【ピアノ】映画「夜ごとの美女」レビュー:ピアノが紡ぐ現実と夢の交錯
► はじめに
「夜ごとの美女(Les belles de nuit)」は、フランスの巨匠ルネ・クレール監督による、音楽を題材にした幻想的コメディ。貧しいピアノ講師クロードが現実と夢(眠っているときの)の世界を行き来しながら、音楽家としての成功と愛を求めて奮闘する物語です。ピアノという楽器が、現実世界の苦悩と夢世界の栄光を象徴する重要なモチーフとして機能しています。
・公開年:1953年(イギリス)/ 1953年(日本)
・監督:ルネ・クレール
・ピアノ関連度:★★☆☆☆
► 内容について
以下では、映画の具体的なシーンや楽曲の使われ方について解説しています。未視聴の方はご注意ください。
‣ 音楽的構造:二つの世界のコントラスト
· 現実世界のピアノ=苦悩の象徴
映画の前半において、ピアノは主人公クロードの厳しい現実を象徴する存在として描かれます。具体的には以下のような音の世界が展開されます。
現実の音風景:
・ピアノのレンタル料についての耳の痛い督促
・近隣からのピアノ演奏への苦情
・教え子の少女による拙いピアノ練習の音
・バイクのエンジン音や工事の騒音といった都市雑音と、それによる演奏や作曲の中断
これらの音は、音楽家としての理想と現実のギャップを強調し、クロードの疲弊した精神状態を音響的に表現しています。特に、ピアノ教師でありながらピアノそのものが苦痛の源となっているという皮肉な状況が、作品全体のトーンを決定づけています。
· 夢世界のピアノ=栄光の象徴
対照的に、夢の中でのピアノは華やかな成功と芸術的達成を表現します。
夢の音楽世界:
・流麗で完璧なピアノ演奏
・自作のオペラ作品を指揮するクロード
・聴衆からの大喝采と新聞による絶賛
・1900年の夜会での自作曲披露の成功
この極端なコントラストは、音楽家が抱く理想と現実の乖離を鮮明に描き出しており、芸術家の内面世界を音楽を通じて視覚化した優れた演出と言えるでしょう。
‣ ピアノの消失
· 時代を遡る夢:ピアノの消失が意味するもの
本作の興味深い音楽的要素は、夢が時代を遡るにつれてピアノが登場しなくなるという構造です。これはただの演出上の都合ではなく、音楽史的な必然性を持った設定です。
夢で訪れる時代の変遷:
・1900年代:自作曲を披露する音楽家としてのクロード(ピアノ全盛期)
・1830年:アルジェリア征伐の時代(軍楽隊のラッパが中心)
・18世紀後半:ルイ十六世時代の貴族社会(チェンバロやクラヴィコード中心の時代)
・原始時代(以下、楽器以前の世界)
・ノアの箱船の時代
・ローマ帝国時代
· ピアノという楽器の歴史的文脈
現代のピアノの原型は、18世紀初め頃にイタリアのバルトロメオ・クリストフォリによって発明されました。つまり、18世紀後半のルイ十六世時代にはまだピアノは普及段階にあり、それ以前の時代には存在しません。映画はこの音楽史的事実を踏まえ、時代を遡るごとにピアノが消失していくという音楽的設定を採用しているのです。
この設定は、ピアノという楽器がクロードのアイデンティティそのものであることを暗示しています。ピアノのない時代に遡るほど、クロードは自身の音楽的アイデンティティから遠ざかり、別の役割(ラッパ手、貴族、剣士など)を演じることになります。
‣ 音楽的クライマックス:夢と現実の融合
映画の序盤では夢と現実の世界に大きな乖離がありましたが、ストーリーが進むにつれてギャップが埋まってきます。ラストで、夢の中と思わせる場面でピアノが出てきますが、それは、実は夢ではなくて現実だったという仕掛け。ここで、夢と現実のギャップが完全に埋まります。
ラストシーンの状況:
・クロードのオペラ上演決定の通知
・愛するシュザンヌとも結ばれ
・しかし、日常の騒音は依然として存在
このエンディングの興味深さは、完全なハッピーエンドではない点にあります。オペラ作曲家としての成功を手にし、愛する人とも結ばれますが、バイクのエンジン音や工事の騒音といった現実の雑音は消えません。つまり、芸術家としての成功は手に入れても、日常生活の煩わしさからは逃れられないという、リアルな芸術家の人生を音響的にも描写しているのです。
► 終わりに
「夜ごとの美女」は、ピアノという楽器を通じて芸術家の内面世界を描いた作品です。派手なピアノ演奏シーンや感動的な音楽シーンを期待すると期待外れかもしれませんが、音楽を物語構造に組み込み、楽器の歴史的背景まで踏まえた演出は見事というほかありません。
ルネ・クレールの軽妙なタッチと、音楽に対する理解が融合した、ユニークな音楽映画です。現実と夢、音楽と雑音、理想と現実——これらの対比を通じて、芸術家という存在の本質を問いかける本作は、音楽家や音楽愛好家の心に響く普遍的なテーマを持っています。
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