【ピアノ】ラヴェル「ハイドンの名によるメヌエット」演奏完全ガイド
► はじめに
曲の背景
ラヴェルがこの小品を完成させたのは1909年5月のことです。「マ・メール・ロワ」に続いて作曲されたこの作品は、ハイドン没後100周年を記念し、独立音楽協会(SMI)の機関誌に掲載される目的で書かれました。
当時のパリ楽壇では、保守的なスコラ・カントルム派が支配する国民音楽協会に対抗する新たな潮流が生まれていました。1909年に設立されたSMIは、パリ音楽院出身者を中心に結集し、フォーレを会長として迎えた革新派の拠点となります。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」が初演されたのもSMIの旗揚げ公演であり、作曲家はこの団体で中心的役割を果たしました。
本作では「ソジェット・カヴァート(抽出された主題)」と呼ばれる作曲技法が採用されています。これは人名のアルファベットを音名へ変換して旋律を生み出す手法です。通常、ドイツ音名で「HAYDN」から使用できるのはH・A・Dの3音ですが、ラヴェルは独創的にY・Nにも音高を割り当て、シ・ラ・レ・レ・ソの5音列を創出しました。この音列は原型・逆行・反行と様々な形で全曲に散りばめられていますが、わずか54小節の作品は技巧的な印象を与えず、優雅で自然な流れを持つメヌエットとして完成されています。
(参考文献:ピアノ音楽事典 作品篇 / 全音楽譜出版社)
演奏難易度と推奨レベル
この楽曲は「ツェルニー30番修了程度」から挑戦できます。
本記事の使い方
この楽曲を、演奏のポイントとともに解説していきます。パブリックドメインの楽曲なので譜例も作成して掲載していますが、最小限なので、ご自身の楽譜を用意して読み進めてください。
各セクションごとに具体的な音楽的解釈を示していますので、練習の際に該当箇所を参照しながら進めることをおすすめします。
► 演奏のヒント
‣ 1-16小節
· 1-2小節
譜例(PD作品、Sibeliusで作成、曲頭)

・1小節目では「メロディが下行、バスが上行」、つまり音域がせばまる形
・2小節目では「メロディが上行、バスが下行」、つまり音域が開く形
それぞれのニュアンスの違いを感じて演奏しましょう。
アクセントと重みの配置
・曲頭のアウフタクトにはアクセントが書かれているが、1小節3拍目には重みが入らない
・その代わり2小節目の頭にアクセントがついている
この違いを明確に表現してください。時々「2小節目の頭よりも1小節3拍目のほうが大きくなってしまっている演奏」を耳にしますが、それは楽曲の骨格を歪めてしまっている例です。
内声の扱い
1小節1拍目の上段内声は極めて優しく弾きましょう。タイで結ばれているメロディと音域が近いので、気をつけないと内声がメロディの一部に聴こえてしまう恐れがあります。
1小節目、2小節目ともに2拍目は大きくならないようにおさめましょう。音を解決させるイメージを持ってください。
2小節3拍目からのフレーズ展開
2小節3拍目からは、曲頭からここまでの問いかけに対して応えているかのようです。ここからフレーズを改めましょう。メロディが3度で装飾されることでサウンドがどのように変化したのかを意識しながら練習してください。
譜読みの重要ポイント:
・このように「はじめて出てきた要素」を整理する
・楽曲を理解するためにも、また後々「暗譜」をするためにも有効にはたらく
· 3-4小節
(再掲)

・4小節目も「1拍目にやや重みを入れ、2拍目で解決させておさめる」このニュアンスを大切に
・「1拍目はダウン、2拍目はアップ」という動作を軽くつけることで適切なニュアンスが生み出される
3小節目の上段の内声は3拍目で消えてしまっています。4分休符すら入っていません。このような記譜法は、ラヴェル「メヌエット 嬰ハ短調 M.42」など他にもあらゆる作品で見られます。ここでは、以下のように考えていいでしょう:
・「上段の内声は、3拍目に4分休符が入っている」
・もしくは、「3小節3拍目の下段C音につながっている」
3小節3拍目の下段C音は4小節1拍目の上段H音につながります。美しい連結ができるようによく音を聴きながら練習しましょう。
· 4-6小節
(再掲)

4小節3拍目からは音楽をガラリと変えます。楽曲の性格的に鋭いフォルテではありませんが、直前よりもはっきりした音楽表現にして空気感を変えたいところです。
ここから出てくる左手の「H Fis」の連続は、民族音楽でいう「ドローン」のようなイメージを持つといいでしょう。
重要なポイント
4-6小節どれもこのバスが「3拍目から出ている」ということに注目してください。これは単にテクニック的な問題ではなく、「フレーズが3拍目から出ている」というサインです。つまり、右手も「3-1-2」「3-1-2」というフレーズを大切にしましょう。
具体的には、1拍目は装飾音があるために時間がかかってしまいがちですが、3拍目から1拍目のつなぎで不自然な間(ま)が空いてしまわないようにすべきです。
ブロックコードの響き(5-6小節)
5-6小節では、オクターヴで奏でられるメロディ「Cis – H」のあいだにハーモニーが挟まっています。これは:
・ラヴェルが「ソナチネ」をはじめ多くの楽曲で用いた楽器法
・オクターブの響きの中に和声音を挟むことでゴージャスな響きが生まれる
・「ブロックコード」などと呼ばれることもある楽器法
この楽曲の中では初めてブロックコードが出てきました。つまり、ラヴェルはここで「新しい音色」を聴かせたかったのでしょう。
こういった箇所では「メロディと和声音とのバランス」が重要です。和声音のほうが控えめに聴こえるようにバランスをとらないと、単なる音のカタマリのような印象になってしまいます。
· 7小節目
(再掲)

7小節目のメロディは「4分音符+8分音符4つ」となっていますが、こういったリズムでは、4分音符の直後で音楽が切れてしまうことが多くあります。
・ペダルで音がつながっているかどうかは関係ない
・ペダルを使っていても頼り過ぎずに
・できる限りギリギリまで指でもつなげて
・メロディFis音からE音へのつながりをよく意識する
こうすることで、ようやくつながったフレーズが生まれます。
· 8-16小節
8小節目からは「再現」なのでフレーズを改めましょう。
注意したいのは、「選ばれている音の変化」についてです。曲頭のアウフタクトに対応した箇所にも関わらず、曲頭と少し異なっています。こういった「似ているけれども少し異なるところ」は、丁寧に区別して整理しておくことで「暗譜」をする際に非常に役に立ちます。
12小節目も1回目とはダイナミクスが異なっているので、注意しながら譜読みしましょう。
‣ 17-20小節
譜例(16-20小節)

対位法的な書法
楽曲を深く理解していただきたいので、少し応用的な話をします。
・16小節3拍目で「2度でぶつかった不協和が、3度に開く」
・17小節1拍目でも「2度でぶつかった不協和が、3度に開く」
という書法がとられています。
「対位法」という音楽理論では、「不協和音程でぶつかった音が、どのように協和音程に解決するか」ということが学習の一部となっており、まさにこういったところのことを言っているのです。
2度でぶつかった不協和による緊張感が、協和の3度に解決することで解放される。ラヴェルは「細かな緊張感のコントロール」をしているわけです。
17-18小節、19-20小節の音のつながりに注意
・メロディの2分音符を弾いた後、すぐに油断しないこと
・次の8分音符へスラーがつながっているわけではない
・しかし、音が伸びている意識を持っていないと音楽が細切れになってしまう
・音を聴き続けているからこそ、その次に出てくる音とのバランスがとれる
「長く伸びる音価のときほど、出し終わった音にも責任を持つ」ことを徹底しましょう。
18-20小節の運指例
ここは運指に迷うと思います。以下の譜例の書き込みを参考にしてください。
譜例(18-20小節)

メロディとバスの半進行
(再掲)

16〜19小節は mf まで盛り上げますが、ただ音量で盛り上げているのではなく「メロディとバスを半進行させることで広がり感を演出している」という楽曲の成り立ちも理解しておきましょう。
テノールのメロディの扱い
ハイドンの音型から来ているテノールのメロディをあまり強調してしまうと、ソプラノのメロディが聴こえにくくなってしまいます。それに、ここではペダルを長く使っているので、濁りを回避するためにもテノールは出し過ぎないほうが得策です。
ラヴェル作品間の関連性
19小節目からのソプラノのメロディ、ラヴェル「ソナチネ 第1楽章」の中でそっくりのメロディが出てくることに気づきましたか。
内声のバランス
譜例(22-23小節)

22-23小節では、メロディ音の響きをよく聴き、その響きの中から2-3拍目の内声の3度音が浮かび上がってくるようにバランスをとりましょう。内声のほうが大きく目立ってしまうと音楽的に不自然です。
モーダルなハーモニー
・「H D Fis」(22小節2拍目)のハーモニー
・「H Dis Fis」(23小節2拍目)のハーモニー
この両方が使い分けられて登場するので、それらの色の違いを感じることが大切です。ラヴェル「メヌエット 嬰ハ短調 M.42」でもとられていた旋法サウンドです。
‣ 24-43小節
· 24-27小節
譜例(24-26小節)

上下段の連結
矢印で示したように、24小節目の上段のDis音は下段のD音につながる音です。ピアノ曲の楽譜は大譜表で書かれることが通常なので、こういった「上下段の連結のまたがり」を見抜く必要があります。
クレッシェンドの設計
24小節3拍目からのクレッシェンドは pp から f まで持っていく変化の大きなダイナミクス指示です。
こういったところは、大きなダイナミクスから逆算して「どのあたりで、どれくらいのダイナミクスに到達しているのが音楽的なのか」といったことを考えるようにしましょう。
クレッシェンドが書いてあるところはまだ pp 。26小節目は全体クレッシェンドの最中ですが、下段のH音は「ハイドン・テーマのフレーズ終わりの音」なので、Cis音よりも大きくなってしまうと不自然です。
「全体的にはクレッシェンドしている中でも、個々のフレーズのニュアンスは適切につくる」
こういったことにも意識を向けていきましょう。
オルゲルプンクト
27小節目から「オルゲルプンクト」が始まります。ピアノという楽器の特性上、音は減衰してしまいます。しかし、一度鳴らしたバス音を聴き続けることが重要です。
· 24-37小節
多声的な書法
譜例(31-32小節)

31-32小節は多声的な場面となっています:
・イエローライン:上声のハモリ
・ブルーライン:19小節目から何度も出てきているメロディ
・グリーンライン:ハイドン・テーマ
・ピンクライン:バスのオルゲルプンクト
上声のハモリによる完全4度の連続する響きが印象的です。
注目すべきは「上声の音が、一つの声部をつくっている」ということで、ピアノ曲をオーケストレーションするときにはこういった分析をして各楽器に割り当てています。ピアノ曲として演奏する場合も「仮にオーケストラで演奏するとしたら、どのようになるか」という視点が持てるようになると音楽の幅が広がります。
縮節の技法
譜例(35-37小節)

35小節目の素材が音価を縮めて繰り返されていきますが、このような手法を「縮節」と呼びます。
ここでは38小節目の pp へ向けてデクレッシェンドしていきますし、音楽的にもはっきりとした音色や表現は求められていません。「ただよいながら、曇った中へ入っていくかのようなイメージ」を持って演奏するのもいいでしょう。
37小節目のFis音は38小節目からのオルゲルプンクトH音へつながるⅤの音なので、この2音の音楽的つながりを意識すべきです。したがって:
・このFis音でペダルを踏み変えるのも一案
・38小節目で一旦H音だけのクリーンな音響になるので、それを強調したいのであれば踏み変えないのもアリ
たった一つの正解はありません。このあたりは解釈次第となります。
· 38-43小節
再現への導き
38小節目からの演奏で重要なポイントは:
・最上段と真ん中の段のアーティキュレーションは異なるため、きちんと弾き分けること
・真ん中の段まで最上段のアーティキュレーションに合わせてしまわないように注意
・最上段のアーティキュレーションは「曲頭のアーティキュレーション」からきているもの
以下の2点を意識しましょう:
・アクセントがついている音に重みを入れること
・スラー終わりの音(フレーズ終わりの音)は大きくならないようにおさめること
譜読みのポイント
38-43小節は一見複雑に見えますが、「半音の動き」と「全音の動き」の2種がどこで使われているのかをしっかりと区別しておけば、譜読みもスムーズにいくでしょう。
オルゲルプンクトの再打鍵について
38-43小節のオルゲルプンクトH音は、上に乗っている和音を弾いていないときに再打鍵(同音連打)できるように書かれています。
しかし、これらの再打鍵は「減衰楽器」というピアノの構造を補っただけのことであり、仮にオーケストレーションするとしたら伸ばしたままにするはずです。したがって、いかにも「打ち直しました」という音の出し方をせずに:
・「減衰した響きを取り戻してあげる」
・「音を伸ばしたままクレッシェンドしている」
というイメージを持つといいでしょう。
音響の持っていき方・手間の戻し方:不協和の世界から協和の世界へ
譜例(38-44小節)

・42小節3拍目からハイドン・テーマが合わさってくる
・濁りのある世界から光が差してくるようなイメージ
・38-43小節全体に大きく及んでいるダイナミクスの松葉も音楽の方向性を表している
このような「音響の持っていき方」「テーマへの戻し方」を知っておくことは、ピアノアレンジの勉強にもなります。
38-40小節あたりに比べて42-43小節は和音の音数も少なくなっています。こういった微妙な変化を感じておくことも楽曲の理解には大切です。
‣ 44小節目以降
· 44-46小節
切ない響きを作る
44小節目は前からのオルゲルプンクトH音が残される形で「9の和音の第一転回形」から始まります。
3拍目に注目してください。バスがH音なので「H – D – Fis」という「短3和音」が聴こえる点で聴衆をグッとさせます。音楽理論のことは分からなくても「切ない響き」がするからです。
・演奏者側もただヒョイと通り過ぎるのではなく、響きを作り、自分の耳に入れる
・自分に聴こえない音は聴衆にも伝わらない&聴こえない
再現部の変化を整理する
44小節目からは再現の一種ですが、これまで出てきたときと音などに変化があります。楽譜を見て弾いているときはあまり何も考えずに弾けてしまいますが、必ずどこがどう変わったのかを整理して「暗譜」に備えましょう。それに、そういったことが音楽の深い理解にもつながるのです。
46小節3拍目からは曲頭のときとの違いにハッとさせられます。演奏者側も「意外性」を持ってください。
その他の演奏注意点は曲頭のときと同様です。
· 49小節目以降
テンポ変化の自然な処理
譜例(49-51小節)

この箇所はテンポ変化に注意してください:
・「Retenu」をするが、Retenuのあとに「Lento」がある
・したがって、「Lentoを導くRetenu」にすると自然に聴こえる
・「Lentoよりも遅くしてしまってからLentoに入ると、音楽がギクシャクしてしまう可能性がある
最後の音のバランス
楽曲の一番最後のG音はとても低い音ですが、どっしり弾かずに、ペダルで伸びているその他の響きに溶け込ませるバランスを狙いましょう。
► 終わりに
この作品は技術的には中級レベルですが、ラヴェル特有の繊細な和声感覚や声部の扱い、オーケストラ的な響きの作り方など、音楽的には高度な要素が詰まっています。
一つ一つの要素を丁寧に理解し、自分の耳でよく聴きながら練習することで、この美しい作品の真の魅力を引き出すことができるでしょう。
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