっていたというよりは、「なぜピアノ音楽を作曲するのか」というところに自分なりのこだわりやテーマがあったのでしょう。だからこそ、短期間ではなく一生をかけてピアノ音楽へ向かい合うことができました。当時のポーランドはシンフォニーなどの分野でまだ力を持っていなかったからという理由もありますが…。

 

こだわりというのは、本来は意識して捉えるものではないのかもしれません。しかし、意識しているうちにそれが自分のこだわりに変わってくることもあります。

 

‣ 4. 弾きたい曲ばかりを弾いてしまう気持ちのおさえ方

 

2004年に「仔犬のワルツ」という、盲目のピアノ奏者をテーマにしたドラマが流行しました。その直後、当時住んでいた家の近所の方が毎日毎日そのドラマの曲を弾いているのが聴こえてきたのを覚えています。数ヶ月は続いていました。

これは好きになった曲を楽しんで弾いていたのでしょうし、何の問題もありません。

しかし、もしピアノの学習をガンガン進めていきたいと思っているとしたら、好きな作品だけに偏るのはあまりいい傾向とは言えないでしょう。一種の依存のような状態になると、吸収する音楽が四畳半になってしまう可能性があるからです。

 

いつも好きな曲ばかり弾いてしまうこと自体は依存ではありません。今は違う楽曲をやるべきだと思っているときに自分でコントロールできないのが依存です。

音楽でも人でもそうですが、好きになった作品や人は良くも悪くも実際よりもすごいものとして見えてしまっています。これを知るだけで、少し気持ちをおさえられます

 

► B. 表現と解釈の考え方

‣ 5. なぜ、「こう弾きたい」という意志を持つべきなのか

 

過去の巨匠の作品を演奏するときにどのように解釈するのかが問題になります。中途半端な気持ちで迷いながら弾くくらいであれば、たとえ少々変でも「こう弾きたい」というのをはっきり持って弾いたほうが余程説得力のある演奏になります。

なぜかと言うと、解釈が一つではなく例外のある分野だからです。

 

例えば、このWebメディアのピアノ記事でも「例外はあります」と断るべきときは断りますが、原則、言葉尻で逃げないで言い切るようにしています。もし、「こうでも良いですが、ああでも良くて、なので多分…」みたいな文章だったら、誰も読みたくないですし、参考にしようとは思いません。

 

実際の演奏においても同様です。例外のある分野だからこそ、はっきりと断言しないといけない「こう弾きます」というのを全面に出すべきなのです。

どう弾きたいかを持っていないまま弾くのは、何も表現していないのと同じことです。

 

‣ 6.「こう信じてやっている」の精度を上げる

 

たくさんの作曲家や作品が存在し、その弾き方というのも多くの研究が残されてきています。

しかし、装飾音の入れ方をはじめ、音楽学の専門家の中でも意見が割れるようなものはいくらでもあり、結局、どう演奏すればいいのか迷ってしまいますね。

 

まず必要なのは、その分野で有力と言われるような書籍には目を通しておくこと。そして、書かれていることを試してみること。これが出発点であり、省略してしまっては何となくで弾いているだけになってしまいます。

何冊かの書籍へ目を通すとある程度は方向性が見えてきますが、それでも正解なんてものは分かりません。

 

では結局どうすればいいのかというと、「こう弾きます」というのを決めてしまうことです。

前項目でも書いたように、変な迷いがあってやるくらいであれば、「こう信じてやっている」というのがあるほうが演奏としてはずっと説得力のあるものとなります。学習を通してその精度を上げていけばいいということです。

 

時代や様式のこと、「重心(Schwerpunkt)」のつけ方をはじめ、「こう信じてやっている」の精度を上げるためにできることをたくさん吸収しましょう。ソルフェージュだけでは片付けられません。

 

‣ 7. 自分で理解していないことは他人に伝わらない

 

聴衆は必ずしも:

・「第1主題がここでこのように引用されて…」
・「この経過があるからこの次が活きてきて…」

などと、音楽的に構造的に聴いているわけではありません。もっと「感覚的」に「楽しんで」聴いています。

しかし、演奏者がそれらを分かっていなくてもいいかというとそんなことはありません。構造的なことを知っていることで、前後の弾き方はもちろん全体のバランスも変わってきます。

 

ここで強調したいのは、「自分で理解していないことは他人に伝えられない」ということです。

自分の意志が伴わない中途半端な理解による中途半端な表現というのは、何も表現していないのと同じです。「ここはこうなっている」ということを理解したうえで、表現して伝えてください。

 

‣ 8. J.S.バッハの弾き方に関する様々な意見のかわし方

 

「J.S.バッハの作品をピアノで弾くときの一番の悩み」は何ですか。

おそらく多くの方は、「どのような弾き方が正しい弾き方なのか分からない」という悩みをお持ちだと思います。

 

ある人は「その奏法はロマン派っぽいからバッハじゃない」と言い、別の人は「チェンバロじゃなくて現代のピアノで弾いているんだから」と言います。さらには「16分音符も全部ノンレガートで弾かないと」「バッハはペダルを使わないでしょ」などと、あらゆることを言ってきます。

これでは、人前でバッハを弾くのが嫌になってしまいます。いちいち気にしていたら勉強できません。

結論、現時点で自分に一番近しい信用、つまり、自分の先生(独学の方は映像資料や書籍)を参考に進めればそれでOK

 

音楽の演奏には「慣例」というものがありますし、弾き方の基礎を学んでおくことは必要です。一方、最終的にそれを使うかは自由に決めればいいのです。

日頃から様々なやり方や基礎を蓄積していくことは欠かせませんが、「絶対にこうだ」などという一方的な意見に悩まされてはいけません。

 

‣ 9. 表現の期待を持つと、テクニックのせいにしなくなる

 

演奏と創作のどちらにも言えることなのですが、最初に期待を持つべきです。表現的にこういう曲が欲しいというのを、強く持つようにしてください。

 

理由としては、解釈が一つではなく例外のある分野だから。例外のある分野だからこそ、自分の意志を明確に表してはっきり断言しないと説得力がありません。

もう一つは、表現の期待を持つとテクニックのせいにしなくなるからです。「こういう音楽が欲しい」という気持ちがないと、とりあえずと言わんばかりにテクニック的な欠点ばかりに判断基準を持って行ってしまいます。

「こうしたい」という明確な意志やアイディアがあれば、それを実現するためにはどうしたらいいのかを力のある人物にきくこともできるので、テクニックのせいにしなくなります。テクニックのせいにしているうちは、単に行動不足ということになります。

 

テクニック面をサポートしてくれる人物や書籍などはいくらでも存在するからこそ、まずはそれを必要とする状態を自分で作らなければいけません

 

► C. 成長と学習方法

‣ 10. まとまり過ぎてしまうと変わっていけない

 

自分一人で作品を仕上げる力がある程度ついてくると、今までに知った手を使って無難にはまとめることができるようになります。しかし、ここからさらに一歩前進するためには一度壊す必要があります。

今のままでその楽曲で新しいことを取り入れようとしても、自分の予想から動ける範囲で動いてしまったりと、あまり壁が破られません。「まとめる力は必要だけど、現状に満足してまとまり過ぎてしまうと変わっていけない」ということです。

 

時々、「完璧、褒めて」状態でレッスンに来て改善点を述べると不機嫌になったり、そこまでいかなくても何も修正しようとしない生徒の話題が挙がりますね。この状態はまさに、まとまり過ぎて頭と心の柔軟性が失われている典型例です。

 

ではどうすればいいのかというと、もし本番直前ではないのであれば、一時的にある部分が弾けなくなったりすることを当然のことと割り切ったうえで、優れた先人の発言や書籍などに挙がっている新しい提案を受け入れてみる勇気を持つことです。

このときに一番重要なのは、今の自分の音楽観を優先してしまって勝手に切り捨てずに、とりあえずやってみるということです。

 

一時的な不安定さを乗り越えると、安定したところから手だけを伸ばして何かを取っていたときよりもずっと大きな進歩が待っています。

 

‣ 11. 間接的に影響を受ける学習方法

 

誰かのピアニストの演奏に影響を受けてその解釈や身振りまでをマネして弾いてみたことはあるのではないでしょうか。一定期間このような学習をしてもいいのですが、いつまで経ってもこればかりでは困ります。

好きなピアニストの演奏に限らず、その楽曲についてとにかくガチって学習する。しかしそのうえで、ピアノへ向かうときは自分のやりたいことを弾く。このようにしてみてください。そうすると、ある時に学習したピアニスト達の演奏から間接的に影響を受けていることに気づくはずです。

一つだけを参考にしてそれをマネするのではなく、たくさん吸収してそれらから間接的に影響を受けるやり方をすると、何かの劣化版コピーにはならないので、マネすることなく自分の音楽観が広がっていきます。

 

作曲や編曲の学習も同じです:

・ハナからマネしようと思って先人の一つの作品を学習するのではなく
・純粋に音楽そのものに興味を持って、関連するあらゆる作品からガンガン吸収する
・自分で書くときにはコンセプトをもったうえでやりたいことを書く

このようにすると、マネではなく間接的に影響を受けている自分に気づくでしょう。

 

本項目で取り上げた学習方法のキモは、視野を広げて学習量自体は増やすということです。

 

‣ 12. あらゆることを知って、忘れる

 

「ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授」 著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

という書籍に、以下のような記述があります。

(以下、抜粋)
全体的にいってゴドフスキーは、何でも知っている年配の聡明なユダヤ人でした。
彼は、巧く弾くためには全てを知る必要があり、その後で全てを忘れる必要がある、と言うのが好きでした。

(抜粋終わり)

 

必要だと思うことをきちんと学習するけれども、いざ弾くときには意識し過ぎずに自分で弾きたい表現を弾く。そうすることで、何かの完全なマネをするのではなく、間接的に学習内容から影響を受けることができます。

 

筆者自身、学生時代に作曲を習っていた先生から以下のように言われたことがあります。

「書いた曲は忘れろ。そうしないと次が書けないぞ。」

 

いつまでも一つのものに固執しているとその過去のマネをしてしまうだけになる、ということを言っていたのだと解釈しています。「すべてを忘れる」せめて「忘れているフリをする」、というのはちょっとしたことのようで、かなり重要な意味を持っています。

 

・ネイガウスのピアノ講義 そして回想の名教授 著 : エレーナ・リヒテル  訳 : 森松 皓子 / 音楽之友社

 

 

 

 

 

 

‣ 13. 次の楽曲へも活かせる目的意識の持ち方

 

今向き合っている目の前の作品を猛進的に学習することも大事なのですが、「できる限り、他の作品へも応用できることを学び取ろう」という意識をもったうえで学習すると、独学でも楽曲を仕上げていく力が育ってきます。例えば:

・様式や作曲家ごとのスタイルの把握
・テクニック面での積み重ねと問題解決
・フレージングやアーティキュレーションの捉え方

 

練習曲の場合はそれが何のための学習なのかという目的意識は持ちやすいと思いますが、純粋な楽曲に取り組むときにも「次へ活かすためには」という視点を忘れないようにするべきです。

 

「積み重ね」という言葉がありますが、ただ単に多くのことを繰り返し頑張ったら積み重なるわけではありません。それでも多少の積み重ねにはなりますが、驚くような伸びは期待できないでしょう。むしろ、学習していることに対して意志と意識を持って積み重ねようと思いながら、かつ、面白がりながら継続していくと大きな力になっているものです。

 

‣ 14.「質問できる」ということが大事

 

効率良い練習をするにあたってポイントとなるべきこととは、「質問を持っている」「質問できる」という状態に自分を持っていくことです。

 

・自分は何が分からないのか
・自分の知りたい内容は何なのか

などといったことを整理してみます。そうすることで、独学の方でも「どの参考教材の、どの辺りを見ればいいのか」ということがすぐにひらめくでしょう。

 

【補足】
「分からないことが分からない」という段階の方は、
前提として、使用教材のレベルを再考する必要があります。

 

質問内容さえはっきりしていれば、必要に応じてスポット(単発)で相談に乗ってくれる専門家にアドヴァイスを求めることもできます。

サポートをしてくれる環境はいくらでもあるので、その環境を利用できる自分の状態を自分で作り出す必要があるということです。

 

‣ 15. 新しい表現方法を知ると、新たな大変さと楽しさが生まれる

 

筆者自身、ピアノを弾くことが楽しくなったタイミングはいくつかあるのですが、そのうちの一つは、細かな表現を意識しはじめたタイミングです。

 

昔、習っていた先生にフレーズの作り方や全体の構成の表現方法をはじめ、あらゆることを教えてもらいました。

それまでは、身体の使い方や音の出し方をはじめ、どのようにデュナーミクやアゴーギクを表現して、などといったことは考えずに(気に留めることもなしに)、とにかく適当に楽しんで弾いていました。それで「弾けている」と思っていたのです。

 

あらゆる表現方法を教わった途端に意識すべきことが一気に増えたため、それまでは「OK、次」となっていたところで自分にOKを出せなくなりました。例えば:

・フレーズをおさめようとすると音が鳴らずにすっぽ抜けたり
・重心へ向けて深い音を出そうとすると特定の音だけ唐突に大きくなってしまったり

表現方法を知ったことで、新しい大変さもたくさん知ってしまったわけです。

 

一方、それでも丁寧に練習をして、「頭での理解内容」と「実際に音にするテクニック」が結びついて細かな表現を音へできるようになったとき、新しい大変さよりもずっと大きな新しい楽しさを知ることができました。

これは、「どの段階まで上達しても、その先が待っている」ということでもあります。上達した段階からさらに新たな表現方法を学び続けることができます。

 

► D. 実践的な課題への対処法

‣ 16. 大きな展望が見えないときの潔い立て直し方

 

音楽を学習していて、その先に大きな展望が見えないこともあると思います。

本来、大きな展望があり、目標がすべてその大きな展望の通過点として存在しているのが理想です。しかし、趣味としてようやくピアノという楽器が身近になってきた場合をはじめ、その先に自分がどのように音楽と関わっていくのかがイメージつかないケースも多いでしょう。

 

そのようなときにおすすめするのは、とりあえず目先の目標になってしまってもいいので、超短期での目標を決めてしまうことです。どんなに長くても半年以内に終わりが見えることにしましょう。

人間、短期的に取り組むからこそ集中できますし、どうしても付きまとう少々の忍耐すらできます。長期的かと思ったり、ましてやずっと終わりが見えないなんて思ったら、うんざりするでしょう。

よく、目標がおじゃんになったという話を耳にしますが、それは大抵、「大き過ぎる」展望を作ったうえで、その過程に 「長期的」な目標ばかり置いているからです。

 

短期で集中する、そして、必要に応じて改善する、これをやることで確実に一段上がりますし、それを繰り返している中で大きな展望が見えてくる可能性もあります。

・集中したいのであれば、短期
・目標で挫折したくなければ、とりあえず短期

こう考えて、潔く立て直してみてください。

 

‣ 17. レパートリーを維持する大変さを再認識して時間を大切にする

 

目の前にある楽曲を時間をかけて練習すればその楽曲は弾けるようになりますが、大変なのは、同時に何曲かを本番へあげるときです。

一つの作品を練習しようと思うと毎日結構な時間がかかりますし、しばらく弾かなかった作品は割とたやすく弾けなくなっていってしまいます。一度に複数の作品へ取り組み、それらのピークを本番へ持っていくためには、とにかく時間を投下する必要があるのです。

 

筆者は、楽曲を維持する大変さを再認識して以来、時間を大切にするようになりました

また、少し弾かない期間があってもなるべく維持しやすくするためにはどうしたらいいのかだったり、寝かせた後に効率よく起こすためにはどうしたらいいのかについても考えるようになりました。

これについては以下の記事でまとめているので、あわせて参考にしてください。

【ピアノ】楽曲の寝かせ方・寝かせる期間・起こし方

 

► E. 自己理解と長期的な成長

‣ 18. 今まで選択してきたものをもっと認識する

 

音楽をやっていると喜びは多くありますが、上手くいかなくて辛い思いをするときもあることでしょう。

結局これらは、どこまでいってもそれまでに選択してきたものの結果です。

 

例えば、ピアノ学習で言えば:

・どんな教室へ習いに行くのか
・独学の場合は、どんな教材を使うか
先生から怒られたときにどんな顔を作るのか
・本番でどんな楽曲を演奏するのか
・どんな本番へ参加表明するのか

他にも選択の連続。人にすすめられたことでも、最終的には自分で選択しています。

 

その時々でどんな選択をしてきたのかということを一度振り返ってみると、そこに傾向が見えてきます:

・自分が心配性であることとか
・好きな楽曲の傾向とか
・他人の評価を気にし過ぎていることとか

何かの傾向を必ず把握することができるでしょう。

 

「今まで選択してきたものをもっと認識する」ことをやってみて欲しいと思います。

そうすることで上記のようなことが把握できるため、これからどういう風に音楽と向き合っていけばいいのかが見えてきます。もっと言えば、すべてが自分の選択の結果だと腑に落ちて、後悔していたいくつかのことがどうでも良くなります。

 

‣ 19. 小指を一生懸命鍛えても親指にはならない

 

基礎練習が重要視されているのは分かりますが、その目的を「すべての指を均等に強くすること」に置くのはどうかと考えています。

 

「ピアノが上手になる人、ならない人」 著 : 小林仁 / 春秋社

という書籍に、以下のような文章があります。

(以下、抜粋)
いくら均等に弾ける指が養われようとも、やはり本質的に備わっている指の特性というのは消えてなくなるわけではありません。
ある段階までいったら、こんどは逆にそうした指の特性が音楽の表現上、重要な意味をもってきます。
そこでこんどは指の特性と機能が最大限に生かしうるかという、実際的な「指づかい」の問題になってくるわけです。
(抜粋終わり)

 

「本質的に備わっている指の特性というのは消えてなくなるわけではありません。」とありますが、これは人間の能力そのものにも当てはまります。

筆者は、球技全般が本当に苦手なのですが、全力をあげて最大限に時間を投下して訓練すれば、そこそこできるくらいにはなると思います。しかし、得意にはなりっこありません。はじめから球技が得意な人よりも得意にすることは、逆立ちしても無理です。

生まれ持った能力の長所・短所は、原則、生涯変えられません。だからこそ、身を置くフィールドを選ぶわけですね。

結局、それぞれの指についても同じです。小指は小指として生まれてきたのだから訓練して親指のようにすることはできないし、する必要もありません。

 

では、基礎練習をして指や脳を鍛えることがすべて無駄なのかと言えば、必ずしもそうではなく、必要なときもあります。

「必要なとき」とはどんなときだと思いますか?

弱い部分が強い部分に対するボトルネックになっている場合です。

 

あらゆる複雑なパッセージがあると、弱い部分のせいで他が足を引っ張られていることもあります。こういったボトルネックが見えていて、それを解消することが目的になっているのであれば、基礎練習をする意味もあるでしょう。

 

・ピアノが上手になる人、ならない人 著 : 小林仁 / 春秋社

 

 

 

 

 

 

► 終わりに

 

音楽への向き合い方、表現への取り組み方、そして自分自身との向き合い方まで、様々な角度からピアノ学習を捉えることで、より豊かで持続可能な音楽体験が可能になります。

今の自分に最も必要だと感じる項目を一つ選んで、まずはそれを意識して学習に取り組んでみてください。

 


 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

ピアノ情報メディア「Piano Hack | 大人のための独学用Webピアノ教室」の運営をしたり、音楽雑誌やサイトなどでピアノ関連の文筆を手がけています。ピアノ音楽の作曲や編曲もしています。
受賞歴として、第88回日本音楽コンクール 作曲部門 入賞 他。

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