【ピアノ】映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」レビュー:ピアノに纏わる興味深い音楽演出を解説
► はじめに
日本音楽史で重要な位置にいる作曲家・滝廉太郎(1879-1903)の生涯を描いた本作は、伝記映画の枠に留まらない、音楽映画としての魅力がある作品です。「ピアノ映画」と言ってもいい程ピアノが登場する本作。音楽の使い方においても興味深い仕掛けが随所に散りばめられています。
・公開年:1993年(日本)
・監督:澤井信一郎(1938-1921)
・音楽:佐藤勝(1928-1999)
・ピアノ関連度:★★★★★
► 内容について
以下では、映画の具体的なシーンや楽曲の使われ方について解説しています。未視聴の方はご注意ください。
音楽用語解説:
状況内音楽
ストーリー内で実際にその場で流れている音楽。 例:ラジオから流れる音楽、誰かの演奏
状況外音楽
外的につけられた通常のBGMで、登場人物には聴こえていない音楽
‣ 曲目選択による演出の巧みさ
本作で注目すべきは、曲目の選択だけで演奏者や時間経過を想像させる技法です。
· 曲目の選択で演奏者を想像させる
本編12分頃、滝が鈴木に向かって「ピアノやります」と宣言するシーンの後、「ツェルニー30番 より 第1番」が流れ始めます。この場面では、弾いている人物の姿はすぐには映されません。しかし、このような練習曲が通常のBGM(状況外音楽)として使われることはほとんどないため、観客は自然と「誰かが今まさに弾いている」状況内音楽であると理解します。
ここで面白いのは、すでに優れたピアノ技術を持つ中野ユキの演奏かと一瞬思わせつつも、入門修了段階の「ツェルニー30番 第1番」を彼女が弾くはずがないという音楽的知識により、観客は「これは先ほどピアノを始めると決意した滝の演奏だ」と即座に理解できる点です。曲目そのものが、演奏者を特定する手がかりとなっているのです。
· 曲目の選択で時間経過を想像させる
さらに印象的なのが、ピアノ練習曲の進行によって時間の経過を表現する手法です。「ツェルニー30番 より 第1番」の後、「ツェルニー30番 より 第17番」「ツェルニー40番 より 第1番」と、段階的な楽曲を練習する様子が次々と映し出されます。
ピアノ学習者であれば誰もが知っているように、これらの練習曲は同時並行で取り組むものではなく、順を追って進めていくものです。つまり、使用されている楽曲の変化だけで、数ヶ月単位の時間が経過していることが自然と伝わるのです。練習室の窓から見える景色や季節の移り変わりと相まって、滝の成長過程が効果的に描かれています。
‣「熱情ソナタ」の各楽章に込められた役割
ユキがコンクール4日前に滝と共にベートーヴェンの「熱情ソナタ」を勉強するシーンでは、各楽章に異なる役割が与えられており、音楽と物語が融合しています。
第1楽章(状況内音楽)
棄権しようかと悩み、ナーバスになっているユキが、演奏を何度も中断しながらもピアノに向かう段階を描きます。彼女の不安定な心理状態が、途切れがちな演奏によって表現されています。
第2楽章(状況外音楽)
練習の合間に滝とユキがティータイムを楽しむ場面で、完全にBGMとして流れます。この楽章は状況外音楽として機能し、2人の穏やかな時間を演出しています。
第3楽章(状況内音楽)
「ここはこう弾くべきだ」と滝が指導する本格的な練習場面で使われます。2人の真剣な音楽的対話が描かれる重要なシーンです。
このように、同じ曲の中でも楽章ごとに役割を使い分けることで、場面の性質や変化を繊細に表現していると解釈していいでしょう。
‣ 音の乱れだけで伝える衝撃的展開
本編117分頃には、音の乱れのみで状況を想像させるという、効果的な演出が登場します。
滝が自作のピアノ曲「憾」をオルガンで演奏しているシーン。その後、画面は屋外の様子へと切り替わりますが、状況内音楽として聴こえ続けているオルガンの音が突然乱れ、鍵盤に腕を押し付けたような不協和音が響きます。ここまでの映画の流れを理解している観客には、この音の乱れだけで「滝が吐血した」という事態が即座に伝わります。後に映像でも直接見せますが、まずは音だけで衝撃的な出来事を表現することで、ここでの印象が一層強くなっていると言えるでしょう。
‣ 対比によって際立つ2人の絆
このオルガンのシーンの前後では、ヨーロッパでオーケストラと共にチャイコフスキーやショパンの協奏曲を演奏するユキの華やかな様子が映し出されます。一方で滝は、小学校の古いオルガンで日本の曲(自作曲)を弾くという、対照的な状況に置かれています。
表面的には全く異なる境遇にある2人ですが、実際には相思相愛で、見えないところで同じものを共有している——この対比が、二人の絆の深さをより一層印象的に描き出しています。
‣ ヨーロッパで演奏する「憾」が生む余韻
滝の死後、ラストシーンでユキが「憾」を演奏する場面は、映画本編の冒頭シーンとリンクします。重要なのは、この演奏がヨーロッパで行われているという点です。
滝が「君のためにピアノ曲を書くよ」と言い残してユキのもとを去り、病と戦いながら書き上げた「憾」。その曲が、日本を遠く離れたヨーロッパの地で演奏されることで、滝の音楽が国境を越えて生き続けていることが象徴的に示されます。この構成により、映画全体に深い余韻が残るのです。
‣ 音楽史的視点から見た留意点
詳細は映画本編で確認して欲しいのですが、本映画の内容は、有力とされている瀧廉太郎の音楽史の内容と異なる点もあります。あくまで映画として楽しむことを重視しましょう。
► 終わりに
本作は、明治という時代に西洋音楽を学び、日本の音楽の発展に尽力した滝廉太郎の短くも情熱的な生涯を描いた作品です。
本記事で取り上げたようなピアノに纏わる音楽演出面での面白さはもちろん、滝廉太郎とユキの純粋な愛の物語としても胸を打つものがあり、音楽への情熱と恋愛感情が複雑に絡み合う人間ドラマとしても楽しめます。
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