【ピアノ】映画「シャネル&ストラヴィンスキー」レビュー:音楽が語る禁断の恋
► はじめに
タイトルに「シャネル」の名が先に来ているものの、本作は音楽家イーゴリ・ストラヴィンスキーの視点から描かれています。1913年のパリで「春の祭典」が物議を醸した初演から7年後、成功したファッションデザイナー、ココ・シャネルは、ストラヴィンスキーとその家族を自らの別荘に招き入れます。そこから始まる禁断の恋を、洗練された映像美と緻密な音楽演出で描き出しています。
・公開年:2009年(フランス)/ 2010年(日本)
・監督:ヤン・クーネン
・ピアノ関連度:★★★☆☆
► 内容について
以下では、映画の具体的なシーンや楽曲の使われ方について解説しています。未視聴の方はご注意ください。
音楽用語解説:
状況内音楽
ストーリー内で実際にその場で流れている音楽。 例:ラジオから流れる音楽、誰かの演奏
状況外音楽
外的につけられた通常のBGMで、登場人物には聴こえていない音楽
‣ シャネルの別荘における音響的距離感の演出
本作では、ストラヴィンスキーがピアノを弾く場面が何度も登場しますが、その音の聴こえ方によって、各部屋とピアノ室との物理的距離が表現されています:
・食事テーブルのある部屋:ピアノの音が大きく聞こえ、ピアノ室との近さを示す
・ストラヴィンスキー夫妻の寝室:ピアノの音が遠く、距離があることを示す
・シャネルの寝室:上記の中間程度の音量
特に興味深いのは、食事中にストラヴィンスキーがピアノを弾きに席を立つ場面です。部屋が近いため、場面転換が自然で間延びせず、スムーズな映像展開を実現しています。
さらに注目すべきは、病気がちな妻の部屋よりもシャネルの部屋のほうがピアノ室に近い音響設定になっている点です。これは物理的な距離だけでなく、ストラヴィンスキーとシャネルの「心の距離」を暗示していると解釈できるでしょう。
‣ ストラヴィンスキーの創作過程を再現
本編48分頃、シャネルとストラヴィンスキーの会話の中で、こんなやり取りがあります。
シャネル:「作曲は最初から譜面に?」
ストラヴィンスキー:「まずピアノで始める。指先で感じないと」
この台詞は、実は史実に基づいています。ストラヴィンスキー本人が出演した後年のドキュメンタリーで、彼自身が語っていた内容なのです。
本編99分30秒頃には、この作曲スタイルを視覚化した印象的な場面が登場します。ストラヴィンスキーが自作のオーケストラ作品をピアノで弾く音(状況内音楽)と、実際のオーケストラの響き(状況外音楽:想像上の音楽)が同時に流れるのです。
これは「オーケストラ作品でも必ずピアノで音を出し、自分の身体を通して音にする」という、彼の実際の創作プロセスを映像化したもの。先述の会話と、この場面は相互に関連し合い、作曲家ストラヴィンスキーのスタイルを浮き彫りにしています。
‣ 見逃せない4つの音楽的演出
その1:心の中で鳴り続ける音楽
本編34分40秒頃、シャネルは廊下でストラヴィンスキーのピアノ演奏(状況内音楽)を聴いています。その後、シャネルが外出する場面に切り替わり、音楽は状況外音楽へと変化します。
しかし、このときのシャネルの表情を見ると、流れている音楽が彼女の心の中で鳴り続けているピアノの残響のようにも感じられるのです。状況内音楽から状況外音楽への境界を曖昧にすることで、音楽がシャネルの内面に浸透していく様を表現しています。
その2:連弾が紡ぐ親密さ
本編51分頃、ストラヴィンスキーがシャネルにピアノを教える場面は、二人の関係性の変化を象徴的に描いています。
ピアノがほとんど弾けないシャネルに、彼はまず簡単な片手パートだけを教えます。そして自ら別のパートを弾くことで、連弾が実現するのです。演奏された曲は「5本の指で より 第5曲 モデラート」。
この場面は、技術的な指導を超えた、二人の身体的・精神的な接近を暗示しています。音楽を通じて触れ合う指先、呼吸を合わせる瞬間——言葉以上に多くを語る演出です。
その3:音の「不在」が語るもの
本編61分頃、寝室でストラヴィンスキーのピアノ演奏を聴いている妻カトリーヌは、演奏がピタリと止まった瞬間、表情を曇らせます。
これは、夫とシャネルの関係を疑っている彼女が、「音楽が止まった=何かが起きているのではないか」と察知した瞬間を表しています。実際、直後の場面では子供を偵察に行かせる様子が描かれます。
ここでは音楽の「存在」ではなく「不在」が、重要な意味を持つのです。鳴り続けていたピアノが止まることで、かえって緊張感が高まる——音響演出の着目点と言えるでしょう。
その4:二重の音楽世界
前述の99分30秒頃の場面は、状況内音楽と状況外音楽(想像上の音楽)の同時使用という、比較的珍しい手法を採用しています。
通常、想像上の音楽は単独で使用されます(例:机を鍵盤に見立てて指を動かしているときに音楽が鳴る)。しかし本作では、実際にピアノを弾く音と、作曲家の頭の中で鳴っているであろうオーケストラの音を重ねることで、創作の瞬間の高揚感と、内面世界の豊かさを同時に表現しているのです。
► 終わりに
本作における状況内音楽と状況外音楽の緻密な使い分けは、観客を別荘の空間に没入させ、登場人物たちの心理状態を音で感じ取らせます。
ストラヴィンスキーの実際の創作スタイルを再現した点も、音楽ファンには見逃せないポイントと言えるでしょう。ピアノを通じて紡がれる二人の関係、音楽が止まることで浮かび上がる緊張——すべてが計算された音響設計の中で展開されます。
ピアノを演奏する方はもちろん、クラシック音楽ファン、そして20世紀初頭のヨーロッパの芸術世界に魅了される方には、特におすすめの一作です。
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