【ピアノ】クラウディオ・アラウ「モーツァルト ピアノソナタ全集」レビュー
► はじめに
クラウディオ・アラウ(1903–1991)によるモーツァルトのピアノソナタ全集は、数ある録音の中でも異彩を放つ一枚です。80歳を超えて録音に臨んだ巨匠が、一音一音に深く向き合った演奏は、「モーツァルトらしさ」の常識をやさしく、しかし確かに揺さぶってきます。
本記事では、演奏解釈の特徴を具体的な曲目とともに取り上げつつ、全集の構成や録音の背景についても整理しました。他のピアニストによるモーツァルト演奏をすでに深く聴き込んでいる方にとっても、新たな視点のきっかけになれば幸いです。
モーツァルトのピアノソナタ全体の難易度や選曲については、以下のガイドで詳しく解説しています。
【ピアノ】モーツァルト ピアノソナタ全曲 難易度別選曲完全ガイド
► アラウとモーツァルト―その歴史的背景
クラウディオ・アラウは、幼少期に並外れた才能を発揮し、故郷チリでは「チリのモーツァルト」と呼ばれた神童でした。モーツァルトは彼にとって自身のルーツに深く根ざした存在であり、生涯を通じてベートーヴェン、シューベルトと並ぶ最も尊敬する作曲家の一人として挙げています。
本全集の大半は、アラウが80歳を超えた1983年から1988年にかけて録音されました(K.457 など数曲は1973-74年録音)。若い頃からリスト直系の大家だった彼が、人生の最終盤でたどり着いた「悟り」や「祈り」とも呼ぶべきアプローチがこの全集には刻まれています。
► 内容について
‣「モーツァルト ピアノソナタ全集」収録曲
・主要ピアノソナタ 18曲
・幻想曲 ニ短調 K.397
・ロンド ニ長調 K.485
・ロンド イ短調 K.511
・アダージョ ロ短調 K.540
※「ソナタ K.547a」「ソナタの断片」は未収録、「デュオソナタ」は対象外です。
‣ 演奏解釈の特徴
· テンポ設定について
全集を通じて、ゆっくりめのテンポで演奏されているものが多く聴かれます。「K.282 第2楽章」のメヌエットなどは特に顕著で、晩年ならではの表現が感じられます。
一方で興味深いのが「K.457 第1楽章」で、こちらは他のピアニストの録音と比較しても速めのテンポ設定です。ソナタ全体の重心を第1楽章に置いた解釈と読み取っていいでしょう。
この「K.457」のテンポ設定には、録音時期の影響もあるのかもしれません。全集の大部分を占める80年代の深遠なアプローチに対し、「K.457」は70年代前半の録音だからです。アラウの解釈の変遷を同一パッケージ内で聴き比べられるのは、この全集ならではの聴きどころです。
· 他の演奏家との比較
例えば、「K.576 第3楽章」では、テンポ自体は一般的な録音と同程度ですが、f をガツンと鳴らさず、上品に整えて演奏しています。明快に f を鳴らすカール・エンゲルの録音と対照的な解釈であり、両者を聴き比べると演奏スタイルの違いが鮮明に浮かび上がります。
· 速いパッセージにおけるノンレガート
「K.279 第1楽章」や「K.331 第3楽章」などでは、速いパッセージでのノンレガート奏法のニュアンスを学ぶことができます。レガートでも美しく演奏できる場面ですが、ノンレガートで弾くことで「コロコロとした軽やかな表情」が生まれ、楽曲の性格により適した表現が実現されています。
‣ 録音の構成について
本全集は、単一の時期にすべて録音されたものではなく、以下の2つのセッションを組み合わせて「全集」として完成させています。
1983年〜1988年のデジタル録音
全集の大部分を占めます。アラウが80歳を超えてから集中的に行われたセッションで、多くの曲で「テンポが緩やかで、一音一音を深く探求する晩年特有のアプローチ」がとられました。
1973年〜1974年のアナログ録音
「K.457」「K.475」「K.397」「K.511」が含まれます。アラウは80年代のセッションでこれらを再録音せず、レコード会社が「全集」としてリリースする際に既評価の70年代音源を組み込んでコンプリート版としました。
つまり、「80年代のデジタル録音だけで完結した全集」は存在しません。市場に出回っている全集セットはパッケージやレーベル(旧Philips盤、近年のDecca再発盤など)が複数ありますが、収録されているソナタの演奏音源はすべて同一です。後の再発盤ではリマスターによる音質の変化や、ロンドなどの小品が追加されている程度の違いがあります。
► 終わりに
アラウの「モーツァルト ピアノソナタ全集」は、一般的なモーツァルトの解釈とは一線を画す、深みと重みのある演奏です。80歳を超えたピアニストが一音一音に向き合った晩年の境地は、聴く者にただの技巧を超えた音楽的な思索を感じさせます。
テンポ設定はじめ、あらゆる点で特徴的なので、ソナタで初めて聴くお手本の演奏にするのはおすすめできません。一方、「モーツァルトはこういうもの」という先入観をいったん手放して聴いてみると、新しい発見があることでしょう。
▶ モーツァルト ピアノソナタの学習・選曲はこちら
【ピアノ】モーツァルト ピアノソナタ全曲 難易度別選曲完全ガイド
▶ モーツァルト ピアノソナタにおける、他のピアニストの演奏レビュー
イングリッド・ヘブラー → 詳しいレビューを読む
カール・エンゲル → 詳しいレビューを読む
► 関連コンテンツ
著者の電子書籍シリーズ
・徹底分析シリーズ(楽曲構造・音楽理論)
Amazon著者ページはこちら
YouTubeチャンネル
・Piano Poetry(オリジナルピアノ曲配信)
チャンネルはこちら
SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら

コメント