【ピアノ】マルグリット・ロン「ドビュッシーとピアノ曲」レビュー：作曲家が演奏家に託した記録

【ピアノ】マルグリット・ロン「ドビュッシーとピアノ曲」レビュー

【ピアノ】マルグリット・ロン「ドビュッシーとピアノ曲」レビュー

► はじめに

本書は、20世紀を代表するピアニスト、マルグリット・ロンによる貴重な証言録。ドビュッシー研究、特に彼のピアノ作品の演奏解釈において、極めて重要な資料です。作曲家本人から直接、徹底的な指導を受けた演奏家による回想録という点で、音楽史的価値は計り知れないものがあります。

・出版社：音楽之友社
・邦訳初版：1969年
・ページ数：新版 144ページ旧版 166ページ
・対象レベル：中級～上級者

・新版ドビュッシーとピアノ曲―天才が名演奏家に直接託した技法と「こころ」の希有な記録　著：マルグリット・ロン　訳：室淳介 / 音楽之友社

ドビュッシーとピアノ曲―天才が名演奏家に直接託した技法と「こころ」の希有な記録

► 著者について

マルグリット・ロン（1874-1966）は、ジャック・ティボーと共にロン＝ティボー国際コンクールを設立した名ピアニストです。彼女はドビュッシーと深い交流を持ち、晩年に至るまで継続的に直接指導を受けた数少ない演奏家の一人でした。本書には以下のように記されています：

（以下、抜粋）
ドビュッシーはわたしが疲れているのを見て、「こんなにびしびしやろうとするのを許してくださいよ。わかっているだろうが、私がこの世にいなくなったときに、わたしの思っていたことを正しく知っている者がのこることになるのだからね」
（抜粋終わり）

この言葉からも、ドビュッシーが自らの音楽の正しい伝承者としてロンを信頼していたことが分かります。

► 内容について

‣ 本書の特徴

本書の特徴は、ただの演奏技法書ではなく、ドビュッシーの人間性、創作の源泉、音楽観までをも含めた総合的な記録である点。技術的な指示だけでなく、ドビュッシーの生活や人間関係、彼の思想や美学にまで踏み込んでいます。主要作品について指導を受けた内容も書かれています。

「ドビュッシーの左手の指が並外れて広がることができた」という身体的特徴についての言及も興味深いところ。これにより、「喜びの島」における作曲家が勧めた極端に左手の指の間を開く運指法（譜例付きで本書で取り上げられています）の理由が明らかになります。このような具体的なエピソードは、演奏解釈に直結する貴重な情報と言えるでしょう。

‣ 本書の価値

本書の価値は以下の点にあります：

直接伝授された演奏法の記録：
ドビュッシー自身が教えた演奏技法や解釈が詳細に記されている

作曲の背景や意図の解明：
各作品が生まれた状況や、作曲家の意図が明らかにされている

ドビュッシーの人間像：
私生活や性格、人間関係まで含めた全人格的な記録

印象派という誤解の訂正：
ドビュッシー自身が「自分は印象派ではない」と断言していたことなど、一般的な誤解を正す記述がある

‣ 音楽観と創作の源泉

本書では、ドビュッシーの音楽観や創作の源泉についても触れられています。例えば：

（以下、抜粋）
大洋のすばらしい風景を前にしたときの、ドビュッシーの言葉が今でも耳に残っています。
「海の声が聞こえますか。海、これが音楽といえるもののすべてだ」
苦しみの中（1917年、重い病の中【筆者補足】）にあってもこの精進を忘れないドビュッシーは、わたしの手本となり、目標ともなりました。
（抜粋終わり）

自然、特に海への深い共感がドビュッシーの創作の根源にあったことが分かる記述です。また「喜びの島」を特に重要視していたというエピソードも、作曲家自身の作品評価を知るうえで貴重です。