【ピアノ】ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」演奏完全ガイド
► はじめに
曲の背景
この作品は、ルコント・ド・リールによるスコットランドを題材とした詩に着想を得ています。クローバーの咲く野原で、乙女が遠い恋人を夢見ているという情景が描かれています。ドビュッシーはスコットランドという背景設定を活かし、五音音階を作品全体の重要な音楽的素材として用いています。
(参考文献:ピアノ音楽事典 作品篇 / 全音楽譜出版社)
演奏難易度と推奨レベル
この楽曲は「ツェルニー30番中盤程度」から挑戦できます。
本記事の使い方
この楽曲を、演奏のポイントとともに解説していきます。パブリックドメインの楽曲なので譜例も作成して掲載していますが、最小限なので、ご自身の楽譜を用意して読み進めてください。
各セクションごとに具体的な音楽的解釈を示していますので、練習の際に該当箇所を参照しながら進めることをおすすめします。
► 演奏のヒント
‣ 第1章:曲頭の表現
譜例(PD作品、Sibeliusで作成、1-4小節)

命をかけるべき「はじめの一音」
楽曲の冒頭は単音のDes音で始まります。この音は丸裸になって目立つため、そして楽曲全体の音色の基準になるため、最大限の注意を払いましょう。
丸い音を出すためのテクニック:
・打鍵角度に気をつけて、指の腹の肉を使う
・打鍵速度をゆっくり目のイメージで下りる
・タテにカツンと打鍵しないように注意
同音連打の落とし穴
1-2小節目には2つのDes音が登場します。1小節の隔たりはありますが、これらのバランスをよく聴くことが重要です。どちらも「極点の音」になっており、聴衆のイメージに強く残ります。
「厳密でなく」の意味
1小節目の「sans rigueur(厳密でなく)」という指示は、拍子が無くなってもいいという意味ではありません。特に曲頭では一応の拍感覚は持っていないと、音楽の骨格が見えなくなってしまいます。
‣ 第2章:2-5小節
5つのGes音をどう弾き分けるか
譜例(2-3小節)

2-3小節目には5つのGes音が連続します。この中で最も重みが入るのは「4つ目」です。その理由は:
・④から⑤にかけてデクレッシェンドが書かれている
・④にはテヌートが書かれている
・①②は経過的な短い音
・③はフレーズの最後でおさめる音
同音連打の黄金ルール:「同じ音量、かつ同じ音質の音が2つ以上並ばないようにする」
ドアのノック音「コン!コン!」が不快に感じるのは、全く同じ音が並んでいるからです。音楽における反復法では、軸となる同じ音が意図的に反復されているため、その意図を考えて弾き分けましょう。
メロディの無伴奏表現(ソロ)を意識する
4小節3拍目では内声とバスがなくなり、メロディだけになります。ダンパーペダルを離し忘れないよう注意し、一瞬のソロであることをしっかり意識してください。
‣ 第3章:5-11小節
消える音響と生まれる音響
譜例(5-8小節)

譜例へ書き込んだペダリングに注目してください。6-7小節目では、タイで伸びている和音の音響を徐々に消していき、7小節2拍目のメロディB音を背景の中から生まれてくるように聴かせる解釈も良く耳にします。
ペダリングのポイント:
・「消えていく音響」と「生まれてくる音響」をグラデーションさせる
・音楽が立体的かつ自然につながる効果を演出
このペダリングを検討できる判断基準は「音楽の内容が全くの別物ではなく、続いているかどうか」です。もちろん、音響を完全に切ってから次を始めても間違いではありません。
並行移動を音楽的に
譜例(8-9小節)

8小節目からの左手の並行移動は、この楽曲の重要な要素です。音楽が縦割りにならないよう、横に大きなフレーズで引っ張っていく意識を持ちましょう。
技術的制約による音符配置の理解
8-9小節の右手パートは、上声がメロディで下声がハーモニーです。この下声は左手の和音と合わさって一つの和音をなす音であり、独立した声部ではありません。独立した声部ではないことの見分けポイントは:
・特別にメロディックな動きをしていない
・左手の団子和音と同じリズムで動いている
これを理解しないと、右手の下声を無意味に際立たせたり、異なる音色で弾いたりする問題が生じます。
‣ 第4章:10-13小節
譜例(10-13小節)

多声性を聴かせる
10-11小節は多声的な要素が強調されています。2分音符のメロディから枝分かれするように他のラインが生まれますが、全部で1本の同一メロディに聴こえてしまわないように注意しましょう。
実践ポイント:
・10小節2拍目の2分音符のメロディ音を耳で聴き続ける
・3拍目の16分音符の動きを静かに始める
指上げの位置を明確に決める
10小節目では、右手内声の付点2分音符が伸びている途中で他の声部が同じ音を使用するため、物理的に音を保持し続けることが不可能です。
解決策:
・指上げの位置を明確に決めて固定する(譜例のマーカー位置で指上げする)
・こうすることで、再現性のある練習ができ、本番でのトラブル可能性が下がる
バス音の音響断裂を防ぐ
譜例(11-13小節)

13小節目の頭はバス音がタイで伸びていますが、ペダルを踏み変える必要があります。このときに生じるバス音の音響断裂をどう処理すればいいのでしょうか。
対処法の一例:
・12小節目の最後に「左手の小指以外の音」を離す
・ペダルを踏み変える
・裏拍での音響断裂なので気にならない
‣ 第5章:14-16小節
並行移動での声部分離
14小節目からは右手の内声と左手を合わせた和音が並行移動します。メロディと内声の音を明確に分離する必要があります。次の譜例のようにならないように注意しましょう。
譜例(14-15小節)

ポイント:
・メロディ:指圧を深めにして太めの音で
・内声:静かに柔らかい音で
・ペダルに頼らないレガート
14小節目のような非和声音が絡むところでは、ペダルに頼ると濁りが生じます。まずはレガートを実現できる運指を探すことに力を注ぐ必要があります。以下の譜例の書き込みを参考にしてください。
譜例(14小節目)

この楽曲に限らず検討すべきこと:
・替え指を取り入れたらどうか
・もう一方の手で取ることはできないか
・他の版の運指はどうか
・ペダルに頼るところを最小限にできないか
逆リズムの認識
譜例

14小節目のメロディのリズムは、曲頭からずっと使われているリズムの「逆」になっています。この変化を意識することで、楽曲理解がより明確になります。
‣ 第6章:15-22小節
譜例(15-16小節)

前打音による大きな跳躍
16小節目の左手には前打音による大きな跳躍があります。入れ方をゆっくりにし過ぎると間延びしますが、ここはフレーズの頂点なので多少テンポが広がっても自然です。
一方、どうしても16小節目の入りで音楽が停滞してしまう場合、譜例で示したように小音符を16分音符1個ぶん前へ出すという方法があります。
注意点:
・拾ったメロディ音の響きが次の小節の和音に含まれると濁る場合は使えない
・この箇所では第6音(As音)になるので問題なし
30-31小節でも同様に処理できます。
譜例(30-31小節)

クライマックスまでの我慢
・17-18小節は下行ライン
・19-21小節は上行ライン
・22小節目にクライマックス
19小節目はピアニッシモから始めます。ここがすでに大きくなってしまうと、クライマックスを効果的に聴かせられません。
オクターブとヴォイシングの使い分け
20-22小節では、メロディの装飾の仕方が変化します:
・単音によるメロディ
・オクターヴユニゾンによるメロディ
・オクターブユニゾンの間に和声音を挟んだヴォイシング(非常にゴージャスな響き)
オクターブの響きというのは非常に特徴的なサウンドなので、作曲家は「どこにオクターブの響きを持ってくるか」を丁寧に選んでいます。
‣ 第7章:23-27小節
対比表現を作る
22小節目が mf なのに対し、23小節目は「p(弱く)」です。しっかりダイナミクス差を作りましょう。
つなぎ目の不自然さに注意
23小節目に「Cédez(だんだん遅く)」が書かれています。細かな16分音符が出てくるため、テンポのゆるめ方によっては、つなぎ目がぎこちなくなります。
重要な注意点:
・音を拾えていても
・各セクションが美しく弾けていても
・暗譜まで出来ていても
・つなぎ目の不自然さは気をつけないとずっと残ってしまう
録音&チェックを活用して、明らかに不自然な部分は直しておきましょう。
並行和音の3つの注意点
24-27小節目の並行和音では、以下の点に注意しましょう:
・音楽が縦割りにならないように、横に引っ張る意識を持つ
・ただの音のカタマリにならないように、右手パートのトップノートを多めに出す
・全体的に大きくなりがちなので、ダイナミクスに注意
‣ 第8章:28-34小節
立体的な音楽作り
28小節目からは最初のメロディが戻ってきますが、楽器法は変わっています。距離感をイメージしてみましょう:
・付点2分音符の音 →「背景」
・メロディ →「前景」
付点2分音符は打鍵速度をゆっくりと、指の腹を使って柔らかい背景を作ります。
内声メロディの抽出法
譜例(30-31小節)

30-31小節の内声には「Ges-As-B」という美しいラインが隠されています。これは33小節1拍目のメロディの拡大形です。
運指による抽出法:
・際立たせたい内声の音を、演奏する手の最上声か最下声に配置する
・この箇所では上段のGes音を左手で演奏する
・そうすることで、際立たせたいB音が右手の中で最下声となり抽出しやすくなる
その他の方法:
・その音以外を省略して打鍵する練習
・際立たせたい音の方向へ手をやや傾ける
‣ 第9章:35-39小節
譜例(35小節目)

スラースタッカートの真意
35小節目の右手の「スラースタッカート」は、前後の文脈から考えると「音を切る」という意味ではありません。
正しい解釈:
・ダンパーペダルを使用して音はつなげる
・手はスラースタッカートで演奏
・「音はつながっているけれど軽い音にしたい」という意図
作曲家は「切ってください」という意味だけでなく、「軽い表現が欲しい」という意味でもスタッカートを使用することがあります。
perdendo の二重の意味
35小節目の perdendo は:
・ダイナミクスを小さくしていく
・テンポもゆるめていく
3拍目が3連符になっていることに注目してください。テンポとしても音価としても rit. の表現になっています。こういう箇所では音楽が止まってしまいがちなので、36小節目に入る瞬間に変な間を空けないようにしましょう。
運指の最適化
(再掲)

35小節目の運指は、上側のカギマークで示したように「3つ→2つ→3つ→2つ」のパターンを使用すると効果的です。
利点:
・全く同じカタチを1オクターヴ上で繰り返す
・手のポジションが安定する
・暗譜しやすく、ニュアンスをそろえやすい
これに対し、下側のカギマークで示したように「2つ→2つ→2つ→2つ→2つ」というグルーピングで運指付けするのは、各始まりの音がすべて異なるため、良案とは言えません。
アルペッジョの意図
譜例(36-39小節)

37-38小節目の「オクターブに付けられたアルペッジョ」は、「柔らかい音が欲しい」という意味で付けられています。特に38小節目は「ゆっくりのアルペッジョ」にするとニュアンスが出ます。
フェルマータのない終わり
最終小節にはフェルマータが付いていません。ドビュッシーがあえて書いていないので、フッと消えるように終わるほうがいいでしょう。35小節目から最終小節まで「だんだんと消えて、音像が遠くなっていくイメージ」を持って演奏しましょう。
► 終わりに
この作品は技術的な難易度以上に、音楽的な表現力が求められます。本記事で紹介した具体例を少しずつ自身の中にためていき、他の作品にも応用してみてください。
細かいニュアンスをいい加減に作ると、耳のいい聴衆には必ず気づかれます。一方で、細部にまで神経を行き届かせた演奏を目指しましょう。
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