【ピアノ】シューベルト「楽興の時 第3番」演奏完全ガイド
► はじめに
曲の背景
「楽興の時」は、シューベルトが名付けた独創的な曲種とされています。この作品集は全6曲から構成され、いずれも簡潔な小品として書かれています。形式としては三部形式を基本としながらも、作曲家の自由な発想が反映されており、特定の様式に縛られない柔軟な構成が特徴です。抒情的というよりは、むしろ瞬間的な気分や情感を捉えた作品群と言えるでしょう。
第3番は、この作品集の中で最も広く親しまれている作品です。「楽興の時」というタイトルが最もよく体現されている一曲と言えます。演奏においては、繊細なスタッカートの表現が求められると同時に、明確なクライマックスを持たない全体の流れをいかに音楽的に構築するかが重要な課題となります。そのためには、フレージングを正確に把握することが不可欠です。
(参考文献:ピアノ音楽事典 作品篇 / 全音楽譜出版社)
演奏難易度と推奨レベル
この楽曲は「ブルグミュラー25の練習曲修了程度」から挑戦できます。
本記事の使い方
この楽曲を、演奏のポイントとともに解説していきます。パブリックドメインの楽曲なので譜例も作成して掲載していますが、最小限なので、ご自身の楽譜を用意して読み進めてください。
各セクションごとに具体的な音楽的解釈を示していますので、練習の際に該当箇所を参照しながら進めることをおすすめします。
本記事では、演奏解説をメインにしています。この楽曲の楽曲分析を学びたい方は、【ピアノ】シューベルト「楽興の時 第3番」の詳細分析 を参考にしてください。
► 演奏のヒント
‣ 楽曲構成、調性プラン、テンポ設定について
譜例(PD楽曲、Sibeliusで作成、楽曲全体)


楽曲の大きな構成:
・1-2小節:前奏
・3-10小節:Aセクション
・11-18小節:Bセクション
・19-26小節:Cセクション
・27-34小節:A’セクション
・35-44小節:Dセクション
・45-54小節:エンディング
楽曲構造概要
| セクション | 小節番号 | 低音保続に関する主要な特徴 |
|---|---|---|
| 前奏 | 1-2小節 | F音による中心になる音の確立 |
| A | 3-10小節 | 主題提示、F音保続の確立(-6小節目の終わりまで) |
| B | 11-18小節 | As音保続による色彩変化(-15小節目の終わりまで) |
| C | 19-26小節 | C音保続による緊張感の創出(-22小節2拍目まで) |
| A’ | 27-34小節 | 主題回帰、F音保続の再確立(-30小節目の終わりまで) |
| D | 35-44小節 | C音保続(41-43小節目の終わりまで) |
| エンディング | 45-54小節 | F音による終結感の強化 |
調性プランから見える意図
この楽曲の調性の変遷を見てみましょう:
・1-2小節(前奏):調性が曖昧 F-durかf-mollかを暗に聴衆が判断する
・3-10小節(Aセクション):f-moll
・11-18小節(Bセクション):As-dur
・19-26小節(Cセクション):f-moll → As-dur
・27-34小節(A’セクション):f-moll
・35-44小節(Dセクション):f-moll → F-dur
・45-54小節(エンディング):F-dur

この展開から、以下の2つの重要なポイントが見えてきます:
1. 明確な方向性:f-moll(短調)からF-dur(長調)への移行
2. 構造的な対比:短調と長調の対比が楽曲全体を通して計画的に配置
テンポ
・民俗音楽の色がある特徴的なリズムの音楽なので、適度な速度が欲しい
・基本テンポは ♩= 94-100とし、遅くても♩= 86 以上を目指す
‣ 1-10小節
(再掲)


曲頭の左手の注意点
1-2小節目は「前奏」です。ここで提示された左手の素材がずっと続くので、「前奏」の始め方で:
・曲全体の音色の基準
・曲全体のテンポの基準
が決まってしまいます。
・音を出す前に、しっかりと音のイメージを持ってから打鍵する
・遠くで鳴っているイメージを持つ
・「各裏拍の和音」はバス音より大きくならないように
バス音の音質:
・3-6小節では、バス音の音質にも注意が必要
・1-6小節までバス音はずっと「F音の保続」
・このF音が「均等の音質」に聴こえてくるとバランスが良い
・どれか一つだけ大きく飛び出てしまったりしないように注意する
・バス音が保続されている箇所は、「音楽の進行感は強くない」ということ
・まだ大きな抑揚をつけ過ぎずに淡々と弾いていく
3小節目から出てくるメロディ:
・この楽曲の装飾音は拍の前に出して弾くのが慣例
・「極めて軽く」入れて、装飾音が付いている大きな音符よりも目立ってしまわないように
・装飾音を素速く入れる
・この楽曲では16分音符がたくさん出てくるので、装飾音が長くなってしまうと、それらと区別がつかないから
譜例(7-10小節)

記譜法の違いと演奏意図
7-10小節のメロディには、通常の8分音符ではなく「16分音符+16分休符」という記譜が見られます。こうした書き分けには作曲家の明確な意図があり、一般的に、この記譜法が用いられる理由は3つ考えられます:
・ノンレガートで弾く8分音符と音価を区別させたい
・視覚的に音の分断を強調したい
・他声部との音価(切る位置)を正確に揃えたい
譜例の★マークで示した部分では、主に「他声部との音価の一致」を目的としています。上段下声部の付点8分音符と、上声部メロディの切るタイミングを揃えるための工夫と言えるでしょう。
さらに、この楽曲では「ノンレガートの8分音符」「スタッカート付き8分音符」「16分音符+16分休符」という3種類の表現が使い分けられており、音価の違いも意図されていると考えられます。
なお、視覚的分断を主目的とした例は、同じ作品集の「第1番 Op.94-1」の18-19小節に見られます。
譜例(PD楽曲、Sibeliusで作成、18-19小節)

第1番のこの箇所では、上記の「音価の区別」と「視覚的分断」の両方が意図されていると解釈できるでしょう。
バス音の動きと音楽の変化:
・1-6小節目まではバス音が保続されていたが、7小節目からは「順次進行」で動き出す
・バス音が保続されているときよりは少し進行感が出てくるので、よりカンタービレに演奏する
・音楽のエネルギーの動きをこういった部分からも感じ、演奏解釈の参考にできる
跳躍攻略のヒント
7小節目の左手からは跳躍が大きくなります。跳躍を攻略する演奏ポイントとしては:
・ゆっくり練習する際に、裏拍の和音からバス音までの距離を意識してさらうこと
・裏拍の和音を打鍵したらすぐに次の音の「準備(プリペア)」をするという意識も持つ
・左手だけで鍵盤を見なくても弾けるくらいにしておく
小さなヤマの意識:
・8小節目は、3-10小節目という1つのセクションの中でのヤマ
・3-10小節目で「一番低いバス音」と「一番高いメロディ音」が出てくるから
・あくまで p の領域の中なので大袈裟に演奏する必要はないが、小さなヤマになっているという意識は持っておく
暗譜対策:
・8小節目と32小節目は繰り返しの対応する部分だが、原典版では左手の音が多少異なっている
・区別して整理しておき、暗譜に備える
譜例(9-10小節)

9小節目の右手の攻略法:
・1拍目裏の上段F音を「左手」でとってしまう
・ただし、左手の他の音はスタッカートなので、F音もスタッカートになってしまう
・最終的な仕上げのテンポを「速めのテンポ」で想定している場合に限る
・もしすべてを右手で弾く場合は、譜例で示した運指を使うと良い
‣ 11-18小節
色の変化:
・11小節目からは平行調のAs-durにいき、この楽曲で一番美しい箇所で
・11-15小節目までは、バスがずっと「As音で保続」になっている
作曲家が隠し込めた些細な工夫:
・12-13小節目は、「主音上のⅤ」という和声になっている
・12小節目と13小節目は「同じ和声」であるにも関わらず、左手の音の選び方が変わっている
・「右手の音との兼ね合いを考えた」ということ
・12小節目は、右手のメロディがDes音を中心に装飾されているので、左手ではDes音を抜いている
・13小節目は、右手のメロディがB音を中心に装飾されているので、左手ではB音を抜いている
音数がシンプルな作品なので、こういった細かい箇所にも気が向けられているのでしょう。
フレーズ終わりの音の処理:
・スラー通り、14小節目の右手は「1拍目に重み」が入り、2拍目でおさめる
・このエネルギーが逆になってしまって尻餅をついたような表現になっている演奏が意外に多い
16小節目の右手の運指:
・16小節目の右手は3度の連続で難しいが、決して重くならないように
・運指は「35 24 13 25 35」で弾くと良い
内声のメロディ:
・17-18小節目は、右手の一番下のラインがメロディになっている
・右手の他の音はうるさくなり過ぎないようにコントロールする
‣ 19-26小節
対比表現:
・19小節目からは f なので、「対比表現」になるように明確に変える
・そのためには、18小節目までを p のままキープしておくことが重要
・特に16-18小節目は、右手の困難さから大きくなってしまいがちなので注意する
20小節目の運指:
・20小節1拍目の裏のAs-Gは「5-4」の運指で弾いてもいい
・一方、内声を押さえたままなので、「5-5」といったように「5の指をスライド」させるのも一案
・こうすると手の大きさに関係なく、問題なく演奏できる
・20小節2拍目裏のEs音は「5の指」で弾く
・そうすれば、「ワンアクションで次の小節の和音までつかめる」ので、打鍵ミスを避けることができる
譜例(23-26小節)

バス音の動きと音楽の変化:
・23小節目は非常にカンタービレで
・バス音がクロマティックに動いていく
・メロディはC音で「同音連打」しているからこそ、和声の変化が活きている箇所
・「19-22小節前半までバス音が保続されていて、23小節目からはクロマティックに動き出す」ことに注目
・「バス音が動く」のは「感情の表現」であり、同時に「直前の保続との対比」という役割を持っている
ハモリのバランス:
・24小節目の後半から26小節目までの右手は、6度で装飾されたメロディ
・トップノートが多めに聴こえるバランスで弾く
(再掲)

指でのレガートへの肉薄:
・25小節2拍目は「16分音符による6度の動き」の連続
・こういった箇所は完全なレガートにするのは困難
・トップノートはレガートにし、下の音は1の指だけで、なるべく音を長く残していくように演奏する
・ダンパーペダルに頼らず、いかに手でレガートに肉薄できるかどうかを探る必要がある
・実際の楽曲では、運指の都合で一方の声部がレガートにできないところは多く出てくる
・「どちらか一方を完全なレガートにして、もう一方はなるべく指で残す」という考え方は応用範囲が広い
‣ 27-54小節
平坦な表現を避ける:
・35-36小節では感情的な面が前面に出てくることに注意する
・36小節、40小節の1拍目には重みが入るので、しっかり表現し、平坦にならないように
暗譜対策:
・41-43小節は反復だが、43小節目のみ2拍目裏の左手の音が異なっていることに注意する
・メロディが導音のE音にきているため、伴奏部分では導音が重複しないようにE音を避けてG音にした
・このような細部を整理しておくことで暗譜をするときに助かる
遠ざかっていく音楽:
・45小節目からは、繰り返しながら dim. していく
・曲の最後に向かって、「エコーとしてだんだんと音像が遠ざかっていくイメージ」を持つといい
‣ 楽曲全般の特徴
「音域」について:
・この楽曲の音域は、中音域が中心
・一番静かな最後に、一番低い音がきている
・通常の楽曲では、一番のクライマックスに一番低い音域を持ってくることが多い
・このアプローチの場合は、落ち着きを強調して温かいサウンドを作っている
ダイナミクス:
・全体的に p 系
・後半に pp や ppp が出てくる、遠ざかっていくような音楽
・f は対比
音の形:
・両手共に和音演奏中心だからこそ、11小節目からの部分など、単音メロディなどが美しく響く
・19小節目などは、ダイナミクスが大きくなるに応じて音の厚みのコントロールが見られる
その他、この楽曲の楽曲分析を詳細に学びたい方は、【ピアノ】シューベルト「楽興の時 第3番」の詳細分析 を参考にしてください。
► 終わりに
シューベルトの「楽興の時 第3番」は、音楽的な深みと表現の繊細さが求められる作品です。バス音の保続による色彩変化、短調から長調への移行、そして遠ざかっていくような終結部まで、小品ながらも作曲家の緻密な設計が随所に感じられます。
本記事で解説した演奏ポイントを参考に、この美しい作品に取り組んでみましょう。
推奨記事:
・【ピアノ】「最新ピアノ講座」演奏解釈シリーズのレビュー:演奏解釈とピアノ音楽史を一冊で学ぶ
(演奏解釈をさらに学ぶための教材 /「楽興の時 第3番 Op.94-3 ヘ短調」も収載)
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